パリでバイトした時のはなし2〜肩を張らずにフランス135
日本の学生時代にバイトの経験はあった。
塾の講師と家庭教師。
レストランでのバイトは初めてだった。 4ヶ月ほどのフランス語で普通の人たちとどこまでコミュニケーションが取れるのか心配だったが杞憂に終わった。レストラン内での会話なので注文と支払いとあとちょっと喋るくらいで必要に足りた。
内向的な性格だったので度胸がついたのは大きな収穫だった。テーブルを見まわし必要とあれば自分から出ていかないといけない。怖いとか思う前に体が動くようでないとやっていられない。まあ仮にわからないことがあったらギャルソン仲間かパトロンがいるのでにっちもさっちもいかなくなることはなかった。
夕方の開店前には賄いが出るし、終電前にはキッチリ終わった。ひょっとすると学生生活より規則正しかったかもしれない。
時たまギャルソンの先輩と飲みに行った。何軒か梯子をしてその人のアパートにごろ寝しに行った。
今より治安が良かったのは間違いない。危ないとか怖いとか思う事はなかった。脅されたり追いかけられたりすることもなかった。
4ヶ月間のバイトの中身は特筆する事はない。あえて挙げると、ジャン・ポール・ベルモンドとパトリシア・カーズが店に来たくらい。パトリシア・カーズに « beigné de banane »を出した思い出はしっかり残っている。
あちこち歩き回る時間はあったので短い期間をフルに利用した。教会や博物館、コンサートやオペラにも行った。サンジェルマン教会でのフォーレのレクイエムは感動ものだった。4ヶ月は実家の大阪の次に長い滞在になる。東京は知らないがパリは一応知っていると胸を張って言える。
90年代のパリの空気はまだ古き良きパリの名残があったかもしれない。近代化したとはいえ場所と時間に関係なくぶらっと歩きに出ても、見えるのは普通のパリの街並みだけだった。
18区の « Pigalle »ピガールの歓楽街、20区の « Belleville » あたりでも時間さえ選べば普通の区域だった。今では昼間でも足を向けないほうがいい場所がある。
パリの治安の問題は、住んでいるわけでもないし、情報として聞いているだけなので知ったかぶりをするつもりはない。パリには知人が何人かいてそちらから聞く事はあっても明るい内容じゃないのでここでは割愛。
翌年には2ヶ月だけだが同じレストランで同じバイトをした。部屋は便器とシャワー付きにした。電子ピアノまでレンタルして螺旋階段を6階まで持って上がった。
今はこのレストランは無くなってしまった。いつだったかサンジェルマンを歩いた時店のあった前を通ったが、何もなかった。
« Les Deux Margots »は人で賑わっている。サンジェルマン教会はそ知らぬ顔で立っている。30年以上経っても変わらないものもある。
ちょっとホッとする。
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