なぜ人はパロディを面白いと思うのか。

私が考えるに、その理由は3つある。

1.仲間・特権意識

 一つ目は、パロディネタの仲間意識を生み出すという性質に起因する。
 パロディネタを使用すると、ある作品の世界観に、別な作品の性質が現れる。それは、作者が読者と同じ社会に生きているという証明である。作者の『創造主』としての性格を和らげ、俗的なものとして捉えることを可能にし、より読者に寄り添った身近なものとして認識されるだろう。
 また、元ネタを知らないパロディネタを読者は楽しめない。これは作者が「共感」を前提に演出するからで、仲間意識が両者の間に生まれなかったからである。
 元ネタを知っている読者は、パロディネタを大いに楽しめる。読者と作者との間に「特権的な仲間意識」つまり「分かる人には分かる」という言外に排他的で、自集団に特権を与える快感がなんとも言えない面白さにつながるのである。

2.リスクの楽しさ

 二つ目は、パロディネタを使用する危険性に起因する。
 パロディとして他の作品を真似することは、元ネタ作品の権利を侵す危険な行為である。キャラクターやストーリーラインの強奪はギリギリ許されるか、許されないかの瀬戸際にある。ゆえに真似された側の作者が表立って抗議することはほとんどないだろう。
 幼い頃、校則で禁止されていた火遊びや校区外への遠出はスリルがあって面白かった。こういったドキドキ感を読者は、元ネタの作者から怒られるリスクなしで楽しめる。ハラハラ感は「こんなことして大丈夫か!?」と、パロディネタの使う作者に向けられがちだ。そして読者はこれを無自覚に楽しんでいるので、パロディネタは面白いのである。

3.意図的な不完全さ

 三つ目は、パロディネタの意図的な不完全さに起因する。著作権の都合上、パロディネタは元ネタと何かしら違うところを作り出すよう改変される。改変の仕方はパロディネタを使用する作者に委ねられ、モザイクをかけたり、外見の細部を変えたりする。
 ここで光るのが真似する側のユーモアセンスである。作者の個性が顕著に現れるのがパロディネタの醍醐味だ。「本物の元ネタ」と「偽物のパロディ」との間に生じる違和感、つまり「知っているようで、なんか違う」という意図的に演出された不完全さと作者の工夫が面白いのである。
 また、前述した「パロディネタを使用する世界に元ネタの世界が立ち現れる」ことも、パロディ側の世界が「一貫した完全な世界ではない」と読者に感じさせる意図的な不完全さであると言える。

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