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その声は、我が友『低・気圧』ではないか?

低気圧。
打ちつけるような雨音と、遠くから響き渡る車たちの走行音で目が醒める。

既に体は鉛のように重い。喉はしわがれた老婆のように呼吸がしづらく、目を擦ればザラザラとした目ヤニがいくらでもこぼれ落ちる。鼻はきかない。奥まで栓を詰められたように機能せず、当然臭いもせず、呼吸の補助もしないから口をだらしなく開けて空気を取り込まなきゃいけないのだが、すると喉の老婆が癇癪をおこして、ますます気が滅入る。

飲み込んだ唾液がいちいち痛むし、頭のだるさに加え右側だけをガンガンと叩かれるような片頭痛も堪える。覚めたばかりのベッドの上で右に左に身を捩ってこらえる。あれこれ態勢を変えた拍子に、布団から手足が飛び出して極寒に晒されると、ますます布団から起きる気が失せて布団の中に顔をうずめるほかなくなる。

低気圧きっついよね。
今とてもキツイ。背骨が途中から折れてんじゃないかってくらい背中も痛い。やっとこさのそのそと這い上がってそのままパソコンの前でこの文章を打っている。

本当は布団の中からスマホで入力でもしたいところだけど、私のフリック入力は亀が這うようなスピードでしか実行されないから、頑張って体を引きずるほうを選択した。内面で感じたこと思ったことを次々とアウトプットしていかないと間に合わないのだ。なるべくリアルタイムに、なるべく早いタイピングで次々と先出ししていかないと、私の記憶容量はオーバーフローを起こして初期化されてしまう。フリック入力でのろのろとやっていては、それこそ失われてしまう。一分一秒を争う新鮮な感情が瞬く間に蒸発していってしまう。

低気圧の日は、実は考え事にも向く。思考が自動的にネガティブになるから、どうでもいいことでクヨクヨする自分を観察できるチャンスなのだ。こういう時は、悩むに限る。悩むといっても、これから訪れるかもしれない不幸を想像しては不安と取っ組み合う類の悩みじゃない。過去の自分との戦いだ。ああ、どうして私はこうなのか。相変わらず生きるの向いてないんじゃないかとか。
過去に書いた文章を想起しては、なんて分かりづらい文章を書くんだ。もっと各項目を明瞭に、時系列に沿って書き起こしなさいとか。自分の不甲斐なさやミスばかりが目立ってしまう。

以前は、このまま不機嫌を人にぶつけるような真似ばかりしていた。私は生きる価値がないだの、迷惑しかかけない穀潰しだの、わざわざ選挙カーの上から叫ぶようなことをしながらSNSの街を徘徊していた。その頃に比べれば、感情のコントロールと分別は上手になった。手に入れた分別は私の生活をマトモにしたと思う。

低気圧は、私から自信という自信を剥奪する。だからこそ天狗にならずに物事を考えられる。喉の老婆や奪われた五感が努めて私を明るくさせない。深く深く内面に潜り込める。
上手になったコントロールと分別は、しかし処理法にすぎないこともまた事実だった。「まだ読める文章を書く」という伝える手段を手に入れただけで、自分の根本は特に子どもの頃からなんら変わってはいない。

低気圧がいうには、「まだ読める文章」が書けているかどうかも怪しいらしい。AだからBである。BだからCである、よってAだからCである。なんて順序立てた三段論法に憧れる。

話には必ず過程がある。過程があるから必ず結果がある。よって話とは結論から話すべきである。
結論から話すことが苦手な私はたびたび着地点がふわつく。AからKからBに飛ぶんだ48。あちこちに思考が飛んでは、着地しないまま次の飛び石へ向かう子供のまま。それが私の特性であり、私の文体の特徴でもある。空想の世界を行き来している。外面と内面はほとんど一緒くたになっていて、いまだって低気圧と私のドロドロした感情がすっかりリンクしてしまっている。

外壁を打つ雨水の下にほりをこしらえて、そこに溜まったプールで思考を泳がせているのだ。どちらも私にとっては現実で、まわりからみたらまったくの嘘なのだ。実際は水を貯めてもいないし、思考を泳がせるなんて抽象的な表現だけ思い浮かぶばかりで、私の体はあいかわらず温い布団のなかで冷たさなど知らないまま。

濡れてもいないし、積極的に濡れにいく気もない。ただ私の感情だけが生体的な欲求から切り離されて、雨水をためて泳ぎたいと騒ぎ立てている。きっと、夢見がちな子供なのだ。

読める文章に憧れる。憧れるが、実際には子どものようにきままに遊ぶ。
つまり読める文章は、きままな遊びなのだろうか。

…三段論法をそのまま自分の話に当てはめてみたかったが、やはり下手くそだ。筋が通っていない。

もしくは私がこうやって遺したメモは遥か未来でやっと一致するのかもしれない。
AからZまで、全部の過程を通り過ぎて「AはZである」と結論づけられるような人生を送れるのだろうか。それともZのその先まで相変わらず走っていってしまうのだろうか。エクセルとかスプレッドシートならAZ、BZみたいな領域。広敷を広げて回収する気のない私は、今日も飛び石で仲良く思考と跳ねて回る。

あ、今日は一般ごみだった。余計な思考と一緒に、捨ててしまおう。
文章を書く、というのは捨てることに似ている。
少なくとも、私は書いた文章について執着があまりない。
A、B、Cと書いてから、Aに戻ることがほとんどないから。
D、E、Fと書き続けてしまう。ああ苦手だ。三段論法は苦手だ。どこかで戻ればいいのに、低気圧の中どこまでも駆けていってしまう。

しかし、そうして駆けていくうちに、いずれ見たこともない景色が訪れるかも知れない。
わたしは、まだ見ぬ世界が知りたい。
この衝動に名前をつけるなら「好奇心」なのだろう。

今日も低気圧は私に教えてくれる。
君の痛みも、苦しみも、苦悩も、一角の好奇心があるから、在るものなんだと。

ありがとう、低気圧。
いつもあなたは私に大事なことを教えてくれる。
嬉しいよ。どうかいつまでも、そばにいて欲しい。
低気圧は、私の最良の友達。





…なわけないだろ!!!

あー!!!アッタマいっったい!!!!!!!

低気圧なんなん!!!!!!


みなさん、無理しないようにね…😭
猫暮も、今日はなるべく穏やかに過ごそうと思います。ズキズキ



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