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英詞で聴くOUROARBOROS

あと何日が待てばNot Secured, Loose EndsのCD音源を盤として入手できるようになる。
僕はひと足お先にそのアルバム「OUROARBOROS」のダウンロードカードを入手して音だけは何度か聴いてきたのだが。
実際に歌詞カードを手にしてつれづれの日本語詞と比べるともっと深掘りできる発見もあるだろうが、僕なりの拙い英語リスニング能力と初見ライブでの印象も交え、また日本語詞を知らない海外のフリークスはどういった印象を持つだろうか、
そういえば以前、海外の群青さんから「つれづれの楽曲の歌詞の意味を知りたい」ってDMを頂戴したことがあったので、そのうちの何曲かを僕なりに英訳したこともあったんですよ。
といってもGoogle先生やWEBLO先生に頼ったりして。それでもそれなりにメロディに乗りそうな語感を心がけたりして。
僕が解釈して翻訳した英詞と比較するとこれがまた
結構異なる箇所があったりしてまた面白いんですね。

等々の角度から本作「OUROARBOROS」を鑑賞するための一つの手がかりにでもなれば幸いかと思います。

それでは本編いってみましょ。

M1:行方不知ズ徒然
全文英語詞と聞いていたのにのっけから何故タイトルが日本語(というか漢文調)なのだろうか?という疑問符にぶつかる。そのまま「Not Secured, Loose Ends」と題すればよかったのに──とも思ったが、「ゆくえしれずつれづれ」と「行方不知ズ徒然」はイコール関係ではないのだし、これもまた理に適っているのかな、などと。

M3:Ways to Die
中盤で「Ladies and Gentlemen, Hi,have you seen」と聴こえるのは「紳士淑女の皆様、ご機嫌麗しゅう〜」という、おなじみだったつれづれのMCから「ゆくえしれずつれづれ.jp〜」と、実際の当時のURLとは別のそれっぽいワードでインターナショナルな自己紹介をするパートだったのだが、yukueshirezutsurezure.jpと紹介するのはどうなの?って思った。尤も、tsurezureのドメインもnsleのドメインも保有していない現在、どっちみにそれはフィクションに過ぎないのだが、海外のリスナーのみならず新規リスナーにyukueshirezutsurezure.jpは伝わらないだろう。

尤も最近のネットユーザーは、検索画面やQRコードやオートリンクから直接アクセスすることがほとんどなのでURLを手動入力することもほとんど無くなった。先日のライブでも感じたことだが、海外へ進出して新しいファンを増やしてゆきたいのか、それともつれづれを知る"群青の亡霊"たちを充てにしているのだろうか…もちろん白黒ハッキリつければいいってもんじゃないし、あわよくば二兎を得ようという心もclearlyに見透えていたりするのだが、そういった着地点の無いモヤモヤさもメタ視点で「Loose Ends」なのだと割り切ってしまうのが「健全」なのだろうか。

というわけで白と黒と嘘。

M2:Lie-and-Black-and-White
と今作では題されているが、日本語圏だと「白黒」と言うのに対して英語圏ではマイケル・ジャクソンの曲にもあるように「Black & White」と順序が逆な文化の違いも面白い。

M4:ideology
この曲はLoud Asymmetry以降ラウド路線に舵を切ったつれづれにとっては比較的"静かな曲"だが、冒頭のベースとバスドラの重厚感がたまらない曲。
イントロの終わりにぼそっと「pray」と歌詞が乗っかり、そこの元詞に「祈る。」とあるのだが、歌詞カード及びその予備知識が無い人はそれを「play」と解釈してしまうかもしれない。厳密に発音の違いはあれど、前後の文脈から同音異義語を読み取ることも不可能ではないが、メッセージを伝えるということは実に難しいことだなと思った。

1'09"〜のポエトリーリーディングもまた英詞にリニューアルされているのだが、そこはオリジナルではまず「ねえ、過去の残像に囚われているのは私だけ?〜」と始まるのだが、その「ねえ」と呼びかける部分が「Hey」に変わっていることに「えっ?」となった。
イントネーションも母音も辞書通りの意味としても間違ってはいないのだが、その呼びかけるシチュエーションとして「えっ?」となったのである。
『「はぁ」って言うゲーム』というリクリエーション系のカードゲームがある。そのゲームでは、その「はぁ」がどんな感情の「はぁ」なのかを当てるという。「はぁ」の他に様々なニュアンスを含む感嘆詞のカードも入っている。
それと同様に「ねぇ」一言とっても、「Hey」一言とっても様々なニュアンスが含まれていて、それを使い分けるのは日米英とわず難しい。
とりわけこの「ideology」に関しては、わざわざ律儀に呼びかけなくてもよかったような気さえする。
呼びかけというよりも、「えっと」「あのさあ」のニュアンスに近いんじゃないかなって。
ちなみにですけど、小生が「Wish/」を独自に翻訳した際、Bメロの「ねぇ、いつか、許されるの…?」を確かに「Hey, Will be forgiven someday ...?」と翻訳していた"前科"もあるので(Wish/の「ねぇ」はもう少しトーンが高いのでHeyもしっくりきやすいとは思う)、確かに「Hey」は汎用性が高いんですよ。
ゆえに演技力というか表現力が問われる一言だと思うんです。
ほんと細かいことで申し訳ないんだけど(笑)、……って過去の残像に囚われているのはどうやら僕だけのようで。
おあとがよろしいようで(笑)


ポエトリーを聴き進めていくとその中の1'25"〜あたりのNothing by yourselfやRealityなどが聴き取れる部分にLUNA SEAの「ROSIER」の間奏でのベーシスト+によるポエトリーと重なるものを僕は感じた。
伝えんとしてることは勿論異なるのだが、NothingもRealityも「発音して"映える"英語」なのであると思う。
かつて齋藤孝氏の著書で「声に出して読みたい日本語」というのがヒットしたみたいに。

「ROSIER」/LUNA SEA

まあ「Reality」は「その現実を直視したくない」の部分に該当するのだが本旨通りであるのだけど。

更にエンディングの元詞の「大空星」を表現するのに今作では「universe」と訳してある。インベーダーゲームが大流行した1970年代では「space」と表現するのが(日本人的に)主流だったし、マツダのスポーツカー・パーソナル高級車の名前に冠された「cosmo」もまた「宇宙」であるが、いづれもその「宇宙」は、人類がアポロ計画で月面着陸した頃の、地球外への進出というフューチャーリスティックな「宇宙像」なんですよね。
しかしここのメロディでの相性やスケール感を伝えるにはやはり、人類が誕生するよりも遥か何万光年の昔から存在している宇宙を想起させる「universe」だろうと思った。
20世紀に産まれた日本人的な言語感覚としては。

そして先日eggmanでのNSLE初お披露目ライブ(某ネット記事ではzionで始動したとか書いてあった。歴史改竄すんな!)でのideologyのエンディングで僕が元詞に沿って「求め続けるの君を」とメイちゃんに手を差し伸べていたパートは「I'll searching for you」と聴き取られ、「君を」のメロディに乗せて「I for you」と畳み掛ける部分は素敵だと思ったし、そっか元詞は「君を求め続ける」で意味が伝わるのに倒置法を使っているんだなと日本語の奥深さも改めて感じられた。

M7:MISS SINS
この曲はかつて僕が群青として命を燃やしていた頃からの最も思い入れの深い曲と言っていい。
その時々に最高潮の曲はさまざまあれど、MISS SINSが好きということには連綿として譲れない気持ちで相変わらず居る。ゆえにこのピアノが絡む性急なイントロが流れると条件反射的に感情のスイッチが入ってしまい「そう声がするどこからか掻き乱す」と奏でるまれ・A・小町の声を探してしまう自分がいる。
NSLEver.を聴くことはある意味で違和感との闘いでもある。それとこれとは別だと頭で分かっていても、とうしてもそううまくらいかないものである。
また、NSLEver.に聴き慣れることは、つれづれver.を風化させてしまいそうで怖いのである。

3年近くもの間、感情を封印するように聴かずにいたつれづれのMISS SINSを立て続けに3ver.聴き比べている。いづれも「そう声がする〜」は小町パートから始まるのだが、今聴き比べてもそれぞれのver.その時その時の気持ちが色褪せることなどなく、鮮やかに聴くことができた。

それまでのつれづれといえば、リーダーの◎屋しだれがシャウト・スクリーム等の"げきじょう"のインパクトを牽引し、"だつりょく"等その他の要素を他のメンバーと共に構成していったという構図でもあった。

ポストカタストロフからつれづれにのめり込んでいった僕にとって、MISS SINSは"初めての新曲"だったし、そのジャケットワークスで小町がセンターポジションに登場したことも僕にとってはとても胸昂る展開でもあった。
それだけに落ちサビでの「君が君で在るのなら…」が不明瞭だったのが僕には残念だった。
僕の極私的な思い入れを抜きにしたとしても、MISS SINSにおける「君が君で在るのなら…」は楽曲の肝であると。
かつて僕はその箇所を「If you are what you are」と訳した。
「If」という「もしも…なら」よりも「君であってほしい」という願望的な意味合いの方が深いのかもしれないが。しかし僕はあえて「君が君で」と「君」を重ねて語る「君」への想いを「you are」を重ねることによって表現してみた。

ゆえにその思い入れの深い「君が君で在るのなら…」が歌詞もパンニング(音像定位)も埋もれてしまっていたのが残念だった。

M8:Post Catastrophe
Ways to Dieの「〜tsurezure.jp」での持論とは異なるのだが、この曲のサビの文末での「Tsurezure」と言う英訳しきれぬままに表現している箇所は僕は素晴らしいと思った。
「富士山」を「FUJIYAMA」、「切腹」を「HARAKIRI」と、そのままの概念として言語化させるような清々しさというか。
何でも遮二無二に英詞にすればいいものではないと思うし、「徒然」という価値観が英語圏では翻訳しがたいものでもあるとも思う。そして何より、このメロディに乗せる言葉として「Tsurezure」は切っても切り離せないほど相性がいい語感だと思う。
もう一つ余計なお節介になるかもだが、この箇所の英詞を「Too late to loose ends」と「空耳アワー」的な遊び心を交えても面白かったんじゃないかと思った。

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と、まあ「逝キ死ニ概論」などについても書いておきたかったのだが、CDがリリースされてしまえばこのブログの価値も無くなってしまうんで(笑)、取り急ぎではありますがファースト・インプレッション的に公開しちゃいました。

実際に歌詞カードを手にすれば聴き間違えなどもあるでしょうし、歌詞カード付きのCD入手後に「改訂版」というか「続編」的なのも書くと思います。たぶん。

2024.01.08.
Лавочкин(らぼーちきん)

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