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自由研究の本懐

自分が子供の頃、「工作」は自由研究にしてもよいとなっていた。だから、プラモ好きの子なんか、みんな工作に「逃げた」。

これは、とんでもない機会の損失。

自由研究って、
① 疑問を見つけ
② 仮案を示し
③ そのための設備や手順を考え
④ やってみて
⑤ 検証
するという、正直(昔の)小学校の中ではトップクラスに大事な課題。

自分の地方は神社が多かったので、毎年何割かは「アリジゴク」「ジグモ」の観察が提出され、賞をとっていた。「またか」って感じだった。

で。この手記の本題。

自由研究は「未知の発見」をするためにするんじゃなくて、上記の「自分で編み出した研究スキームを獲得する」ことが本懐。

なのに、賞を取る為のレールに乗せるなんて、虐待に等しいと思う。子供を愚かにする行為。

もうひとつ。「失敗の法則を知る」こと。自由研究は「この方法では上手くいかないことが解りました」で締めるのだって最高だ。

賞を取ったことなんか、どうでもいい。その子が「疑問を持つ(ここが既にスゴイ)」、「検証してみる」という武器を持つことが最重要。

この武器を持つ者に、嘘やごまかしは通用しなくなる。



……だから、レールに乗せるのかもしれないけどさ