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君の味方で在り続けること

途中まで書いていた2月24日の中野でのライブからもうすぐ一ヶ月になろうとしている。伝えたい気持ちはすぐにでも伝えるべきなのに、日々の労働に追われて後回しになってしまった自分を不甲斐なく思う。

いつも笑顔でいることって大変だし時にネガティブな感情が鬱積することもあるだろう。
だけどそれを一人で抱え込んだり笑顔を振りまいているだけだと、自分の感情が乖離してしまうこともあるかもしれない。
泣きたい時は泣いてもいいんだよ。

僕だって日々を過ごしていれば泣きたくなることも、死にたくなることだって…
いや、死にたい──などと考えるのは、「死にたい」という短絡的な言葉に集約させてしまう甘えですら思う。と僕は考える。

僕の場合、メンタルがヘラってるというよりも、フィジカルを酷使するあまりに、文字通り「死ぬほどつらい」状態になり「死んだほうが楽になれるのかな」とふと思うことのほうが圧倒的なのだが。
よくメンタルがやられると体調を崩すとか聞くけれど、近年の僕の場合はフィジカルがやられる余りにまともなはずの思考回路さえも疲れて動かなくなる、というか。

この下書きを書いている時点と、これを清書として公開している時点とでは僕の心の波の浮き沈みも変動していて、もしかしたらめっちゃポジティブ躁アッパッパー状態にあるかもしれない。
だけど時に、こんなダウナーな気分にもなるよ。って話。
これを今読もうとしてくれている君もまた、その時の気分によってはこの文章も余計なおせっかいにしか思えないかもしれない。

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「必死に生きる」だとか「一所懸命生きる」だとかよく言うけれど、どちらも大切な自分の命を賭してまですることか?って思ってるよ、
心の中では。
うつ病の人に対して「頑張る」という言葉は禁句である───とは臨床心理学の場でよく言われる言葉だそうだが、実際僕自身も「頑張る」って言葉にどれほど苦しめられたことだろうか。

親より先に死ぬことは最大の親不孝だとか言うけど、そんなの死んでみなきゃ分からないし、死んでみなきゃわからないってことのだいたい全部は、生きてみなくちゃわからないことでもある。

そうやって屁理屈こねたりして、なんだかんだ「生きる」方の選択肢を選んで、こうして今に至るわけだけれども。

カート・コバーン、シド・ヴィシャス、ジミ・ヘンドリックス、尾崎豊、X JAPANのhide…
彼らは全員が自ら命を絶ったわけではないが、ロックヒーローたるものは若くして死ぬものだと、僕はそう思っていた。
そんなヒーローたちに憧れながら、いつしか僕は彼らの年齢を超えてしまった。
ま、15歳なんですけどね。今年も。

ロック音楽は生と死を歌う作品も多い。
これと言ってどの曲の歌詞に感銘を受けたとかでは無いけれど、彼らの「生き様」や「死に様」を見て、時に憧れたり、時にアンチテーゼとして、なんだかんだで僕は生きている。

僕が生きる理由───
なんて大げさなものではないし、「俺が生まれてきた理由〜♪」だとか"ガチ恋口上"を叫ぶわけでもないが。

僕がずっとTwitterのアイコンにしている白い猫、名前は「ミル」といって、自宅の裏庭の物置小屋で弱り果てていた仔猫をうちで世話するようになり、与えたミルクを美味しそうに飲んで元気を取り戻していったことから「ミル」と名付けた。

ミルは近所の野良猫たちとのケンカも絶えず、傷だらけになって返ってくることも度々あって動物病院へ連れて行くことも度々あった。
やがて凛ちゃんという猫もうちで暮らすようになり、凛ちゃんが外でケンカに巻き込まれそうになるとミルが出ていって敵猫を追い払うようになっていった。ミルは近所の誰もが一目を置く存在になっていた。

ミルが凛ちゃんを守るように、僕もまたミルの長寿をまっとうできるように守ることで、なんとか命拾いしたという側面もあった。
バンド活動も行き詰まり、楽器を触ることも音楽を聴くこともできずに塞ぎ込んでいた何年間もの日々、それこそ僕は「死に場所」を探すように日々を過ごしていたのだが、そういう時に限って祖父の葬儀に立ち会うことになったり、ミルが傷だらけで帰ってきたり、そういう事実に直面して皮肉にも生かざるをえないじょうきょうになったりもしながら。
「大切な誰かを護るため」に生きる。
ということを僕はミルから教えてもらった、そんな気がした。
その日から僕はTwitterのアイコンをミルの写真にしている。
ミルがお空に旅立っていったのは8月6日のことだった。
奇しくも僕の誕生日は8月7日。
そういうのもあって、年の時系列は合ってないが(笑)、死ぬべきだったはずの僕の命はミルによって与えられたものだと思っている。
もちろん父さん母さんにも感謝しなきゃいけないのだが。

そんなミルをアイコンにしている僕のTwitterのプロフィールには、「ゆくえしれずつれづれのまれ・A・小町は永遠」と書いてあり「KAQRIYOTERRORのノア・ロンド大好き」とも書いてある。
いづれも自他ともに認める、いわゆる「推し」というものであり、ロンドちゃんへの好きは、つれづれの解散後に高まっていき、ロンドちゃんもまた僕が相変わらず小町のこと想い続けているのを知ったうえで、そんな僕のことをいつも気にかけてくれていた。この経緯については話せば長くなるし、弊ブログの過去記事を読んていただければその片鱗も理解していただけるだろう。

しかしそれは「推し変」だとか「推し増し」だとか、そんな単純な言葉でまとめられるものではないと僕は思っている。
名前としてのまれ・A・小町も、名前としてのノア・ロンドも、今は存在しない。彼女たちは今もどこかで達者で暮らしているかな、などと想いを馳せることはあれど、その行方を詮索したりはしない。
いつかどこかで偶然の再会を果たして、あの頃は楽しかったね、などと笑い合える日がきたらいいな、などと夢想している。
無双すること、それだけで僕は救われた気持ちになる。
彼女たちもまた、あんな可笑しな人いたなー、なんてどこかで僕のこと思い出してくれたならば、こんなに嬉しいことはない。

ゆくえしれずつれづれは解散をし、
KAQRIYOTERRORは事実上の解散状態になり、
Not Secured Loose Endsとしてメイちゃんはつれづれの歌と魂を受け継ぎ、
元RЯ(ありゃ)ことセイちゃんとは、KAQRIYOの頃よりもたくさんお話をするようになった。

「思い出なんかにしたくない」
そんな気持ちをずっと抱え続けてきてつれづれの音楽もKAQRIYOの音楽も聴けない年月と日々を過ごしてきたけれど、やはり時間の経過がそれを昇華させてくれるようで、だからこそ走り続けるメイちゃんやセイちゃんとも向き合って笑い合っていられるわけでして。

「あなたにとっての推しとは」───

現在、事実上最も多くライブに足を運ぶグループの中で好きなメンバーを指す、それがきっと「模範解答」なのだろう。
しかし僕のTwitterのアイコンを変えないように、プロフィールの文言からも小町やロンドちゃんの名前を消すつもりもない。

しかし「大切な誰かを護るため」に生きる。
僕の中にあるideologyのようなprideのようなもの、それをどう体現し続けるか、その命題に対する回答は、今を頑張る者に寄り添い、共に頑張る。
それなんだろうな。

単に音楽を楽しみたい、それだけで僕はライブハウスに足を運んでいるわけではない、という自覚はある。
なぜならば、ライブハウスで生の音楽に触れていると「早くお家へ帰ってギター弾きたい」という衝動に駆られることも少なくない。
それでも終演後もライブハウスに居残って彼女たちとチェキを撮ったり歓談をするのは、彼女たちを応援したいという気持ち、「大切な誰かを護りたい」という気持ちが今も僕の中で息づいているから、なのだろう。

「◯月◯日は大切なライブなので絶対に来て!」
と懇願されれば、その熱意に応えたくなるのが心情ってやつだが、しかし僕はあえて「何がどう大切なの?」ってワンクッションを置いて考えるようにしている。
もちろん僕自身の都合にもよるし、毎日どこかで誰かしらが、「絶対に来てほしいライブ」をしている。
大切じゃないライブなんて無いはずだ!
なんて綺麗事も言ってみる。

たとえば演者にとって「さほど大切じゃないライブ」があったとしよう。それは平日の空いてる枠を埋めるようなものかもしれないし、定期的に同じ箱で開催されるものかもしれない。
しかし"そんな"ライブが、初めてそれを観に来たお客さんにとっては「一生忘れられないライブ」にもなりうるし、一方でそのライブにがっかりした人にとってはそれは「最後に観たライブ」にもなりうる。
「大切」の基準は人それぞれであるし、様々な価値観や好きな曲も異なる観客たちを全員満遍なく満足させるライブというのも難しい。
とどのつまり、全力でライブに向き合ってる姿、それこそがより多くの観客を惹きつけ説得させるものになりうるのだろう。

加入メンバーとしてデビューしてみてまだ間もない君のファンというもの、Twitterのフォロワーというものが少しずつかもしれないが着実に増え続けている。配信をすればコメント返しが追いつかないほどの人が来るようにもなった。

君は次のライブに来てくれる「茶道部」(すあま推し)が一人も居ないんじゃないかという不安と焦燥に駆られている。グループ内の他のメンバーを推すファンならきっと誰かしらが来るだろうし、他のグループのファンもまたそのライブを一緒に盛り上げて楽しんでくれるだろう。
しかし君が求めているのは他の何色でもない水色のペンライトがフロアーで揺れている光景であって。
それは君が配信を通じて打ち明けてくれたから僕が知れたことであって。

僕自身も、そろそろまたすあまちゃんに会いたいなーと思いつつも、24日の中野よりも23日の高円寺のライブに行くつもりで準備をしていた。
というのは、高円寺の方は錬日乙女個色にとっては珍しく対バンにロック系なグループがより多くあったし、すあまちゃんにとって初めての撮影可能ライブだったから。

しかしすあまちゃんは体調不良のため23日のライブに出演することができなかった。
週末は家の用事もあることだし、大人しく過ごしていよう。
そう考えていたら、すあまちゃんがいつになく危機感を抱いていた。
明日の中野でのライブに来られる「茶道部」が誰もいないんじゃないかと。

こういう時こそ僕が行かなければ。
という謎の使命感に駆られた。
前回の弊ブログにて

君のためにつばさになる
君を守りつづける

などと口ずさんでいたことだし。
「いつ行くの?今でしょ!」
と林先生から背中を押されるようにして僕は中央線に飛び込んだ。
(「日本印度化計画」/筋肉少女帯)

カレーはなんて辛いんだぁ〜!
って舌鼓を打つほどの時間の余裕はなく、僕が中野ZERO小ホールに着いた頃は、錬日乙女個色の一つ前のグループが始まっていた。
オールスタンディングのライブハウスという見慣れた光景とは異なる、一人一人の座席が設けられて床も段々になっていたホールには、バズーカ砲のような望遠レンズを構えた、いわゆるカメコ(カメラ小僧)がたくさんいた。
僕はその日の出演グループをほとんど知らなかったが、アー写を見る限りロック系というよりは正統派?キラキラ系なアイドルが多い印象だったし、「撮影可能」としているグループが多かった。
なるほど確かにこういう目的だとするならば前方席のチケット代もお高いのも頷ける。

僕はこういった座席付きのホールよりもライブハウスという空間においてのライブの方にも親しんできたし、しかしそんなライブハウスでのアイドルライブにおいてコールやMIXを叫ぶようなノリともまた違うし、どちらかといえばモッシュやヘドバンに近いノリに親しんできた。
周りを見渡しても知ってる人も居ない様子だったしほぼ"アウェー状態"にあったが、それでもこの距離からすあまちゃんに向けて水色のペンライトを振ることで君を応援している人が此処に居るよと伝えることを心がけた。
そしてまた、君にとって初めてとなった撮影可能ライブも写真に収めたいと思った。

しかし僕以外にもペンライトを水色に点灯していた人たちもいたようでよかったなと思った。

今回の名古屋遠征にしても、それまで体調不良でギリギリまでなんとか完治させようと頑張っていた君に対して理不尽なことが覆いかぶさり、君はとても苦しんでいたことだろう。
その心情の一片を耳にしてしまった以上は、僕も静観してはいられないと思ったし、自ずと言葉も出てきた。
名古屋遠征のライブとオフ会へも申し込んでいたが、僕も僕で直前まで行けるか分からないので気安く「行こうと思ってるよ」だなんて言えなかったし、ましてや「行けたら行く」だなんて言いたくない。
そして君に驚いてほしいという気持ちもちょっぴりあった。
それがこの先日の、中野ZEROでのライブでもあったのだし。

君は僕が中野へ来たことを驚いて、そして喜んでくれた。
「とりさん来ないと思ってた…」

「来ると思わなかった」と「来ないと思ってた」
一見すると単に言葉を逆位相に反転させて表現したた同じ意味に思えるかもしれない。
しかしそこに含まれるニュアンスが大きく異なってくるのだと僕は思う。
「来ると思わなかった」とは相手のことを何も思い浮かべずとも成立するニュアンスだが、「来ないと思ってた」とは相手のことを思い浮かべていたからこそのニュアンスであると。
かつて推しが、僕が何も告げずに香川県でのライブに遠征した時、彼女は「らぼさん来ないと思ってた…」って驚いて喜んでくれたのだったのだが、その聞き慣れぬ言い回しを遠征の帰りに反芻してたら彼女のいじらしさに泣けてきた。
こういう言葉を使える彼女のことを大切にしたいと思った。

という昔話なんだけど、今でも僕の心の支えになっているのはこういった言葉の欠片たちなのかもしれないな。
彼女たちがいたグループ"ゆくえしれずつれづれ"は解散をし、今は"Not Secured, Loose Ends"と名前を変えて楽曲を英詞に変えて活動しているが、その彼女はもうステージには居ない。

そんな、「来ないと思っていた」という言葉をすあまちゃんから聞けたことに僕もまた驚いたし、そして嬉しかった。
君を驚かせるつもりが、僕の方が驚いてしまったので、最初は会話が少しぎこちなくなってしまったけど、君との時間はとても楽しかった。

───
本来ならば普段から絶え間なくライブに通い続けることが正道な推し方なのだろう。しかし僕にはそうすることができないし、ライブ通いが生活の中心になっては本末転倒だと僕は思っている。
一つ一つのライブの余韻をいつまでも忘れずにいたいと思ってるし、その余韻を糧に日々を生きる。

だからこそ、今回の名古屋への初遠征も楽しみにしていた。
行けるかどうかも分からなかったけどね。

君もまた、今はまだ体調も万全じゃないかもしれないし、お休みが続いてしまって再びステージに立つことを億劫に思ってしまうかもしれない。
しかしそんなつらい時こそ僕は君の側にいたいと思っているし、それを乗り越えてこそ君と再び笑い合える喜びも何倍にもなると僕は思う。

僕もすあまちゃんの味方でいるよ


君に渡すと約束しているものもあることだし🐧
また必ず君と会えるのを楽しみにしているよ。

君に会いたい。
君と最高な景色が見たい。
大切な君へ。

20240320
"とりさん"ことЛавочкин (らぼーちきん)

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