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無名の『ストーリーテラー』たちの話。

こんにちは。ネコぐらしです。

少し贅沢をしようと買ってきたごま油が、思いの外なんにでも合うと気付いてしまった今日この頃。
いよいよカレーinごま油までも選択肢に入ってしまいゴマ油ニスト化がとどまることを知りません。

さて、今わたしはごま油を「宣伝」をしたわけですが、私に実利的なメリットはありません。


アフィリエイトならいくらかマージンが入るかもしれませんが、上のリンクをクリックしたところで、私には一円たりとも入りません。

純粋に「ゴマ油の良さを知ってほしい!」という動機から起こった行動です。混じりっ気のない自発的な行動、かつ、衝動的なものですね。

こういった衝動は、比較的ネットのどこでも観測できます。

amazonのレビュー。
映画サイトのコメント欄。
5ちゃんねるのBBS。

商品や作品に向ける熱量はすさまじいものの「自己」については言及をしない、「無名のストーリーテラー」たちの意見がネットには溢れかえっています。

中には「何者だろうこの人は?!」と思えるほどの見識と尖った表現力を持った語り手もちらほら。


今回はそんな「無名のストーリーテラー」たちのお話を深堀りしたいと思います。





過去の「ストーリーテラー」=「ブン屋」


これまで、ストーリーの語り部はどんな人達だったのでしょうか。

戦後間もない頃、編集者や雑誌記事所属の記者がジャーナリズムを掲げて義務的な発信を行っていました。

主な情報源は紙、つまり新聞や雑誌です。


現在のペーパーレスな時代にくらべて、当時のブン屋といえば、それこそ医者や弁護士のような専売特許的な権威を持った職業。

ブン屋である彼らの言葉はそのまま世論として伝わり、世の中の動きを左右するパワーを秘めていました。


一方で、特定の組織や人間だけが世論を操作できる環境というのは、閉鎖的なものです。誰かが「これだ」と声をあげたら、誰もがその声を基準に行動するしかない。


70年代に入り始めると、その最たる例である「テレビ」が参入し始めました。

選択肢は少なかったからこそ、純然たる思想家たち以外は、世論というものが極めて単純で、一方向にながれ続けるものに見えていました。

その一連のストーリーを普及していたのは、他でもないブン屋たちだったのです。


もちろん、この体制に異議を唱えるべく、「同人誌」活動が盛んになったことも事実。出版社の確保など制限が多い中、表現の自由について内に情熱を秘めた活動家たちは行動を起こしていました。

1885年、日本で初めて刊行されたという同人誌『我楽多文庫』
尾崎紅葉や山田美妙らが発刊した文芸誌で、小説や詩、短歌などが載っていた。

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https://rururu-p.com/article/1604


今の「ストーリーテラー」=「ストリーマー」


SNSの爆発的な普及により、「インフルエンサー」と呼ばれる個人が代登し始めます。新聞や雑誌といった媒体は、今だに根強い影響を持っているものの、嗜好品的なポジショニングも目立つようになってきました。

かつての発信媒体に「自我」はご法度。
中立かつ公正こそ、世にあるべきジャーナリズムの形でした。


ですが面白いことに、現在はむしろ突出した「自我」こそが、輝かしいものに映る。

それこそ、同人誌作家たちの粛々とした活動が、ついに日の目をみる時代が到来したのです。

数多くの人がインフルエンサーの人間性に惹かれ、そのカリスマ性を信奉する。結果としてインフルエンサーの背後にスポンサーがつき、さらなる付加価値を伴って商品の宣伝がなされている。


まさに多様化の波が芽吹いたように思えますが、少し気がかりな点があります。


「ストーリーテラー」たちが、また「ブン屋」になり始めた。


大手ストリーマーは、私も大好きです。切り抜きはよく拝見しますし、面白いショートがあれば何回でも再生してしまう。ライブ配信を行っていれば、ついつい観に行ってしまう。

しかし、100%自分の好みかと言われれば、そうではない。流行真っ只中ということも相まって、おそらく本心は50%もない。

彼らを見て盛り上がっている時は、本来の自分自身ではない感じがするのです。

この流行というのが、とても厄介なのです。

それこそ、戦後情勢を操ったブン屋たちが、ストリーマーやインフルエンサーと名を変えて代理登壇してきただけような、そんな印象を受けてしまうのです。



こういった流行に触れるときは、自然と人格が分裂したような気分になるのです。

具体的には、自分自身の後ろの少し上のほうに、もう一人自分がいて、そいつはストリーマーのショートを飽きもせずに眺め続ける自分自身を、ちょっと斜に構えて俯瞰しているのです。


この状態になっているときは「大衆迎合スタイルの幽体離脱」とか勝手に名前つけてます。ほんとに、私の勝手なイメージによる命名です。こんな言葉は世にありません。ごめんなさい。


解説すると、「自分の中にファン的意見もアンチ的意見も混在しているけれど「数字がでているのならきっと良いものだ」と無理やり自分を納得させて視聴している状態。」といった感じでしょうか。

どこか、腹の底では、まったく納得はしていないのです。


・・・

流れを前にした”個”は動かざるをえない。


当たり前で忘れがちなことですが、個人は集団の大きな流れには逆らえません。
その大きな流れを作り出すのは、集団の力かもしれないし、時にたった一人の人間かもしれない。

源流は小さくとも、川辺の小石や砂粒を巻き込み、削り取り、やがて大河となって大海にでる。その流れは長い時をえても衰えることなく、少しづつ、川辺や大地を切り取り穿っていく。

私もそこに流された哀れな一人の砂粒でしかない。

残念ながら、「体」は反射的に身構えたり、流されたりするよう出来ているので、こればっかりは捨て置くしかない。すなわち、「大衆に迎合するしかない」のです。

しかし、内側奥深くの核心部分だけは、どうにも譲りたくない。

物理的な身体から離脱して俯瞰をしなければ、核心部分そのものがどこかにふよふよと消えてしまう。
そうしないための思考の切り離し、つまりは「幽体離脱」なのです。


さて、幽体離脱した自分にちょっと意見を聞いてみると、やはり、歪な構造は過去も今も変わらない、と訴えている。


それはなぜでしょうか?


これを説明するのに、私の好きだったとある文化がヒントになるかもしれません。


Vtuber文化の「ストーリー」


わたしは、2018年頃に現れた「Vtuber」に大変衝撃を受けました。


今でこそ経済の一角といっても差し支えないほどのポピュラーな市場規模にはなっていますが、当時は「業界」ですらありません。

一企業の新規プロジェクトの一つに過ぎなかったのです。


しかし、結果的にそのプロジェクトは国内のみならず、世界的な大成功を遂げ、現在は生身の人間に並んで表彰されるまでの「個」として認められるまでになりました。ある意味で、記号に「人格」が認められた瞬間でもあります。

■日刊スポーツで取り上げられた「にじさんじ所属Vtuber叶さんの受賞の様子」

「第40回ベストジーニスト2023」授賞式で写真に納まる受賞者。左から市川染五郎、莉子、料理家の和田明日香さん、飯豊まりえ、菅田将暉、池田美優、松重豊、バスケットボール男子日本代表の富樫、株式会社三越伊勢丹の神谷将太さん、VTuberの叶(撮影・江口和貴)


現在のVtuber業界について、資本経済的な観点からみれば両手をあげて喜びべき偉業かもしれません。

ですが、わたしにとっては、先行きが不安なものにも映ったのです。

私がなぜVtuberに衝撃を受けたのか。


私の目になぜ「Vtuberが革新的なもの」に映ったか、理由があります。


それこそ「無名のストーリーテラー」たちが発信者として活動できる機会を、そこに見たからです。


ネコぐらしは芸能界にあまり興味はありません。

というよりも、本当は芸能界にもめちゃくちゃ注目していたいという願望があるのですが、そこには実体の見えない個人が乱立しすぎていて、「人間性」がさっぱり見えないのです。

スクリーン越しにみたって、正直わたしには感じるところがない。

映画は好きですが、「入り込んでいるその人」自体は見ていないわけです。
そしてメディアの手前、過激な発言は極力控えなければならない。

どうしても、人間性の大半がリップサービスで覆われてしまっている、といった印象が拭えずにいるのです。(逆に言えば、お笑い芸人さんはとても印象に残りやすくて大好きだったり。ウーマン村本、好きよ。私は。)

更に言ってしまえば、そんな良い子ちゃん的な姿勢よりも、「おれはもうタバコはやめた」とタバコをすいながら記者会見に臨んだ勝新太郎さんだったり。

勝新太郎さんの正直すぎる伝説の記者会見
https://blog.broadcreation.com/memo/90331.html


hiphopシーンにおける舐達磨vsYZERRのビーフ(抗争)のほうがよっぽど人間味を感じられて好きなのです。


「心のままに世間を穿つ」という表現が正しいかはわかりませんが、世論や流行に流されずに独自の世界観を歩く人間というのは、たまりません。

聞くだけ見るだけ関わるだけでも様々な欲求が満たされる。
それこそ、ここでしか得られない栄養があるのです。


さて、冒頭で紹介した「無名のストーリーテラー」たちを覚えているでしょうか?

私にとって、彼らは大きな「希望」だったのです。

個人が自らの世界観をあらわにできるVtuberという存在は、人間味を肌で感じることのできる最高の双方向コミュニケーションを示してくれた。

まさに「無名のストーリーテラー」たちが立ち上がった瞬間だったのです。
その発信者たちのひとりひとりと交流できる世界、あるいは自分もその「名もなきストーリーテラー」として活動できる世界。

その世界の圧倒的な広がりを、わたしはVtuberの中に見出していたのです。



Vtuberが現れた時にこんな夢を想像しました。


ああ、こうやって誰もがルックスや経歴を気にせず、無名のストーリーテラーとして続々と立ち上がり、世界が無数のコミュニティで満たされる。」

「その中で、自分の居心地の良いコミュニティを選んでいけるような、そんな自由な世界になるんだな!


・・・


だが現実は。


一言でいえば、Vtuber業界は「ストーリーテラーのブランド化」に舵を切りました。

すなわち、文化としての発展ではなく、資本主義の中での生存戦略の一つとしての急速な成長を遂げ、結果として人々を注目させたのです。

当然といえば当然です。


スポンサーや協賛企業がなければ根本的にハイコストな事業であるVtuberは立ち行かない。

現在、技術面の発展はめざましいものの、一般のソレと企業のソレとでは大きく乖離があります。資本がなければクオリティを担保できないのです。


結果として、ストーリーテラー足るには経済的な評価が不可欠になった

Vtuberは、それこそ芸能界になってしまったのです。

無名なストーリーテラーという概念はこの瞬間、業界の中で死んでしまった。Vtuber is Dead


不思議なものでこうなると人間味が見えなくなってくる。
もちろん、個人で新しく始められたVtuberさんもたくさん参入している。


しかし、業界の軸が芸能界に傾いている今「個人の人間味」に希望を見出している人は圧倒的に少数になりました。

つまり、いくら頑張っても小さなコミュニティに発展する前に立ち消えてしまうのです。

頑張りの方向に関しても、最終的なゴールが”経済的安定、関心興味の獲得”です。人間味の露出ではありません。

どうやっても軸がぶれているのですから当然続かないし発展もなくなってしまう。

かつてVtuberの圧倒的なウリであった「双方向性」
これが失われた彼らにどう人間味を見い出せばよいのか。
私には検討がつきません。

今や「芸能人」にならなければ「芸能人」に接点が作れないように
「Vtuber」と双方向になるには「Vtuber」になるしかない。

しかも知名度がなければ同じ土俵にあがれない。
果たして、これは「希望」なのでしょうか。


・・・

今後の『ストーリーテラー』


市場の経済価値は現在、変容しつつあります。
「お金(money)」から「関心注目(attention)」へ。


哲学者東浩紀さんの著書によれば、平和とは「喧騒がある状態」をさすといいます。

つまり、多様な文化が乱立しあちこちで声があがっている状態が平和の現れである。

大きな一本の大河の中で生活するのではなく、幹のように枝分かれした小さく無数にあるコミュニティがそれぞれ自由と信念をもって活動していく、ということです。


であれば次の変容は、

「関心注目(attention)」から「個人の行動そのもの(individual)」へ。

といった感じなのかもしれません。


今でこそVtuberという媒体は物理的な制約があります。

機材にお金もかかるし技術的なサポートも不可欠です。アバターも用意したり、ママを見つけたりしなければならない(※ママ = いわゆる、”立ち絵”の提供者。)

しかし、私達の手元にはスマートフォンがある。
15年前の今、一体誰がこの小さな謎めいた物体がここまで普及すると考えたでしょうか?


きっと技術的な格差は近い将来取り除かれ、今一度その存在意義が問われ直す時がくると私は信じています。


その時こそ、「無名のストーリーテラー」たちに焦点をあててほしい。


だれもがありのままでいられる世界の実現にはコミュニティが無数に必要なのです。

コミュニティ同士がぶつかり合い、その度に意味を問い直し、時には分裂を繰り返し、川はいつしか自然の植物がおりなすような”根ットワーク”になっていく。

私もそんな一介の植物としてありのままで信奉できる「無名のストーリーテラー」を探し求めているのです。


以上、取り留めのないお話でした。


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