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超能力の類だと思う

 夢の中がリアルに感じられることがある。
 たとえば、それがうたた寝だったとしても同じことだ。背中の真ん中あたりをひょいと摘ままれて、なにかの、なんとなく膜のような弾力のあるところに放り込まれて、そして、その一枚内側に引き込まれたような感覚がする。眠るということはわたしにとって、そういう場所に行くことをいうのである。
 その場所は周りに何も無いことが感じられて、それこそが、実際に現実と同じような、ある種の注意力が散漫している自然な状態であると言える。

 それとは逆に、集中するというのはとても異常な状態に思える。
 殆どの人が、一点を見つめて、その場所から動かないだろう。なるべく椅子なんかに座ったりするほうがいいだろうし、カメラのピントを合わすように焦点を絞ってじっくり見る。そして、日常的に体感している時間をより濃くしたような時間感覚に自ら入っていく。頭の中は目の前で行われることだけ、そのことだけを考えることが好ましい。さらに人によっては、スローモーションに見えるなんてことも聞いたことがある。
 まったくもって、異常な状態である。

 でも大半の人は、注意散漫なボンヤリとした状態を良しとはせずに、時間感覚を歪めているような異常な状態を素晴らしいと賞賛するのだ。
 生きている間には、必ずこの異常な状態になるべきだ。できる事なら一秒でも長く維持するべきだと言ってくる。果ては、成功という餌をぶら下げて、集中できることが普通なんだと刷り込まれる。

 だから、「夢は起きてるときに見るものだ」という人が大嫌いだ。
 わたしは眠って見る夢が、大好きなんだから。
 じゃあ、仮に集中して成功をつかんだとしよう。その後に、あなたが欲しいのはなんだろう? 好きな人が隣にいて、または大事なものに囲まれて幸せだと思った瞬間に、ぷつんと電源が切れることが幸せだといえるだろうか。違うと思う。幸せを感じるためには、安心して眠る必要があるはずだ。
 そして、夢を見る。
 記憶に残らない、でも、ただ幸せだったと感じる夢を見る。
 ここまで繋がって、はじめて自然な状態だろう。
 
 でも、まあ、異論は認める。人にはそれぞれの生き方があるし、見たくても夢が見れない人もいるかもしれない。そんな人たちの幸せを否定する気はないから。他人には他人の乳酸菌である。
 それでは、異常な世界で自然に生きましょう。
 
 
 


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