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『成熟する』ってどういうこと?

今日も今日とて、友人との通話に花を咲かせる。

今回お話のなかで気になったワードが「成熟」

「成」長を繰り返して「熟」れていく。

「熟れる」って単語だけに着目すると「枯れる」「衰える」といった言葉も連想される。
けれど「熟れる」には、まるで消えていくかのようなネガティブなニュアンスは含まれていない。

熟達するとか、習熟するとか。ポジティブに前へすすんでいっている。
「完成系」とか「境地」みたいに、積み重ねた努力が実を結ぶってイメージがどうにも頭に浮かぶ。

精神的にもろいところがある猫暮にとって、のどから手がでるほど欲しい要素だ。


「成熟した大人が、子どもを育てられる」

話の流れは、出産や子育てに関することに。
話相手である彼女もまた、精神的なもろさを抱える人だった。

はて、この場合、成熟とはどういう意味なのだろうか。
私はどうにもひっかかって、深堀していく。

「精神的に不安な要素がある自分からすると、子育てに戸惑ってしまう。
 こんな自分が人を育てることなんてできるのだろうか。
 それに、きっと子どもも不安がってしまう。」

その想いは痛いほど共感できたし、私自身にも心当たりがありすぎる。

しかし、今回の話し相手である彼女には、彼女自身の魅力がたくさんある。
精神的なもろさって、すなわち感受性のつよさの裏返しでもある。

「子供視点にたって考えている」時点で、一種の成熟した考え方をもっているとすら感じた。

こうも続けた。

「親になった人って、どこかで覚悟を決めたのだと思う。
 子どもを産むぞ、って。」

人生をささげることを決意する、覚悟する。
ふと思ったのが、覚悟するから人は成熟する、ってケースもありそうだなと。
しかし、覚悟→成熟ベースで話を進めるにあたって、子育てって題材は大変センシティブ。
それこそ、自分の成長のために子どもを利用するなんて「無責任」だ、と取られてしまうことだってある。


「責任」と「覚悟」って、関連性があるようで、じつのところ平行線をたどっている。

いや、ちょっと言葉が足りない。
この場合、対比させるべくは「責任能力」の有無。
他人の「覚悟」が実行可能かどうか確認するための「責任能力」なのだろうと思う。

自分が「覚悟」すること、自分が「責任」を取ること。

覚悟は自身の内在的な世界で取り扱われる概念で
責任は外部の世界がその人の所在を取り扱う概念。

一致させるためには、「覚悟」を外在化させて「責任能力」って言葉に変換してやらなきゃいけない。
すると、そこに含まれていた「覚悟」のニュアンスは途端に失われてしまう気がした。

変換可能なものとして、体を形作っていたパーツが、まるでそっくりとイミテーションにすり替えられてしまうような感覚。

しかし、そのイミテーションたちはイミテーションなんかでは決してなく、経済的にはりっぱな意味をもっている。
肩書、収入、貯蓄、住居、環境、家族関係、人的資産。

これらがその人の「覚悟」すなわち「責任能力」を決めるものらしい。


さて、この要素たちのなかに「精神的な成熟」はどのように入り込むんだろう。
もとい、どのように外在化して判断されるのだろう。

どうも、私と友人が話していたことは、これらの経済的な価値を持つものを持っていなければ「成熟」していないと判断されるのでは、って論点になっていた気がする。


さらに疑問が浮かぶ。

こころのやさしい人が、成熟していくと、何事にも動じずに悩みを受け止める人になってしまうのだろうか?

宵越しのおかねをもたないような自由人が、成熟していくと、旅をやめて定職に就くのだろうか?

はかなげで魅力的な雰囲気をもつ人が、成熟していくと、輪郭がくっきりして存在感の放つ人になるのだろうか?


どうもそれって、「まるっきり別人」になろうとしているのではないかな。

熟れるって、冒頭でもちょろっと話したとおり「境地」とか「極める」って印象がつよい。
もしも別物になってしまったのであれば、それは「成熟」でなくて「責任能力」を追求しただけなんじゃないかなって。

たしかに、そういった人々に憧れるのは、資本社会で生きる私たちにとっては当然の反応だと思う。
「これが成熟のカタチだよ」って説得力もじゅうぶんにある。


でも疑問は膨らむ。

それも生存者のバイアスなんじゃないかとか。
意志がすり替えられてるだけなんじゃないかとか。

私がイミテーションって言葉をつかったのは、核心となる部分がまるっきり失われたように感じたから。

「らしさ」を責任能力たる要素とうまいこと重ね合わせて、要領よく生きられるならよい。

でも、重ね合わせる能力も、努力も、そもそも貨幣経済に適応しにくい要素をもっているかどうかも、すべては生まれもった時点で決まり、とても個人だけでは取り扱いきれない。

だから人は助け合っていくのだけれども、人に助けてもらえるよう「成熟」していく人は、はたして「その人らしい」ままでいるのだろうか。


不安定な自分は、なかなか変えられない。
私と話していた彼女は、たしかに不安定なところがある。

でもその不安定さがあるからこそ、共感ができる。話ができる。
魅力もたっぷりで、人とは違う。私にとっては、唯一無二の存在。
だから彼女のうろんな精神性は、そのまま成熟させてほしいと思った。

するとこんなお話に。

「私が子どもを産んだら、いろんな人に協力を求める。
 ベビーシッターさんとか、子育ての専門家さんとか、カウンセラーさんとか。
 単純に自分が10億とかもってたら、みんなで孤児院を建てるかもしれないね。」

たしかに。
それなら「らしさ」はそのままに「覚悟」も「責任」も納得いくカタチにおさまりそう。
思慮深い彼女は、しっかりと子どものためを想っている。

精神的に不安定と自負する彼女。
そんな彼女と話して「成熟した人」だなぁと、心の中で思った。


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