画数命名とネットの知識

子供にせよ、会社名にせよ、命名時に自分は「画数」をとっても気にする。理由は、経験上、そうだからだ。よい人は良い。可哀想な人は可哀想。

なんとなく、なぜ、みんな画数を気にしないのか?と検索してみる。例の知恵袋にガンガンヒットする。

「本によって違う」「気にする方がおかしい」「つけたい名前を付けられない」「ペンと紙の接触回数で人生など決まらない」自分の調べた結果ではどうやら、自分は少数派らしい。

本によって違うだの、人生決定のキビだの、そんなことわかってる。脳のかなり浅い部分でわかってる。ビタミンB・E・Dとってれば健康よねみたいに解ってる。

自分は、人間の体と食物の関連が、すべて解明されたと思っていない。未発見の栄養素、栄養素以外が体を作っているのかもしれないじゃん。人間が解ってること思ってることにそれほど重点を置いていない。都合のいいことは頼るが。

自分は、人の名前を呼ぶときに、無意識に漢字を思い出しながら呼ぶ。漢字には意味がある。「あきちゃん」と呼ぶときに、「秋ちゃん」なら、あのすがすがしい空気を。「亜希ちゃん」ならその親の愛情を、「亜紀ちゃん」なら舟歌を思う。「飽きちゃん」だったら? その後に続く言葉は、そのイメージを受け継ぐことになる。

画数じゃないじゃん。漢字じゃん。

いや、その漢字が何故その画数になったのか?偶然ではない筈で、その数の組み合わせが画数占いだとしたら、それは統計学じゃないかな。

前述の「意味ない勢」と自分は明らかに違う考え方なんだと思う。それでいい。自分はそれでいい。

ところで、あなたが何かに困って、そうね「生き方」を相談するとき、どんな人に相談する? 毎日脳みそを使わない仕事をして、家に帰って民放のバカバラエティ見ながらストロングゼロ飲んで、フルローンで黒のアルファード買って(さすがに偏見すぎか)る独身おじさんに相談する?

知恵袋で答えてる人って、そんな人もいるわけじゃん。むしろそういう人たっくさん答えてるじゃん。

ネットを鵜呑みにするってのはこのストゼロおじさんにご意見を賜るようなものだと気づいた。

いや、気づいてたけど、文章化できた。