百人一首についての思い その14

 
 第十三番歌
「筑波嶺の峯より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵となりぬる」 陽成院
 筑波山の頂から流れ落ちる「みなの川」が、次第に水かさを増して深い淵を作るように、私の恋も積もり積もってますます深くなっています。
 
 Just as the Minano River
 surges from the peak
 of Mount Tsukuba,
 so my love cascades
 to make deep pools.
 
 
『後撰集』の詞書きには、「釣殿のみこに 遣わしける」と記されている。釣殿のみことは、光孝天皇の皇女で、後に後宮に入られた綏子(すいし)内親王を指す。
 
 陽成院は第五十七代天皇であったが、陽成院の名前で掲載されているので、退位後の御製なのだろう。それにしても、9歳で天皇に即位したかと思うと、17歳で退位した。その後は長生きして82歳で天寿を全うした。
 さて、筑波山は男体山と女体山という二つの山頂から成り立っているが、一つの山に二つ山頂があるので、男女同衾を象徴する目出度い山である。
『古事記』にあるイザナキとイザナミという大昔から、日本は男女平等であったので、このような美しい歌をお作りになられた。陽成天皇は、歴代天皇の仲でも大変な悪評に晒されたお方だが、歌の価値は作者の人となりには無関係である。それは、北大路魯山人のような人間としては失格で無茶苦茶な人間でも、彼が残した陶器を初めとする芸術の価値が不変であるということと同じことだ。
 
 世の中の人間という存在は、男が半分で女が半分である。性別では男であっても、気持ちは女という人もいるし、逆の場合もある。また、同性にしか興味が湧かないという人もいる。私は同性には全く興味がないが。それぞれの立場で思うままに生きられる世になった。それが良いことか、悪いことかは誰も決められない。
 
 一般的に人は年を取れば徐々に中性化していく。だから、自分のことも相手のことも、男だとか女だとかを意識しなくて済むようになる。いつまでも俺は男、私は女という立場に拘泥していると、辛くなる場合もある。拘泥しなければ、もっと肩肘張らずに生きられて楽になる。だから、男女平等は大切な価値観である。そして、みんなが男女の分類には無関係に、自分が大切だと思う人を大切にすれば良い。それだけの話である。自分の大切な人をいつまでも大事にするのは、人として大切なことだと思う。だから、私はいつも老妻と息子、娘に感謝の意を抱いて大切に思っている。

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