百人一首についての思い その10

 第九番歌
「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」 
 小野小町
 桜の花の形は変わってきました。春の長雨の降る間に。私も年を重ねてきました。物思いをしている間に。
 
 I have loved in vain
 and now my beauty fades
 like these cherry blossoms
 paling in the long rains of spring
 that I gaze upon alone.
 
 小名木氏によれば、小野小町を本朝一の美人であると評したのは藤原定家だそうだ。藤原定家は小野小町の死後二百年も経過した鎌倉時代の人である。
 肖像画も残っていないし、会ったこともない過去の人を、どうして美意識の高い藤原定家が、小野小町を本朝一の美人だと評したのだろう。それは、やはりこの歌の評価が鍵であると、小名木氏は言う。
 満開の桜に雨が降る。時間が経過することも「経(ふ)る」という。ちなみに、古語には「経(へ)る」という言葉はない。そして、小町は「花の色は移った」と言っている。普通は桜が散るときには色は変わらないのに、「散る」とは言わずに「色が移った」と言うのか。つまり、「私は形こそ変わったけれど、まだまだ現役で散ってはいないわよ」とでも言いたいのだ。小名木氏の解釈は見事である。
 
 それにしても、世界三大美女はクレオパトラ、楊貴妃、そしてトロイア戦争のヘレネだそうだ。そういえば、この美女はいずれも戦を起こす原因にもなった。本朝一の美人は、戦争を起こす原因にもならず、ごく普通に年老い、亡くなってしまった。
 そういえば、「本朝美人鑑」(ほんちょうびじんかがみ)の序文には、古今の「美人」と して著名な女性のうち、「位階富貴」を選ばず、「誠に美の道に達しこころはえかしこ き」女性をとりあげ、一般女性にとっての手本=鑑としていく、とあるそうだ。この本を読んだことはないが。
 それにしても、「誠に美の道に達しこころはえかしこ き」女性を取り上げたというのがいかにも日本人らしくて良い。テレビでよく見かける綺麗な顔をしてスタイルが良いが、話し方が幼稚でいかにもおつむが弱い、馬鹿な女などを、本朝美人のひとりだとして取り上げられても困る。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?