見出し画像

グスコーブドリの伝記のバグ

宮澤賢治の代表作「グスコーブドリの伝記」。
アニメ映画になっているので、ご存知の方も多いだろう。
タイトルのとおり「グスコーブドリ」という真面目で妹思いな青年の一生涯を描く。
賢治作品では珍しく(?)ストーリーが把握しやすい。
映画も原作を踏襲し、大変なクオリティできっちりとまとめていた。
(余談・映画は一点だけ原作をかなり改変したところがあった。でもとてもスマートな変更だった。裁判の夢で補足するとか)

原作はこれ
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html


ストレートに描かれた献身性や兄弟愛が胸を打つ。

ところで「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」という、類似作品をご存知だろうか。
わたしはグスコーブドリも好きだが、それ以上に「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」が大好きだ。
愛情を込めて「グスコーブドリのバグったやつ」と呼んでいる。

原作はこれ
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/33195_38118.html

そう、「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」はバグっている。
コインで言えば、裏。
あちらが正史ならば、こちらは野史。
秩序と無秩序。

きれいに対比されている。
きっちりまとまった前述作品の裏側だ。
だからまとまっていない。

この作品の主人公はばけものだ。
さらわれたばけものの妹を探し、無秩序なばけものの世界を彷徨う。
よく分からない労働に従事し、よく分からない結末で終わる。
賢治作品にありがちな(?)物語構造のぶっ壊れ感がすさまじい。
キャラが自然消滅するし(幽霊だから?)、謎の次空間移動もある。
宮澤賢治は何を思ってこの作品を書いたのだろう。
どちらが先に生み出されたのか分からないが、「グスコーブドリの伝記」という整合性のとれた作品がありながら、なぜこの作品を残す必要があったのか。
作者の意図を想像してもまるで分からない。
それでもこの作品を読むたび、新鮮な世界のぶっ壊れを感じて楽しい。

これはバグった「ポケットモンスター赤緑」をプレイしたときの感覚と似ている。
「ぼくの夏休み」32日目とか。

何が起こるか分からない怖さと暗さ。
人間的でない(怪物キャラだからではなく)、人智を超えた奇怪さ。
そういうものを文章世界で表現できる宮澤賢治はいろいろな意味ですごいと思う。
「ほんとうのさいわい」とか「雨ニモマケズ」とか美しく人道的な思想を打ち出しつつ、非人間的なカオス味あふれるものを抽出してしまう頭の作りはどうなっているのか。
読めば読むほど、書き手の気持ちが分からなくなる、不思議な作家である。

余談だが「丁丁丁丁丁」という詩も、人体が爆発した文章でおすすめだ。
ゲシュタルト崩壊という言葉などない時代にこの詩を読んだ人たちはゲシュタルト崩壊しただろう。

さらに余談だが、アントニオ・タブッキの「逆さまゲーム」も表裏をなした作品でおすすめです。
こちらは、あえてバグらせている感じ。
「ゲーム」とタイトルがついてるし。
バグるコマンドを押している。

宮澤賢治は無意識にバグっている。

「ぼくの夏休み」がスタートした瞬間に32日目、みたいな。

この記事が参加している募集

読書感想文

サポートありがとうございます。このお金はもっと良い文章を書くための、学びに使います。