見出し画像

さらばじゃがいも、二度と戻ってくるなよ

この一年あまりのあいだ、いろんなことが起きた。
 
思い起こしてみるとなんとなくこのあたりから、というのは前の前の12月のことで、忘年会の帰り道に今まで経験したことのない頭痛に襲われ、吐き気と脂汗まで出てきたので怖くなってタクシーで救急外来に駆け込んだ。MRIまで撮ってもらい、結局なんともなくて安心したものの、その後しばらく急に体調を崩すことが続く。なお、その際お気に入りのピアスを片方失くしてしまった。
 
その年明けの正月には、こんどは飼っているねこが異物を食べて救急病院に駆け込む羽目になる。その子の治療を数ヶ月つづけているうちもう一頭のねこが急に体調を崩す。二頭の治療に毎月毎月家賃分ほどの費用が飛んでいき経済的な困窮に陥る。そうこうしているうち20年来の友人がうっかり突然逝ってしまう。おまけに、悲しくて悲しくて毎日泣いているのに仕事でかかわった人がわたしを支配しようとして、ひどい圧迫をかけてくる。半年ほどのあいだに数珠つなぎに起こるできごとに小突き回され、わたしは疲れきっていた。
 
だからわたしはわたし自身の心身のメンテナンスを切実に求めて、信頼している整体の先生のもとへと向かった(この先生のことについては、詳しくはこちらに書いたものを読んでほしい)。「わたし、もうへとへとなんです。助けてください」とだけ訴える。先生はおそらくのところ、からだの各部位のようすにその人が生活を営む上で遭遇したできごとや心情などの痕跡を読み取っている。治療中、その読み取ったものを誰に告げるでもなく口にする、その独特の表現を聞くのがわたしの毎度の楽しみなのである。あれこれ事情を説明しなかったのは、このふしぎな先生が今回はわたしのからだに何を見て、それをなんと言い表すのか興味があったからだ。ちょっと試すような気持ちがあったことも否定しない。
 
ものすごくざっくりとした愁訴を意に介するふうもなく、先生はいつもどおり風変わりな施術を開始する。しめて1時間ほどの施術時間の後半に差し掛かろうというころのこと、先生は脈絡もなくつぶやきはじめた。
 
「イロコさんは……太陽……」
 
不可解。イロコさんは太陽のように明るいタイプ、などとこの先生はぜったい思ってないってことだけはわかっている。つい聞きかえす。「えっ。太陽ですか!?」。先生は、難しい顔をしてわたしのからだをあちこちさすったり曲げたり伸ばしたりしながらつぶやきつづける。
 
「イロコさんは……太陽系の太陽……周りを衛星が回ってます……でも……太陽として輝けないときもある……それは……」
 
「そ、それは…?」
 
「衛星が……じゃがいもだったりするからですよ……」
 
「……じゃがいも、ですか」
 
「そうです。じゃがいもです」
 
わたしはひそかに、少なからずショックを受けていた。そうか。わたしは太陽。一般的にいえばとてもいいものに例えられた気がするのだが、だけど周りをまわってるのはじゃがいもなのか。衛星がじゃがいもな太陽。いかにも輝かしくない。情けない。ついてない感じすらする。
 
そのイメージを受け止めきれないわたしに、さらに先生は穏やかにこう言った。
 
「でもねイロコさん。じゃがいもを呼び寄せてそばにおいてるのは、イロコさん自身でもあるんですよ」
 
言われていることがよく飲み込めないながらもすでに心うちには、じゃがいもばっかり寄ってきやがってと被害者意識すら芽生えかけていたのだが、この言葉を聞いたとたん、視界ががらりと変わったのが自覚できた。そのときわたしがもっとも苦しめられていたのは、仕事を一緒にしましょうと声をかけてきた人が、仕事上のパートナーであったはずなのにわたしをさんざんにぺちゃんこにしたうえで従わせようとしてくることだった。怒鳴りつけ、お前はこんなに至らないところがあると指摘し、いっぽうで自分のちょっぴり弱い一面を見せるなどして感情を揺さぶったうえで、だからお前はここにいろ、と部屋の隅に追い詰めてくるかのような振る舞い。これに対してわたしは決して負けまいとして抵抗し、なんとか対等に関わり合えないものかとできることはしていたつもりだったが、努力はむなしく空振りし、無力感だけが積み重なり、それでも関わりを継続しようとしてもがいていたのだ。しかし先生のつぶやきを聞いて、手の中でガチャガチャといじくりまわしつづけていた知恵の輪があっさりと外れたような気分になった。なんだ、わたしが星だと思いこんで大切にしようとしていたこれ、よく見たらじゃがいもじゃねえか。
 
治療が終わったあと、先生にはわたしがおかれている状況を説明した。事業のパートナーがわたしを支配しようとしてくるんです。先生の言うとおり、じゃがいもですね。わたしはこれからどうしたらいいんでしょう。すると先生は、満面の笑みを浮かべてこう言い放った。
 
「そんなの決まってるでしょう?やめるんですよ!!」
 
そう、ここまできてもわたしは、衛星のふりをしてぐるぐる軌道を描くじゃがいもを取り除くという選択も自分自身でできるのだということに、まだ思い至っていなかったのだ。
 
相手の振る舞いは、本人は無意識なのだろうが典型的な洗脳と支配のやりくちだ。そう、典型的。X JapanのTOSHI著『洗脳』などを読んで知っていたはずなのに、いざ渦中にいると、状況を自分の努力で改善しよう、できるはずという思い込みが生じてその場に居続けようとする。その態度すら、自分の選択のようでいて実際には自分の選択だと思い込まされた、支配の一環なのだ。こうなるともう、負の結界のようなものが油膜のように全身を包みこみ、それは危険だと理性と愛情に満ちた助言をくれる友人たちからも、自分を大切にしようとする自分自身からも隔てていく。
 
知恵の輪が外れたあとも、わたしは両手にそれらを抱え、ねばねばとした油膜の中でぼうっと立ち尽くしていたようだ。いま思えば無意味なことだとわかるのだが、まだその残骸をなんとか穏便に処理しようとしていたように思う。そこへ先生が投下した「やめる」という三文字は、油膜を一瞬にして分解する強力な液体洗剤のような効果を発揮した。急に視界が開け身も軽くなり、両手に抱えた残骸を投げ捨ててここから出ていこうという準備がやっとのことで整う。なぜそこまで劇的な化学変化が起きたのか、いくら考えてもうまく説明できないのだけれど、とにかくそれはとても幸運なことだった。
 
こうしてわたしはなんとか危機を脱した。仕事のパートナーの約束は解消したのだ。もちろん、そのあとも簡単にはことは運ばなかった。怒りと恐怖、不安、自信のなさなどのさまざまな感情にさらされ、へこたれそうにもなった。でもその都度友人たちに支えられながら乗り越えて、数ヶ月かけて、きらめく星だと思っていたじゃがいもの切り離しに、どうにかして成功したのだった。
 
このあとわたしは勢いあまって、さらなるじゃがいもの切り離しへと着手することになる。
 
つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?