ばらゐろの人生

わたしがはじめて物語とよべるものを書いたのは、まだ4歳だか5歳だかのときだったような気がする。

通っていた幼稚園を想像して、運動会のかけっこに望むふたりの幼稚園児の話を書いた。

今のわたしはもう成人しているのでかなり昔の話だが、わたしにとっては人生でいちばん忘れられない記憶だった。B5サイズの紙を10枚だか20枚だか使って、はじめて形にした「物語」は、当時の年齢を考えるとかなりできたものではないだろうか。それから15年以上経った今でも、わたしは趣味として小説を書き続けている。わたしは、さまざまな人間のさまざまな生き方を描くのがまだほんの子供のころから好きだった。


物心ついてからのわたしはとにかく好奇心旺盛で、多趣味で飽き性、という言葉が最も似合っていると思う。ピアノも、水泳も、書道も、ダンスも、お絵描きも、スケートも、すべてわたしの幼少期の趣味だ。小学生のころは、5つだか6つだかの習い事をかけもちして、多忙な毎日を送っていた。それが「趣味」だった。

わたしはとにかく好きなことが多い人間で、前述のような誰しもが想像しうる趣味も持っていたし、高校生になってからいまに至るまでのわたしは、アルバイトさえも楽しかった。わたしは、わたしの周りにあることはなんだって楽しくて、なんだって好きになった。


それは裏を返せば「集中力がない」ともいえる。わたしは、このなんでも好きになる性質のおかげで、あらゆることを人並み以上にこなすことができるが、なにかひとつを極めることは苦手だった。かならず、途中で別のことがしたい、と投げ出してしまう。そのくせ数ヶ月や1年もすればまたこれがしたい、となるのだから厄介なことこの上ない。わたし自身ですら思うのだから、親はきっとわたしを育てることに苦労しただろう。


ひときわ好きなことがある。

わたしは、文字を書くことが好きだった。言葉を、文章を紡ぐことがなによりも楽しくて、わたしはひたすらノートに文字を書き綴った。それは単にひらがなでも、漢字でもよかったし、意味のある言葉や物語でもなんでもよかった。わたしは思う。文字には、世界がある。


俗にいう共感覚とはきっとまた違うのだが、わたしは文字を書くとき、その背景を夢想した。一文字一文字にかたちが、触覚が、背景が、色があって、わたしが紡ぐ言葉はすべて、その背景が美しくなるように、パズルのように組み合わせた。

文字は、わたしの世界だ。


わたしがこれまでまだ決して長くはない人生のなかでもっとも愛した文字で、わたしが好きになったたくさんのものたちについて書く。これほど素敵なことがあるだろうか?


わたしの人生は、わたしのものだ。

わたしの人生を楽しくするのはわたししかいないし、わたしの人生を楽しく生きるか、つまらなく生きるかはわたし次第。わたしは、できるなら前者がいい。


自分らしく、自分の好きなように生きるのは、「ナルシスト」、「意識高い系」、そんな言葉で言い表されるときが比較的けっこう、あると思う。

けれどわたしは、できるなら他人の目なんて気にしたくはないし、できるならわたしのしたいように生きたい。ナルシスト万歳。わたしはわたし自身のことを、だれよりも好きになりたい。


だってわたしの人生だもの。薔薇色じゃなきゃ意味がないでしょう?


西暦2019年7月24日。

これはわたしの人生を薔薇色にするための1ページです。




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自己紹介

文字が好きで多趣味な現役女子大生が好きなものや感じたことについて書き綴ります。あと主に少女を題材に短編小説も書きます。