『戦場のメリークリスマス』セリアズはなぜヨノイにキスをしたのか

はじめに

 この映画は1942年、日本統治下にあるジャワ島の日本人軍俘虜収容所が舞台である。日本語を解する俘虜の英国陸軍中佐ロレンスは、ともに事件処理にあたった粗暴な軍曹ハラと奇妙な友情で結ばれる。一方、ハラの上官である陸軍大尉ヨノイは日本軍の俘虜となった英国陸軍少佐セリアズを預かることになり、その反抗的な態度に悩まされながらも不思議な魅力に惹かれていく。
 今回は、絶妙な人間関係の描き方と、最大の見せ場、セリアズのキスについて考えてみよう。

戦時中における「個と個」

 戦争とは国家と国家の争いである。日本と英国という対立の枠組みのなかに、4人の登場人物は組み込まれる。
 「集団と集団」であれば、所属する構成員として「集団の意志」に従っていればいい。ゆえに全体主義をとる戦時中において、人々が思考停止状態に陥ることはよくある。そこに悩みはなく、憎しみあう構図が簡単に成立する。
 「個と個」が物語の主軸になることは、他作品でも多いだろうが、戦時下であるということにこの作品の特徴がある。
 戦時下において「個と個」の関係に向き合うことには、大きな葛藤が生じる。「私は個々の日本人を憎みたくない」というロレンスの発言はこれを象徴している。
 ヨノイ大尉とセリアズ、ハラ軍曹とロレンスの関係性の絶妙なバランスは、戦時下における「個と個」の妙味が効いているのだ。

セリアズのキス

 物語の終盤、セリアズはヨノイにキスをする。この意味を考えたい。セリアズのキスは、怒り狂ったヨノイをなだめるためのキスではない。場の混乱を収拾するためのキスではない。鍵となる構造は「兄と弟」である。
 それは、本作において回想が映像で描かれたのはセリアズだけであり、その回想は兄と弟の物語であり、キスシーンの後、精神世界においてセリアズは弟との再会を果たしていることから明らかである。セリアズは弟にまつわる2つの出来事をロレンスに打ち明けた。

・幼少期
 ミサにて、弟は後列の子どもが歌う讃美歌の音程が間違っていることを馬鹿にした。セリアズと弟は、教会から帰る途中、ミサで馬鹿にされた子どもに襲われる。馬鹿にされた腹いせである。セリアズは弟を守るため、暴力を一手に引き受けて弟を逃がす。
 セリアズは弟に「誰も助けを呼ぶな」と告げる。セリアズが集団に敵うはずもうはずもない。情けない姿を見られたくなかった。弟が大人を引き連れて現場に戻ると、セリアズは余計なお世話だと怪訝な表情を浮かべた。

・少年期
 弟はセリアズと同じ高校に入学する。高校では上級生が新入生を集団で取り囲み、大声で圧をかけて愉しむ、いわゆるストーム的な慣習があった。
 セリアズは実行グループの中心メンバーであり、弟を贔屓して免除してもよかった。周りの友人たちも弟には手を出さなくてもいいと、セリアズに提案する。しかしセリアズは止めることなく、弟にシメを経験させる。

 セリアズは自らを「裏切り者」と呼んだ。教会の帰り道、セリアズは弟を助けた。弟はセリアズの言いつけを守らず、助けを呼んだ。セリアズはプライドを傷つけられ、弟を責めた。弟は「兄にも嫌われた」と泣く。
 一方、ハイスクールの「歓迎会」では全体主義の同調圧力により、弟を助けなかった。今度は弟の無事よりも「シメ」を実行する上級生としてのプライドを優先したのである。取り柄の歌を馬鹿にされ、辱めを受けた弟に対し、セリアズはその場にいなかったと嘘をつく。この2つのエピソードに共通しているのは、集団暴力の存在と、プライドの存在である。
 以来、弟は歌を歌わなくなり、現在は家の牧場を継いでいる。セリアズは弟に会いに行かず、戦争が始まると弁護士を辞めて戦闘に夢中になる。彼は俘虜収容所での抜き打ち検査のときに歌を歌う。「歌をとめるな」と自ら率先して歌う。これ以外にも俘虜収容所のみんなが歌うシーンが3回ほどある。セリアズが歌うことに執着しているのは「裏切り者」の自分のせいで歌を歌わなくなった弟のことを、今も強く意識しているからである。ちなみに、集団暴行に対する抵抗としての歌、集団暴行(歓迎会の上級生の歌)を愉しむための歌という構図もあり、面白い。また、讃美歌を馬鹿にされた村の子どもが暴力の主体となり、歌を馬鹿にされた弟が暴力の被害者となる構図も、歌という象徴の多様性を示す。
 その後、ヨノイは俘虜長に銃器類の専門家の名簿提出を求めるも拒否され怒る。ヨノイはプライドを傷つけられ、俘虜長を「斬る!(kill)」という。
セリアズの目に、怒り狂ったヨノイはどう映ったか。セリアズにとって、ヨノイは昔の自分自身であった。
 セリアズは日本軍の俘虜となって、集団暴行・全体主義の被害者になった。これはセリアズが弟の立場になったといえる。そして兄の立場はヨノイである。ヨノイは集団暴力・全体主義の主体であり、また、セリアズを愛していた。それは、回想におけるセリアズから弟への愛のように不器用で、上手くいかないものだった。ヨノイは敵国軍人としてのプライドを強く誇示しながらも、セリアズへの好意は隠さなかった。
 セリアズは考えただろう。これは往時の兄と弟の、戦時下における再演であると。弟は、自分のせいで歌を捨てた。それは兄セリアズが望まなかった姿であり、そのために深く罪の意識を持ち続けた。いま、弟としてのセリアズが、兄としてのヨノイの意思に背き、抵抗し続けることは、セリアズにはできなかった。それは弟に対する罪の意識であった。
 罪の意識とは、弟が歌を辞めたことである。いま、セリアズが願うのは、弟が歌い続けることであり、それはヨノイの愛に対して、親愛のキスで応えることであった。セリアズは、ヨノイを往時の自分自身に見立てて、理想の弟の行動を進んで示すことで、許しを得たのである。
 セリアズは、死に際の精神世界にて、幼少期の弟に出会う。弟は澄み渡る清廉な歌声で思い出の歌を歌い、庭の手入れをしている。セリアズにとって弟とは幼少期のままの姿で思い出される。それはヨノイへのキスによる自己完結的な許しではあったが、弟に対するセリアズの罪の意識は、このとき許された。

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