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ぜんぶ君のせいだ。"絵空事現"20220403 @Tokyo Dome City Hall からの、"この指とまれ"20230315 @武道館にむけて

今朝もまたスマホのストレージが圧迫されてるので昔の画像を削除している。
画像ならクラウドサーバにはバックアップしているので僕の元から完全削除されるわけではないのだが、物理的に端末に保存しておいていつでもスクロールしたい画像もたくさんある。
しかしそれは年月を過ぎると結局、見る機会もほとんどなくなり、やがてアーカイブ化されたり削除されたり。脳内で記憶を司る海馬と似ていて、いわばスマホやPCは自分の脳をアシストするものだと言っても過言ではない。

「あの頃の僕たち、苦しいこともあったけど楽しいこともあったな、"生きていた"なぁ…」
などとカメラロールを振り返ることで、己の音楽に対する気持ちを鼓舞させ、初心に還らせてくれたりするものだった。
しかしいつしか、同じように振り返っていてふと昔の画像が目に飛び込むと、感情が掻き乱されるような気分になって、「たぶんもう見ないだろう」とそれを削除してしまった。今まで本棚に並べてあった卒業アルバムを押し入れに仕舞うように。
「君のこと一生忘れないよ」
だなんて言ってはいたものの、人は(…と主語を大きくするな)、僕は案外と残酷なものである。
携帯のストレージに残しておいた数々の写真も機種変更したので全部本体からは消えた。
クラウドにバックアップは残してあるのだけどね。

あれほどバカみたいに愛しつづけ、メイちゃんたちからも「君は本当に"こまちバカ"だよねぇ」と呆れながらも、我ながら本当にバカだったよなぁと。
実にバカで愚かだった。

KAQRIYOTERRORのOblivionの歌詞にある

Oblivion/KAQRIYOTERROR

が頭の中をリフレインし続けている。

そんな僕の掻き乱される気持ちを癒し静めてくれていたのはKAQRIYOTERRORだった。
KAQRIYOのライブでOblivionが流れるたび、それを歌うマロたちの想いとは同じではないところで僕は感情移入していた。

つれづれが終わって僕はもうライブ自体行くことも無いだろうと思ってたが、つれづれ解散より半年以上前にチケットを取って発券までしてしまっていた渋谷WWWでの「Bipropahanda」の延期公演だったからという理由にかこつけて、僕は半分気まぐれのような気持ちでふらっと訪れた。
なんだかアウェーに来てしまったような気持ちだったが、そんな僕を⊆KAQRIYOTERRORはあたたかく迎え入れてくれた。

今までだったら会えば"珍しく群青さんが来てくれた"みたいに迎え入れてもらっていたが、つれづれ解散以降は群青って言葉も小町って言葉も、お互い暗黙の了解で出てこなかった。
僕もそういう話はしたくなかったし、彼女たちもまた「ラボさんそこには触れたくないんだろうな」と察してくれているであろうことは、それとなく伝わってきた。
そんな彼女たちの目に見えない優しさに何度も救われながら、いつの間にか現在に至る。
今となってはそんな過去も昔話として多少は話し合えるようにもなったけどね。
この経緯はこれまでも言及してきたし、僕がブログを書いている理由そのものが、まさにそれ中心だったのであって。

そんなことを心の中で呟きながら電車に揺られている。
向かっているのは東京ドームシティホール。
昔SPEEDのコンサートでドーム(bigegg)には行ったこともあったのだが、その周辺施設へ行くのは初めてだ。
水道橋の駅で降りるのは何年ぶりだろうか。
そういえば、飯田橋の駅を降りてギターケース背負ったまま坂を登って紀の善であんみつを食べて「これ以上の贅沢は望まない」って呟いて乃木坂46の歌詞に浸ってみるプレイを果たせぬまま紀の善は閉店してしまった。

(歌詞に"紀の善"が出てくるのはフルver.でお聴きください)

外はあいにくの雨。
晴れ女メイちゃんの面目躍如を期待したいところだが、傘を差して風にも抗うという行為が増えるだけで片腕が傘に支配されてしまうので、僕のポンコツ度は更に加速する。

Googleマップを目当てにホールの前に着いたら既にお客さんが行列を作っていた。辺りには知らない人ばかりだし案内も無かったが、それとなくぜん君のグッズを身にまとっている人がちらほら見受けられたし、はるか前方に背の高い知ってる人の顔が見えたので僕はこの列で合ってると確信しそのまま最後尾に並んだ。

先行特典会の始まる時刻になって少しずつ行列は進んだのだが、なかなか気が遠くなる長さだし、案内係の人も当日まさに今この場で打ち合わせをしてるらしくて段取りは良くない。
先行特典に付いてくるチェキ券の配布列が別に設けられてることも把握していないようだった。いかにも登録型派遣スタッフといった感じだった。昔乃木坂46などの握手会に並んだ時のこと思い出した。
僕はとりあえず長い列に並んでおけば間違いないだろうと並んだ。前に並んでる人に訊ねても「たぶんここで合ってると思います」と。

そういった大規模会場で猫の手を借りるように駆り出された人たちだったり、しかし一方で小さなライブハウスの場合でも案内がおざなり過ぎるスタッフも少なくない。
どちらにしても、「来てるお客さんはみんな要領分かってるんでしょ?」といった具合だ。
ところがお客さんもお客さんで感染予防対策のQRコードを登録してなくて入場直前にアタフタしてたりしてて、お互い様みたいなところもある。しかしこんなに大きな規模会場でのコドメンのライブに並んだことはない。アタフタするのも無理はない。

このまま並んでるのしんどいな、せっかく美容院に行った髪もふにゃふにゃになってきたな、おなか空いたな、帰りたいな、などとも頭をよぎった。
しかし先行特典会では一年ぶり以上にメイと个喆に会って挨拶したかったので我慢した。

あれから一年前の2021年のちょうどこの桜が咲き始める季節、あの頃の僕はメイにも个喆にも会う勇気が無かった。それは「会いたくない」という感情の寸前で、会っても気まずくなるだけだろうと僕の中で思っていたのもあるし、僕自身の心の整理がついてなかったので迂闊に何か言おうものならば彼女たちを傷つけていたかもしれない。いや何を言えばいいのすら分からなかったが。会うのがこわかった。

ところがTwitterのタイムラインに流れてくる彼女たちの頑張ってる姿を見るにつけ、「歌う場所があって良かったね」と素直に思えるようになってきた自分がいた。

あの日からの僕の心の移り変わりは、

ここ(中盤・やや前寄り)でも記してあるのでご参照いただきたいのだが、めぐみさんが僕の"患い夜僕コーデ"の投稿(患いとも夜僕とも呼ぶには程遠いのだが)に気づいてくれて拾ってくれて、メイも个喆も「一度ライブ観に来てよね」って言ってたのに肩を押されるように、いやその頃既に僕は観に行ってみようという気持ちに心が動きはじめていたのだが。

こもちもいたのは今思えば"そういうこと"だったのかな?

いよいよ物販でチェキ券を購入できたのでいざ挨拶──と思ったら先行特典会はこのあとのリハ時刻がさし迫っているので非情にも打ち切られた。
コドモメンタルはかつてこんな大人数の観客を相手にしたことが無いのだから仕方ないっちゃ仕方ない。
しかしその行列に並んでいたとき今村さんから声をかけられたのがちょっぴり嬉しかった。


僕はリハーサル見学もできるS席を確保してたので今度は整理入場の行列に並んだのだが、そのリハーサルの開始予定時刻を過ぎた頃ようやくホール内へ案内された。今回は座席指定のはずなので行列を作らなくてもよさそうなものだが、日本人は世界で類を見ないほど行列を作るのが得意なのである。
アリーナ席への扉の前で、扉の向こうから知ってる曲のフレーズが漏れ聴こえてくると、ようやくぜん君のライブに来たんだと実感した。クローズドのリハが一段落した頃、30分以上が過ぎていた。

僕は座席を確認して上着を脱いで腰を掛けた。

S席の2列めの11番目。

かなり下手(しもて)側だがもっと端の人たちは常に斜めを向かなきゃステージを観られないが、SS席のすぐ後ろだし正面向いてもしっかりステージを近くに感じられる。ぜん君の7人がステージ中央に集まっている。メンバーも公開リハの見学者の多さに驚いたのか「まるで本番じゃん」と思わず声が漏れる。

公開リハ一曲めはSCAR SIGNから始まった。
この曲というか現体制のぜん君自体を生で観るのももちろん初めてで、もとちか襲・甘福氐喑・雫ふふを直接観るのも初めてだった──というか、ぜん君のワンマンライブを観ること自体初めてだった。

僕がぜん君のステージを観るのは、いつもコドメンまつりや"たなとす"といったコドメン内での対バンでだった。しかもそんな機会を授かったにもかかわらず、患いたちとぶつかり合うのが嫌でバーカウンターの方に退避してほとんどステージを観てなかった時もあった。
───

さて本日のリハだが、普段観ているライブハウスでは音圧が先行してしまいがちなベースの音が、今日は高天井のホールで抜けがよく、透き通ったナチュラルリバーブの中をゴリゴリっと金属弦特有の中高音域も低音域もタイトに響いてきてとても気持ちが良かった。いつの頃からかは僕は存じ上げないがギターがツインなのも良かった。惜しむらくはキーボードも居てほしかったな。水谷さん!
だってコドメン史上最大のライブでしょ?スタッフ総動員でかかってくるものだと期待していただけに。

続く曲たちもぜん君の中では激しめなのばかりで、おそらくゲインをどこまで上げてもいいかを確かめる意味もあっただろう、まさかの歩兵ディストピア始まったときは笑ってしまった。まだリハだよ?この曲でメンバーはステージを縦横無尽に駆けずり回る。下手(しもて)側にはふふさんが回ってきた。やばい、めっちゃ楽しい…

そしてWORLD END CRISISのイントロが流れるとめぐみさんがステージ前方にやってきて、おとなしく着席して見学してる患いたちを立ち上がるよう煽ってきた。連られるように僕も立ち上がった。
ほぼ最前から見上げるように高いと思ってたステージ上のぜん君たちと目線が近くなった。ステージ後方にいるドラムのRISAさんも見えるようになった。か細い腕と満面のRISAさんスマイルでパワフルに叩いてる姿はやっぱりかっこよかった。
ホール中央のせり出しにメイが駆け寄ってきて上半身を仰け反らせてシャウトパートを歌う姿はつれづれでずっと観てきたメイユイメイの姿そのものだった。

群青の端くれの僕にとっては、このWORLD END CRISIS(以下WEC)は特別な曲である。WECは元々Feat.◎屋しだれとして世に出てきた曲で、当時それとほぼ同時にゆくえしれずつれづれもまた「凶葬詩壱鳴り」も「Feat.ぜんぶ君のせいだ。」としてリリースされ、レーベルメイト同士お互いを高め合い、お互いの知名度を上げるために協力しあっていた。
と言ってもぜん君の方が幾分かキャリアは先輩であって、壱鳴りFeat.ぜん君には「ぜん君がつれづれのために一肌脱ごう」みたいな上下関係のような雰囲気がある。一方でWEC Feat.しだれは「つれづれのことも知ってくださいね」な雰囲気がある。しかしそのまだまだ小さなコップの中の世界の"アウェー"で◎屋しだれが果敢にも飛び込んで咆哮する姿は実に勇ましかった。


──遡ること、僕がそのWECを初めて聴いたのは「アニマあにむすPRDX」のリリースイベントだった。きっかけは「僕喰賜君ノ全ヲ」のMVを観て、ぜん君の生ライブが楽しそうだと思ったから。ほとんど予習せず気まぐれで新宿のタワレコの屋上に来た。
その一曲目でWECが披露され、一十三四さんのシャウトにインパクトを受けた。「あの一曲目すごくかっこよかったね」「WORLD END CRISISっていう曲だよ。」
その日帰ってさっそくさっき買ってきた「アニマあにむす〜」を聴いた。
「Feat.◎屋しだれ…なんて読むか分からないし…だれ?」
そしてちょうどYouTubeのおすすめでそのWECのMVがあることを知る。MVでは四さんどんな感じだろう…って開いてみたら、さらに大きなインパクトを受けた。
「ぜん君のメンバーカラーとは違う色をした、この猛獣のような女の子は誰!?」
それが「ふたまるやしだれ」であることを知り「ゆくえしれずつれづれ」を知るきっかけとなった。

今までメタルやハードコアなど(主に洋楽)でデスボイス的なのは聴いていたけれどそれがシャウトやスクリームだのグロウルだのに分類される、そういった専門知識も無かったし、ましてやそれを女の子が叫ぶ姿を見るのも初めてだった。
「凶葬詩壱鳴り feat. ぜんぶ君のせいだ。」を初めて観たときは「この叫び声のパート歌ってるのは誰!?」って目の前の映像に映っているにもかかわらずにわかに信じ難かった。
その後、ポストカタストロフのMVやピスタチオの動画を観て横浜のタワレコでのリリイベでゆくえしれずつれづれを初めて生で観て、僕は金髪の子に心を奪われていた。

年が明けて川崎のタワレコの店内でコドモメンタル総出演のイベントが行われた。少年がミルク・Gauche.(水谷さん単独出演)・ぜんぶ君のせいだ。・ゆくえしれずつれづれ。つれづれはその中で最も妹分だったのだが、ぜん君のライブは数多くのぜん君のファンで盛り上がる。それに比べたらつれづれへの声援はいささか心細い。僕はこの時「僕が応援するのはつれづれなんだ」と意識するようになった。

以降も新宿LOFTなどでコドメンまつりが開催される時もつれづれをいちばん盛り上げたいと思ってた。出演順も人気もチェキの列も、ぜん君が圧倒的なのは明らかだったが、僕がいちばん好きな音楽はつれづれにあったし、ぜん君に追いつきぜん君を追い越すべくくらいにもっと活躍してほしいと、気づけばいつもぜん君の背中を見ていた気がする。

はずが、僕のつれづれに対する唯我独尊が深まってからはぜん君を見る機会も殆ど無くなってしまったし、何度かのメンバー交代を繰り返して今いるぜん君のメンバーがどんな人たちで、どんな声でどこのパートを歌っているのかもやがてついていけなくなってしまった。

2019年、僕はまれ・A・小町の生誕委員に就任することになり、小町へのメッセージカードを群青はもちろん患いさんやヨミビトさんなどにも書いてもらい、その際スタッフさんにカードを預けてそれに各グループのメンバーからもメッセージを書いてもらい、そのぜん君のみんなにも直接にお礼を伝えたくてぜん君の「或夢命」のリリイベに顔を出した時は、周りの患いさんたちから「なんでラボさんいるんですか!?」と驚かれたが、めぐみさん、ましろ、よっさんは僕のこと覚えていてくれてて励ましてくれたりもした。彼女たちの中では「小町推しの群青さん」という統一見解だったことだろう。
しかしあの時愛海さんからかけられた一言に僕は驚いた。
いつもこんなに遠くにいる僕のことでさえも気にかけてくれていたんだなって。
それまで愛海さんのこと「気が強そうなリーダーの人」としか認識してなかったけれど、なるほどこういうところがずっとリーダーを続けられている素質でもあるんだなって。
そしてあの日に買ったアルバム「或夢命」を聴いて、今のぜん君ってこんなに良い歌を歌うようになったんだと感心もした。
愛海ましろ四ぼの十五時の5人でひとつの頂点をきわめた作品だと思えたし、よっさんの存在感が僕の中ではひときわ光っていた。
中でも僕はTeardustが好きだ。

───

ゆくえしれずつれづれが解散することになった。
その辺の経緯は拙ブログの他の記事で何度も言及しているし、なるべく割愛しようと思う。

遡ることその一年前、小町が体調不良で休養を取ることになった。その真相は詮索しないがきっとつれづれに対しストイックになりすぎるあまり、心身共に疲弊してしまったのかもしれない。やがて小町もステージに復帰して四人揃ってひと安心はしたが、その小町のどこか吹っ切れた様子に「終幕という目標に向かって覚悟を決めたのかもしれない」という不穏な胸騒ぎと共にパラドキシカルな ポジティブさも感じた。

夏にアルバム「paradox soar」が発売された。
その内容・コンセプトに僕はつれづれの終止符を感じた。こんなアルバムを作ってしまったら、次は無いと言ってるようなもんじゃん!って思った。
しかしまだ見ぬ先にある想像つかないことを創造する、そこにアーティストの無限の創造力が試されるのだと思う。
あのアルバムで詞を提供してくれたましろとめぐみさん、かつて「いつか作詞もしてみたい」と言っていた小町の夢にひとつ近づいた予感がしたのもまた嬉しかった。

それと共に人間の命には限りあるし形あるものいつかは終わると、そう思うからこそ命尽きるまで燃え盛り続けていたいと思う。

そう思ってたつもりで命を燃やし尽くしてたはずのものが「終わった」。
しかしその終止符の向こう側で僕は今も未練じみた呼吸を永らえている。
彼女たちはソロとして再出発したり名前も形も変えてしまったり、、、

───

と、ここまで下書きを書いたまま半年以上が過ぎてしまった。
この「絵空事現」で初めて出逢った雫ふふも今はもうぜん君にいない。
時の経過というものは非情である。
その間に書くべきこと書けず伝えるべきことを伝えられなかった自責の念に駆られている。
──もしもあの時に僕の気持ちをぜんぶ伝えられていたら──
などと今さらここで書いても悪あがきのように思えてくる。
2022年以内には…せめてROAD TO BUDOKANツアーが終わるまでには…とも思っていたが…悪あがきもいいところだ。

さて2022.04.03の東京ドームシティ「絵空事現」に時間を巻き戻そう。
リハーサルと本番はもちろん別物だ。
しかしリハーサルでも本番さながらの盛り上がりを見せていたし、もとちか襲・甘福氐喑・雫ふふとの初対面を結果として本番前のリハーサルで果たしてしまった。
そんなわけで彼女たちとの初顔合わせ・出逢い・そして再会は、フェードインするように始まった。

しかし本番の一曲目もSCAR SIGNだったのは、その意味合いを失わずにいられたように思えた。
がしかし、僕はリハの最後に披露されたWORLD END CRISISの余韻に僕自身の過去をFlashbackさせてて目が眩んだままSCAR SIGNを浴びるという、迎え酒ではないが不思議な気持ちでステージを観ていた。

あの大舞台でかつてないほどの人数の観客を目の前にして彼女たちはどんな気持ちであの風景を見ていたのだろう。
それはステージに立った者にしか分からない。

僕は下手側のほぼ最前列からそのステージを観ていたが、そのステージの向こう側からすれば「なんか初めて見る派手髪の人がいるなぁ」といった印象だを抱いたかもしれない。しかしそんな初めての人に対してもしっかりと視線を投げかけてくれたり、こころ配りも感じられるライブだった。
いつか大きなステージに立つ者にとって、そういう気持ちはとても大切だと思う。
いつも同じような小さな箱で同じような顔ぶれのよく知ったファンの前ばかりでライブをしているとこういう気持ちはやがて麻痺し、薄れていくものだと僕は思う。
たとえどんなに小さな箱であっても、そこには初めての人だっているだろうし、明らかに対バンのグループを目当てに来たであろう人の心を掴むことだって大切だし、いつも"当たり前のように"いる人の心だって常に掴んでいてほしいと思う。
たとえ歌とダンスを完璧になるまで鍛錬しても、気持ちが疲れていたり不安定になっていると、そういうところが疎かになる。
実際そんなライブを何度も観てきた。
特典会に参加せずに帰ろうと思ったことも、このまま観てもしんどいのでライブの途中で帰ってしまいたいと思ったこともある。
だけど彼ら(彼女たち)が用意してきた曲たちの最後まで見て判断しなきゃ失礼にあたる。そういう気持ちでライブを観るよう心がけている。
好きになるきっかけは衝動的であったりするが、好きになったあとには忍耐も伴う。
それが「好きになる」ということだ。

もちろん好き嫌いってのもあるし、対バンとして観るつもりもないけど観ているグループだってある。
きっとそのグループにもどこか魅力はあるのだろうけど、辛抱強くそれを見つけるよりも、今のうちにトイレ行かなきゃドリンク交換しなきゃという気持ちが優先することだってあるし、これは好きじゃないってのもある。
演者さんにとっては失礼かもしれないが、あまりにも興味がないので席を外してしまうライブだってあるし、お目当てのグループのタイムテーブルに合わせて入場・退場することだってある。

絵画・彫刻などの芸術作品は、それを鑑賞した瞬間で「好き/嫌い」に分かれる。見続けているうちにだんだん好きになっていくものもあるが。
しかし演劇・映画・そして音楽などといった作品は、その作品の持つ縦横高さの三次元物体とは別に、それを伝えるための鑑賞時間という、いわば"四次元の空間"を観客に要求するし、いつ訪れても作品が展示してある美術館とは違い、開演日時までもを要求する。
物理的性質上それは免れないものだし、今はサブスクも配信ライブのアーカイブで観られるものもあるが、それは限定的なものに過ぎない。
しかしそうやって時を同じくして一同に介する行為そのものが、ライブというものを高揚させる一助にもなっていると思う。
「○○のライブまであと△△日!」
と指折り待ちわびる気持ちも大切にしていたい。

なので、直前になって急遽決まってしまう行き当たりばったりのようなライブや固定の劇場でいつでも観られるコンビニエントなステージに対しては、僕はそれほど興味というか存在意義を感じたりはしない。
それはきっと演者側にとっても同じなのかもしれない。

ライブは一本一本どれも大切。
とは言うものの、「今日は絶対に観に来てほしい」と声高に叫ぶライブがあるということは、論理的にひっくり裏返せばそうでないライブもある。
どこでもいいからとにかくライブがしたい。
というよりは、ツアーとして日程や目標を定め、そして駆け抜けて駆け抜けてファイナルで達成感を味わいたいことだろう。
という一般論。

ぜん君は活動期間も長く持ち歌も多い。
全曲きっちり予習もできなさそうだったし、今いるメンバーで聴きたかったので僕は付け刃的に当時の最新オリジナルアルバム「Flashback Nightmare」を中心に予習してきたのだが、さいわいにしてそれ以外の曲も「あー、タイトル思い浮かばないけど知ってるー」って曲も多く、腕のセトリにはその印象的な歌詞を文字起こししたりしてなかなか見づらいものだった。
しかしこの日も、僕がセトリの師匠と仰ぐ人も来ていたので、彼と答え合わせをして事なきを得た。

#ぜんぶ君のせいだ 。#絵空事現 20220403
@Tokyo Dome City Hall

rehearsal
1.SCAR SIGN
2.Underscore
3.オルタナティブメランコリー
4.歩兵ディストピア
5.Cult Scream
6. WORLD END CRISIS

product
1.SCAR SIGN
2. WORLD END CRISIS
3.Cult Scream
4.インソムニア
5.When you 2 WANT
(MC)
6.ねるじぇらす∞めろかおす
7.オルタナティブメランコリー
8.ものの恋あはれ
9.キミ君シンドロームX
10.みすふぃっとらう"ぁーず
11.Greedy Survive
12.堕堕
13.Underscore
14.Sophomore Sick Sacrifice
15.メスゲノムフェノン
16.歩兵ディストピア
17.MONOLOGUE
18.唯君論。

en
19.Antilyours
20.ぜんぶ僕のせいだ。
21.Heavenly heaven
22. 世界にたった一人ちっぽけな君を

en2
(寝こもち加入)
23.無題合唱
24.僕喰賜君ノ全ヲ

#ぜんぶ君のせいだ #絵空事現

僕が今まで観てきたメイや个喆が、どこか高いところへ行ってしまったような寂しさも感じたりした。
ステージ中央のにせり出した花道を駆けずりアリーナほぼ中央で歌う姿は、人気絶頂期の頃のSPEEDのコンサートで観たような佇まいと重なる部分もあった。それこそ東京ドームのbigeggだったりで観ていた記憶を喚び起こすものだった。
彼女たちがつれづれでいた間に応援できたことをほんの少し誇りに思ったりもした。
そんなメイや个喆であっても僕の存在に気づいてくれた瞬間もあったりしてあの頃と同じような気持ちにもなれた。
しかしあの頃と同じようなノスタルジーだけでは人は進化・成長できない。
ましてや僕自身が何年も一緒に駆け抜けてこられなかったのだし、僕が置いてけぼりになるのだって当然っちゃあ当然だ。
そうやって進化・成長をやめずにここまできた彼女たちの「栄光」を祝福することが健全なのだと思った。

アンコールも終え無事にライブが終わると思いきやホールの照明は薄暗いままだし、この日「大発表」があると知らされていた患いさんたちのほとんどが「大発表まだこれからでしょ」と席を立とうとしない。
やがてアンコールが鳴り響き、ステージ後方のスクリーンに映像が映し出される。

あえて6人のぜんぶ君のせいだ。を。
ふふの夢も届けてほしい。

「武道館!?」

僕は意味が分からなかった。
これは何かの悪戯?それとも比喩的表現?
ちょっと待て、この栄光ある東京ドームシティは「噛ませ犬」!?
などとも頭をよぎった。
ぜん君を追い続けていた患いさんたちはそれがどういう意味なのかを一瞬で察しただろう。
僕も話としては聞いたことがある。
ぜんぶ君のせいだ。は結成当初から「いつか武道館」と目標というか夢を掲げていたことを。
とはいえ、何故にそこまで行き急ぐのだ? 


などど言うが、僕がずっと追い続けていたのは他ならぬゆくえしれずつれづれだったし、つれづれにも向上心はもちろんあって、いつか大舞台に立つことを夢に見ていただろうけれど、それを公言することは殆ど無かった。
かつてつれづれが渋谷WWWやクラブチッタ川崎に立つと決まった時はいつも以上に意気込んでいて、カウントダウン動画などで連日盛り上げていたものの、ぜん君とつれづれとでは音楽性の違いもあり、大舞台に立つよりもライブハウスでの距離感を大切にしていた節もある。
そんな距離感を大切にしながらお客さんを少しずつでも増やしていくことがつれづれの目の前にある目標だった。カナダでのライブで群青になった人もいるし、台湾でつれづれを好きになった群青もいる。

夢は大きな方がいいとは思うが、しかしそのスケールが途方も無いスケールで掴みどころのないものになってしまうと、それは「絵空事」となってしまう。
しかしこの公演には「絵空事現」とタイトルが冠されていて、てっきり僕はこの東京ドームシティホールという大舞台を現実のものとした、今まさにこの20220403の瞬間をタイトルにしたのだと思っていた。
この東京ドームシティホールに立てたことは栄誉あるとても素晴らしいことだよ。
だけれども正直まだまだ空席も目立つし、スタッフもその満員から程遠い観客さえも捌ききれていない。
ゆくえしれずつれづれもクラブチッタを終えたあとは「いつかここでリベンジしたい」と言ってたし、つれづれはかつて、対バンイベント出演としては恵比寿リキッドルームに立ったことはあるのだが、その時「いつかつれづれワンマンでリキッド立とうね」と約束を誓いあったりしたものだった。

結成一年あまりでリキッドルームでワンマンライブ「insane soar」をしたTOKYOてふてふを僕は羨んだりもしたが、てふてふにもてふてふなりの悔しさを感じていて、今年のリキッドルームでのリベンジに奮闘している。KAQRIYOTERRORにだってVeats渋谷でのリベンジもclub asiaでのリベンジも果たせずにいる。

僕が心打たれるのは順風満帆に成功を掴む者よりももがき苦しんでいる姿だ。
愛する人には苦しい思いをしてもらいたくはない──とは思っているし、君の苦しみを僕の苦しみに移すことができるのならば──などと考えることも数え切れないほどあった。
しかし苦しみこそが向上心を生み出すものだと僕は思うし、そうした上で君も僕も最後に笑い合えればいい。
たとえ傷だらけになったとしても。

そんな傷を背負ったまま僕は生きている。
しかし人間というものは案外生きられるものなんじゃないかと思ったりする一方で、明日死んでしまうのではないかという気持ちも常に付きまとっている。
具体的に何がどうこうというか、フィジカルが酷使され続けているとメンタルがどこかで決壊してしまうのではないかという気持ち。しかしそれは不安なんかではない。死んだ方がきっと楽になれる。
しかしそれでも生きているのは、今死んだら迷惑や面倒にもなるし何より親不孝のレッテルを未来永劫残すことになる。死んだあとの世界など知ったこっちゃない─などとは僕は思えない。
きっと灰になって風に消えてゆくだけなのだろうけど。
つれづれの「Phantom Kiss」を聴いてた時から変わらないなぁ自分。
君にとっての幸せは、僕という存在を忘れてしまうことなんだ。
そう言い聞かせてきたから、あの日からつれづれをまったく聴けなくなった。
最期のライブのDVDも未だに開封出来ずにいる。

そうやって未練じみたものを抱えつつも、つれづれの解散を告げられた日「ラボさんこれからどう生きていくんですか?」と群青の仲間から訊ねられ「気が向いたらKAQRIYOには時々顔出すかもしれない…かな」と曖昧に答えたものの、ノア・ロンドの熱意に次第に惹き込まれてしまった僕自身もいたりして、ロンドちゃんもまた僕の過去を知った上で惹き込んでこようという気持ちが僕はとても嬉しくて、そんなロンドちゃんの気持ちに応えたいと思うようになっていった。

今思えば、ぜん君としての新たな一歩を歩み始めていたメイと个喆を責める理由など全く無く、「どうして?」は付きまとっていたが。きっとそれはメイも个喆も僕もまた、そうやって"生きる"ことを選択してきたんだ。今はまだちょっと気まずいかもしれないけれど。
そうした"矛盾"と"葛藤"を抱え込みながら時の流れと共に自身の芯も守りつつそれを"昇華"させること、それこそが「paradox soar」というラストアルバムが残してくれたメッセージであり、言ってみれば「paradox soar」にはずっと作詞を担当してきたGESSHI類さんからつれづれへのはなむけの言葉がたくさん散りばめられているアルバムだと思う。

つれづれ解散からわずか数日の早いデビューを果たしてわずかの間だが同時に存在し、奇しくも「innocence soar」とデビューアルバムを冠したTOKYOてふてふは、「つれづれの転生」なんかではないし、異なる存在としてつれづれへのリスペクトが感じられるてふてふもまた、僕の鎮魂しきれずに今もなお漂う魂をひらひらと昇華してくれるのである。

僕はぜん君がまたいつかこの東京ドームシティホールでの「リベンジ」をしっかりと果たし、それから更に次のステップへと駆け上がっていくものだと思っていた。

そして「武道館」の発表とともに緑色のメンバーが1人増えていることに驚いた。
それは「寝こもちの加入」だった。
確かに即戦力としては申し分無い。
しかし昨年のハロウィンやクリスマスの渋谷eggmanなどで、こもち一人で「星歴13夜」を背負ってステージに立っていたこもちのことを思い浮かべるとそこにも「どうして?」が付きまとうのだった。

かつてのハロープロジェクトの「カントリー娘に石川梨華」やシャッフルユニットみたいに「ええやん!おもろいやん!化学反応やん!」みたいなノリに適応することだって僕もそれなりにできるが。
しかしコドモメンタルが積み重ねてきた歴史にそういうノリって必要?とは思う。
「ねおじぇらす∞めろかおす」の歌詞(イントロの口上)また変わっちゃうん?などと心配したり。

しかし思えば、幽世テロルArchitectの个喆がゆくえしれずつれづれに移籍したときは、僕は群青として無邪気に嬉しかったけどね。そういえばつれづれの音にしっくりはまっていたのにしばらくの間欠けていた艶奴的な声質を个喆に感じられたときは「これだ!」と感じたし。
しかしそれをヨミビトはどう思っていただろう、と考えると「嬉しい!」とは声を大きくできなかった気持ちも当時からあった。
あれから、KAQRIYOもBipropagandaでヤマコマロが"復帰"して、それ以降のKAQRIYOを僕は積極的に追うようになったし、それ以後ものなめらも"復帰"した。
「禁忌がTABOO」と掲げるKAQRIYOならではができる「荒技」だと思った。
しかしそれらはいづれも、僕の目で実際にライブを観てからでなきゃ納得できないと思い、実際に観てひとつひとつ納得して不安を期待に変えてきた。
"つれづれの个喆"だって、期待はしていたけれど「つれづれらしくなってきたな」と思えるまではそれなりの月日を要した。

こもちもそうやって"生きる"ことを選択したのだろうし、その様子を見守るしかないと思った。

そんな交錯する気持ちを抱えながら、先行物販で購入した全員個別チェキ券とメイと个喆を追加した券を握りしめてチェキ列に並んでいた。

何を話したらいいだろう…か… 
僕の左腕には相変わらず油性ペンでセトリを書いていたのだがタイトル分からずその歌詞を書き記したりしていた。そもそも僕がセトリを書くようになったのはライブの感想をメンバーに伝える時の記憶の手がかりとしてだった。時には印象的だった照明の色などもメモる"メモ魔"だったこともあったが、ライブに夢中になることも大切だと思うようになった。そういった意味では雑誌のライターさんって、さすがプロだなと。

そしてまたこの日が最初で最後となってしまった僕に対しても親しげに接してくれる彼女たちを、さすがぜん君さんは手練たものだなと感心したりもした。

めぐみさんはライブ中も僕に気づいてくれたのを強く感じていたし、僕がつれづれ中心でコドメンまつりに参戦してた頃や「或夢命」リリイベの時から相変わらずよく見てくれている人だなぁと感心した。
実は僕はこれだけコドメンの現場に通い続けてて、めぐみさんとチェキ撮ったのはこれが初めてだった。

ライブ中もめぐみさんと同じくらい僕の存在に気づいて何度も反応もしてくれた雫ふふさんとは逢うこと自体が初めてだったが、「滅多に来てくれない人が来てくれた」と言わんばかりに驚いて喜んでくれためぐみさんとは対照的に、ふふさんは「またすぐ逢いに来てね」と無邪気だったのが印象的だった。

そしてメイとの再会。
顔を見合わせた途端「なんで今まで来てくれなかったの!」とお怒りの様子。メイが怒るのも無理はない。僕はメイと个喆が加入後のぜん君のライブへ行かなかったどころかツイートへのリプライさえもせずに今まで過ごしてきたのだし、あれからつれづれの曲も全く聴けずに過ごしてきた。
つれづれが思い出に変わってしまうのが怖かったのかもしれない…と思いながら、これを書いている今でさえもまだ聴けずにいる。

僕はメイちゃんに「ごめんね」と言った。
しかしメイが余所余所しくなってしまわずにメイの鬱積した思いを吐き出してくれて、そんなメイちゃんらしさがが変わらずいてくれたことが僕は嬉しかった。
しかしそれは最初だけで、メイちゃんにも笑顔が戻り、僕たちはあの頃に時間が戻ったかのように楽しくおしゃべりできた。
あの頃と違っててなんだか可笑しかったのは、お互い金髪同士だったこと。

个喆は「なんで来てくれなかったのー!?」とプンプンさせている顔が既にかわいかった。
マスクを着けてなければそんなこてちゃんの口元をプイッと曲げてる様子も見られただろうに、あのこてちゃんの拗ねたときの口元がかわいいと思う。
行列に並んでる僕たちに物販を売りに来て、こてちゃんが思ってるほどこちらが買えない時「買ってくれないの〜?」と拗ねてる時を思い出したり。
僕にとっての古傷にこてちゃんがそうとも知らず触れてしまって「そうなんだ…」ってなってしまう場面もあったが、それも含めてこてちゃんの天真爛漫さも優しさも相変わらずだったのが僕は嬉しかった。

ぜん君の"患いコーデ配信"の頃から「またいつか再会しよう」と思い始めていたが、やっぱり再会できてよかったと心から思った。

そんな色んな気持ちで一杯になりながら、最終バスの時刻を過ぎた最寄り駅からタクシーに乗らず1時間くらい歩いて家まで帰った。
イヤフォンは耳につけたままだったが、何も音楽を流さずに歩いてた。
スタジオで録った声を聴くよりも、既に此処にいないメンバーの声を聴くよりも、さっきまでのライブだって聴いた歌声を脳内で反芻していたかった。

─────

それからというもの、やはり僕はKAQRIYOTERRORを追うことで精一杯だったので、ぜん君のライブにもあまり行けずの月日が過ぎていたが、4/3以降はライブで観た曲や他のぜん君の曲も多く聴くようになった。YouTubeで公開されているMVも観るようになり誰がどこを歌っているのかも少しずつ分かるようになった。
てふてふとの対バンの横浜や、KAQRIYOとの対バンの仙台でもぜん君の全員とそれぞれチェキを撮るようになった。

───
つれづれが解散して間もなくメイと个喆がぜん君に加入して初めてのシングルのタイトルが「堕堕」と知らされた時、僕は「我我をオマージュしたようなタイトルつけやがって!」って聴く耳を塞いでいた。
ところがある日「そういえば堕堕のベースラインかっこよくない?」って耳コピを始めてみたら思いの外面白くなってきて、しかし音源だけで練習してると小節のリピート数を見失ったりもして、じゃあ視覚でもぜん君の人にだって憶えようってことでMVも繰り返し観るようになった。
そうしていくうちにこの「堕堕」が東京ドームシティでの「絵空事現」までの道のりの第一歩だったことを思うと、当時のメイと个喆には不安や戸惑いもあっただろう。しかしそんな荒波に立ち向かいそれぞれの存在感を放とうともがいている姿を、一年越しにようやく観はじめたMVから感じられるようになった。

そんなメイと个喆と、通販や対バンなどを通じて距離を近づけつつあったふふとも、もちろんグループは全員にそれぞれの魅力があってこそだと思う僕にとって、現体制の6人の(当時)ぜん君を受け入れられるようになって、ROAD TO BUDOKANの秋田公演を参戦することにした。

秋田というのは僕の両親の故郷でもあり、僕が生まれた場所でもある。
父親の仕事の関係で既に横浜で暮らしていたのだが、僕が生まれるときは父母の両親のいる秋田へ帰郷し、秋田の病院で僕は生まれ、しばらくの僕は間祖父母たちに囲まれて育ったそうだ。

そんな祖父母も今はお空の上にいるのだが、祖父母が暮らしていた実家は残したまま、お盆に親戚が集まる場所として管理していた。
しかしみんなが集まることも少なくなり、普段は空き家だった秋田市の実家を解体しようという話もあったのだが、青森で暮らしていた"いとこ"がそこで暮らすことになり、解体はまぬがれ、今はいとこの日曜大工で少しずつ現代風にビフォーアフターされ続けている。

その秋田の実家で寝泊まりして秋田公演を観に行こうと思い立った。
せっかくだから僕のいとこもライブに誘おうかなとチケットを2枚取っていたのだが、いとこはその日僕と入れ替わるように東京での用事があり、一緒にぜん君を観ることは叶わなかった。
ちなみにその秋田公演のチケットを一枚譲りますとTwitterで告知したことろ、それはあ◯ちゃんに譲ることとなった(笑)

僕のいとこはケイスケといって僕より少しだけ年下なのだが年に一度秋田へ帰省してた頃もなかなか日程が合わず数年に一度会うか会わないかの間柄だった。

やがて僕がバンドを始めるようになったのだが、僕はその話をケイスケにすることはなかった。
ケイスケは生まれつき耳が聴こえない聴覚障害者なので、小さな頃から引っ込み思案でお互いなかなかコミュニケーションも取れなかったし、音楽の話をしたらケイスケは哀しい思いをするだろうし。

───
あれから十数年後、そんなケイスケがアイドルにはまっているらしいよと、僕は母親から聞いた。
そんな共通項があるのならば久しぶりに会ってみたいと思っていた。

───
遡ること数年前、僕は庭仕事をしているお得意先のおばさんから「手話を習ってみない?」と提案された。
そのおばさんは音声も多少は聴きとれるのだが補聴器を着けていて普段から手話を交えて会話をしていて、毎年季節が来るごとにそこの庭仕事をしているうちに僕も「おつかれさま」と「ありがとう」程度の手話は覚えたのだが、そのおばさんの提案から「もう少し手話できるようになったらケイスケにも会いたい」と思うようになり、そのおばさんが通う手話サークルに参加することになった。
今は仕事で忙しくなってしまったので僕はなかなかそのサークルに顔も出せずにいるのだが。

そのサークルで最年長のおじいさんが僕に「ギター好きなの?」と手話で尋ねてきた。
僕は「ギター好きです」と手話で返したのだが、こういう人にこういう話をしてもいいのかな、という戸惑いがあった。
そのおじいさんは「私は耳は聴こえないけどギターをお腹に当てて鳴らすと、お腹に伝わる振動とかで音楽は楽しいものだと思ったりする。」と伝えてくれた。

僕が大好きなSPEEDの今井絵理子さんも、息子さんが耳が不自由で生まれてきたので、息子さんに寄り添うように手話を覚えるようになり、今では国会議員として聴覚障害者たちの福祉向上のために奮闘している。

───

もう10年以上前になるが、僕たちの祖母のお葬式のとき、葬儀を行ったお寺の和尚さんが遺族の僕たちに対し"ありがたい講話"をしてくださったのだが、ケイスケはその話の内容を後からケイスケの母親から通訳してもらってようやく理解した。
その時のケイスケのもどかしい経験があって、それから数年後の祖父のお葬式の時、ケイスケは手話の同時通訳の人をお寺に呼ぶことにした。
それはケイスケ自身のためというよりも、手話の同時通訳というお仕事の活躍の場を広めて聴覚障害者のみならずいわゆる健常者にも広く知ってもらうためにケイスケが手配していた。
大人になったケイスケは手話のそういった普及活動もするようになっていた。

───

と、時系列はあっちこっち行ったりするのだが、そんなケイスケと何年ぶりに秋田の実家で再会した。
居間には大きなテレビが設置されていて、ちょうどぜん君の「僕喰賜君ノ全ヲ」のMVが流れていた。
「なんで!?」
それはケイスケのYouTubeのお気に入りリストを再生していたものだった。
「もしかしてぜん君を予習しててくれたの!?」
続いて「Cult Scream」のMVも流れてきた。
僕は手話も多少は予習してきたのだが、ケイスケとの会話のほとんどは口頭と筆談になった。
ケイスケは普段から自然と読唇術が鍛えられているので、時々すっとぼけたことを言う僕の父さんよりも察しが早いのではないかと思うことも(笑)

そしてケイスケが推してるアイドルのMVも見せてもらうことにした。
それは"りんご娘"という青森のいわゆるローカルアイドルの「Ringo Star」という曲だった。

津軽訛りがチャームポイントで最近よくバラエティ番組にも出ている王林ちゃんも所属していたグループだ。

青森の弘前といえば、ケイスケたちが暮らしていたりんごの生産地としても知られる場所で、ケイスケの姉のチカちゃん(=同じくいとこ)も、りんご農家で働いている。
MVを観ながらケイスケは「ここ実家のすぐ近くだよ」「ここも知ってる」とか教えてくれて、ケイスケがりんご娘とイベントで撮った写メを自慢気に見せてくる。
メンバー全員との囲みでもちろんあの王林ちゃんも一緒に写っていて、当時のことをケイスケが嬉しそうに伝えてくれる。
そしてMVを観ながらケイスケは振りコピもはじめる。
「ケイスケはどうやって振り付けおぼえてるの!?」
「何度もMV見てるし特典会のときに直接教えてもらったりもしたよ」
テレビ台に飾ってあるりんご娘のCDは開封されぬまま大切に飾られている。
「やっぱりケイスケも同じタイトルのCD何枚も持ってるの?」
「実家に行けば数え切れないほどあるよ」
「そういえば、今まで聞きづらかったんだけど、ケイスケは耳が聴こえないのにどうやって音楽を楽しんでるのかなって…」
「ダンスとか楽しいし、メンバーの話すのも楽しい」
写メをよく見るとメンバーが手話でポーズ撮ってる写真もある。
「メンバーも手話できるの!?」
「僕が何度も行くうちにおぼえちゃったみたい」

僕はこの曲のここのギターの音がどうだとか、そんな聴き方をしているけど、ケイスケにはケイスケの最良な楽しみ方で音楽を楽しんでいるようだった。
手話サークルのおじいさんのことを思い出した。

そう思ったら今回のぜん君の秋田公演をケイスケと観られなかったのがより残念に思えた。

ケイスケのテレビでこんなの再生したりの秋田の夜。

───
今までのようにライブハウスを中心に、数十人あるいは百数人の顔なじみのいつもの患いさんたちといつものようなライブをするのもいいだろう。
しかし、武道館という何千人あるいは何万人の観客を相手にする場所でライブをするとなると、そのお客さんの中には、たとえば車椅子で観覧する人もいるだろう。
SPEEDのライブではそういうお客さんも実際に何度も見かけた。そういう人だってライブを楽しみたいという気持ちは僕たちと同じはずだ。
そういったユニバーサルサービスも行き届く体制を構築できることこそが「武道館アーティスト」と呼べるのだと僕は思う。

初めてぜんぶ君のせいだ。を観る人の全員がぜん君のライブを観て笑顔で帰ってくれるだろうか、中には武道館はもちろんのこと、生まれて初めて生のライブというものを体験する中学生や高校生などもいるだろう。
誰にだって「生まれて初めて体験するライブ」というものはあったのだから。
僕にだってケイスケにだって。

そんなケイスケがライブというものを通じて音楽の楽しさをケイスケなりに感じていることが僕にとっても嬉しかったし、シャウトやスクリームを伴う音楽を知らないケイスケにだって、生のliveだったらその咆哮の迫力はきっと、いや必ず伝わると僕は思う。

日本語の歌詞が分からない外国人の患いさんも少なくないぜん君が、特典会や配信のときにカタコトの英語やジェスチャーを交えて伝えようと努力している。
それと同じように、耳が不自由なケイスケに音楽の楽しさを教えてくれたりんご娘のように、ぜん君にもケイスケに届くライブをしてほしいと思ったし、それもまた"武道館アーティスト"になるための試練になればいいと思った。
そして何よりもライブと特典会で楽しそうにするケイスケを見てみたかった。

「今回は一緒に行けなかったけど、また僕の好きなグループが秋田へ来るときはもっと早くスケジュール伝えるので今度は一緒に観に行こうね」

ケイスケとはそう約束したのだが、ぜん君は活動休止に、KAQRIYOもメンバー脱退で春以降のことなど未知のままだ。
現実的に期待できるとすればてふてふが秋田で公演するという希望的観測くらいだろう。

そんな秋田での楽しかった思い出から、ぜん君のアルバム「メイダイシンギ」がリリースされた。
そのアルバムに関してはこちらの記事もご覧いただきたい。

https://note.com/lavochkin/n/n54a4f811d990


アルバムを聴きながらICE CREAM RABELの「思い出にしない」だったり、ロストモラトリアムの「そばにいるよ」のふふの声を聴くと胸が締め付けられたりもする。

活動休止後ゆっくり羽を休めたら、またいつか如月愛海、もとちか襲、メイユイメイ、个喆、寝こもちのぜんぶ君のせいだ。に会いたい。
今まで幾多のメンバー交代を経るたびにぜん君は更に強くなってきた。
つれづれだって幽世/KAQRIYOだって星歴だっててふてふだって、そうやって強くなってきた。
しかしそれを当たり前だなんて思ってほしくない。


僕が一番好きなバンドであり、櫻井敦司、今井寿、星野英彦、樋口豊、ヤガミトールの5人で40年近く続けているBUCK-TICKは、メンバーも一切変わらずに年末の12月29日あたりの武道館公演をかれこれ30年以上続けている。
大晦日の武道館といえば矢沢永吉が恒例となっている。
しかしなぜミュージシャンは武道館を夢に見るのだろうか。

───遡ること60年以上前、英国のロックバンドであるビートルズが来日し、日本は熱狂の渦となった。
いまだかつて無いほどの大勢の観客に同時に楽しんでもらうために、本来コンサートホールではなかった日本武道館──その名の通りの柔道などの五輪競技のために作られた武道館──を、ロックコンサートの為に開放したのが武道館コンサートの始まりだ。
八角形の天井からは日本の国旗が吊るされている。どんな派手な演出のライブのときでさえも。
それは柔道が日本の国技であるからだ。

BUCK-TICKの先輩で群馬から上京し、新宿LOFTなどのライブハウスを経て人気の絶頂に上り詰めたBOØWYは1986年のJUST A HERO TOUR武道館公演で氷室京介が「ライブハウス武道館へようこそ!ここは東京だぜ!」という伝説の名言を残している。
どんな大きな会場になってもライブハウスの気持ちの距離感は変わらずにいるぜ!と僕なりにヒムロックの気持ちを翻訳してみる。


BUCK-TICKが武道館にこだわるのも、そんな先輩の背中を見てきたからでもあるだろうし、BUCK-TICKの他にも武道館に憧れるミュージシャンはたくさんいる。
しかし武道館は、終戦の日になれば合同慰霊式もあるし、入社式などの企業系イベントもあるし、もちろん柔道や剣道などの武道の試合だって開催される。
単純計算すれば武道館でコンサートを開催できるミュージシャンは年間300組もいない。来日する海外のミュージシャンも含めてだ。
そんな名だたるミュージシャンたちの中に、ぜんぶ君のせいだ。が混ざっていることは、コドモメンタルの音楽を愛し続けた──とは言っても群青とYOMIBITOとしてが中心だった僕だが──そんな僕でさえも自分のことのように誇らしいと思える。
僕がロックに目覚めるきっかけとなったのはBUCK-TICKであり、BOØWYも初めてコピーバンドで演奏した曲なので、僕にとって武道館はやはり特別な場所だ。

しかし、その武道館公演を本当にいいライブとして終えられてこそ初めて、本当の意味で誇りとなるのだ。
「いつかまた武道館でリベンジしたいね」
なんて言葉は聞きたくない。
開催する前からそういうこと言うものではない。

だけども僕は「いつかまた東京ドームシティホールでリベンジしてほしい」と思っているし、やがてぜん君が再始動した時は、今のような悪あがきではなく、しっかりと足元を踏みしめて得られるライブであってほしい。
先日、ぜん君から武道館公演案内のハガキが僕の元にも届いた。めぐみさん直々のメッセージ入りで。しかもそれは大量生産的なものではなく僕へ宛てられたものだと分かった。


翌日メイちゃんからもメッセージいりの案内ハガキが届いた。
それはとても嬉しかったが、もっと早くのうちに届けてほしかった。できれば一般チケット販売開始よりも前に。
何もチケットをソールドアウトさせて客席を満員にすることが全てではない。
たとえ小さなライブハウスであっても素晴らしいライブというものは存在する。
つれづれで言うと「Overdestrudo TOUR 2020」の心斎橋火影なんかがまず思い浮かぶし、先程言及したぜん君の秋田公演もとても素晴らしかった。
先日のぜん君の活休前ラストの上前津Zionもさぞ素晴らしかったことだろう。

───

そんなことを思いながら今日は渋谷のタピオカ屋さんでの一日店長イベントで武道館公演の無料観覧券も配っていた。
僕は既に武道館チケットを予約しているが、メンバーおもにメイちゃんとたくさんお話もできた。

高木さんと乾杯


ライブ直後特有のドーパミン噴き出てる状態ではなかったものの、白昼の街中で話していると、つれづれで沖縄ファンミ行ったときのメイちゃんを思い出したり、せっかく台湾発祥のお店なのでつれづれ台湾のときも思い出せるメニューはどれかな?ってメイちゃんに訊いたりした。
あの頃のメイちゃんは僕のことを「こまちバカ」として接していたが僕もまたそんなだっただろう。
しかし今はメイちゃんをメイちゃんとして話していると思えた。

できるだけ多くのお客さんで埋めたい気持ちも痛いほど分かる。しかしもう来週には武道館当日だというのに、ぶっちゃけ悪あがきだと思う。この際だから綺麗事抜きにして。

しかしそんな僕だってこのブログをもっと早く完成させて、もっと早くメンバーの目に留まっていたならば、と思いながら乱文乱筆で悪あがきをしている。
もうこれ以上加筆修正している時間もないので、ここいらで公開してしまおう。

もっと早く伝えられなかった悔いや、ふふに伝えられなかった悔いもあるし、チケット取ってたのに行けなかったライブだっていくつもあった。
「悔いのないように」というのは語弊があるだろう。
しかしそういった悔いは挙げればキリが無い。
書ききれないこと、伝えきれないこともきっとまだまだある。
こうやって僕の思いをアウトプットばかりしていたら当日緊張してしまうかもしれない。

80年代から90年代にかけてのバンドブームの時期にアマチュアバンドたちが演奏を競い合ったTV番組「イカすバンド天国」通称「イカ天」の審査員がこう言ってた。

「今日も、緊張したとか演奏うまくいかなかったってバンドもありましたけど、緊張しない人間の音楽なんて誰も感動しませんから。」

いい意味での緊張と程よいリラックスでベストを尽くしてほしいし、たとえうまくいかなかった瞬間があったとしてもメンバー同士の絆でリカバリーもできるし、僕たちも観客としてどこかタイミングを失ったりもあるかもしれない。
しかしお互いがお互いを好きだと思う気持ちがあれば、それはいくらでもリカバリできるし乗り越えていけるはずだと思っている。
テクニック的なことは今までずっと鍛錬してきたのだし、今までの努力は全て無駄ではないと思い、それを自信に変えてゆけばいい。
あとはお互いの「好き」という気持ちをぶつけ合えればきっと大丈夫。

今日タピオカ並びながらメイちゃんと話したこと思い出していたら、それは大丈夫だと思えるようになったし、めぐみさんにも約束した。

僕もぜん君のみんなのこと大好きだぞ!

楽しいも悲しいも悔しいも嬉しいも、みんな武道館に連れてきて、そしてみんなで笑い合えればそれでいい。

君の未来が ぼくの存在
君が笑えればそれでいい。

行方不知ズ徒然

などと、何年も聴けずにいるフレーズがフラッシュバックしてしまうのだ。

でもやっぱりここは、

色々あるけど笑ってこうぜ♪

ですね。

2023.03.11.
Лавочкин(らぼーちきん)

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