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#ぼ について

#ぼ って何だ?

日頃から小生のTwitterでも見てない限りまったく見当もつかないことだろう。「#ぼ」とはTwitter上で展開されているハッシュタグなので、この読者さんには一度検索して見てもらいたい。

今回は、その #ぼ についてちょっぴり考えてみようかと。
そういえば「幸せについて考えてみた」って歌があったような… あれはポルノグラフィティの「幸せについて本気出して考えてみた」という曲名である。他にも「幸せについて、僕が考えたこと」という曲もあるそうだが、そのリリース年からして僕がおぼろげながら知ってたそれではない。
そもそもポルノグラフィティの「幸せについて〜(略)」にしたって、そのメロディを口ずさむこともできないし、「そんなタイトルあったよなぁー」くらいの認識。
ファンの方には申し訳ないが。
ポルノグラフィティというバンドを「ポルノ」と略しているファン、それってどうなのよ?
たとえば、うら若き娘さんが父親との会話で「私最近ポルノ観に出かけてるの」なんて言おうものならば「にっかつロマンポルノだって!?」と誤解を招きかねない。
また、ゴスペラーズを「ゴス」と略すのもどうなのよ?
さすがにそれは「ゴスロリ」なる言葉も広まっているから彼らの中で「ゴスペル」と「ゴシック」くらいの区別はしているのだろうけど。
それよりもむしろ「スベラーズ」と混同して階段から転げ落ちやしないか、僕はそれが心配である。

「あぶい!」
昭和にはこういう送り仮名使いが割と多かった。

かつて、猛毒というハードコアパンクバンドが、ブラストビートに乗せて「ドッキリカメラスベラーズ!長門勇!長門勇!」って歌っていたの覚えてらっしゃる人はおりませんか?
たとえその歌を知ってたとしても、この俳優・長門勇さんがスベラーズのイメージキャラクターを長年務めてたことを知らなければその歌の意味も分からなかったでしょうけど。
意味が分かったところで、で?何?という歌なのだが。
とにかく猛毒というバンドのそれらの歌は「出オチ」を楽しむような歌であって…

さて、さっそく本題に入りましょう。

アムロ、いきます!

Twitterのハッシュタグを遡ってみると、"それ"以前から「#ぼ」は複数の文脈で存在していました。
しかしそれらが複数、というか個々の文脈であったことは認識できても、それらがどういった意図で「#ぼ」になったのかは知ったこっちゃない、それこそTrebleの『Angelus aut Diabolus』の「Iru 知ったこっちゃないver.」なんですフェルナンデス。
So what!
だから何!?

Arable(Trebleファンの呼称)のみなさんならお察しの通り、弊ブログでは近頃Trebleの朔羽いるちゃんが毎晩22時00分頃に投稿しているハッシュタグ「#ぼ」、その「#ぼ」がどういったものなのかはTwitterから検索していただくことこそが、ここで御託を並べるよりも「リアル」なのでしょうけど。

朔羽さんのハッシュタグ「#ぼ」が添えられた自撮り投稿は確か2023年の10月あたりから突如として始まりました。
2回目の投稿を見かけた時は「!?ひょっとして昨日と同じ写真!?」とも思いましたが、まさか現役のロックアイドルたるものが自撮りでそんな粗相をおこなうわけがありません。ともするとTwitterのバグかもしれない!そう思いました。
時々グラビアアイドルなんかがインプレッション稼ぎのためか「500いいねありがとう!」「700いいねありがとう!」などとコメントを追加してタイムラインに同じ自撮り写真が浮上してきます。
「おっ!これはセクシーだな!」って保存してみると「なんてこった!今朝も保存してたやつじゃん!」って困惑もします。(お前が言うな)

しかし「#ぼ」は違うんです。
(ほぼ)毎晩投稿される素人目には同じ画像と思われる自撮りに寄せられるキャプションはその日その日で異なるのです(本人談)。
僕もまだまだ素人なのでその区別はつきにくいのですが、その自撮り写真も毎日そのつど撮影しているものだそうです(本人談)。
「#ぼ」が連載化されて一ヶ月も経たずして朔羽いる本人は髪を金髪ボブにイメチェンしました。
しかし22時になると、彼女は以前の緑インナーの黒髪に戻って「#ぼ」を投稿するのです。
それがライブ当日で特典会が21時50分頃に終わると「いっけなぁ〜い!そろそろ #ぼ の時間だ!」と彼女は楽屋に駆け戻ってゆくのです。
僕たちは終電を気にしながら早足で着の身着のまま木の実ナナで駅までゆくのですが、演者である朔羽いるちゃんは楽屋へ行けばメイク道具一式が揃っているのですから。

へぇ、あんたもナナっていうんだ

しかし彼女が毎日どうやって金髪を黒髪に戻しているのかを訊ねるというものは、たとえばデーモン小暮閣下にすっぴん顔を訊ねるくらい無粋なやつってもんで。江戸っ子の粋に反するものでやんす!

しかしそれにしても何故それが「#ぼ」になったのでしょう。
それもきっと本人に訊ねても、煙に巻かれるカールスモーキーがせいぜい関の山でしょう。
「Don't think, feel」とブルース・リーばりに返されるか、あるいは「なんとなく、クリスタル」と柴田恭兵ばりに返されるか(木の実ナナ伏線回収)、
関係ないですけど柴田恭兵とユン・ピョウって似てますよね?
「関係ないね!」
って柴田恭兵から言われそうですけど。

しかしTrebleはライブを主体とした活動をしていることもあり、SNSよりもライブを通じて気付かされることも多々あるんです。
先日TrebleのライブMCの合間に僕がフロアから「#ぼ !」って叫んでみたんです。
歌舞伎の演目中に客席からこだまする「成田屋!」みたいな感じに。
あ、もちろん「ハッシュタグぼ」だとか「シャープぼ」だとかは言ってません。音にしてみたら「っっっぼっ!」みたいな感じでしょうか、ほんの少しためて唇を破裂させるように叫ぶと、これがまぁなかなか爽快なものでして、当の朔羽いるちゃんからも「#ぼ !」って返って来ました。
その後のMCの中で、大暴走天使るりちゃんも少々の間を埋めるために「#ぼ !」と発しておりました。

筆者はあの日の「#ぼ」の応酬を目の当たりにし、筋肉少女帯のライブでの一体感に似たようなものを感じました。
バンド隊が一斉にジャ~ン♪と楽器を鳴らす。そのアンサンブルを「All right!いくぞ!」と確認したオーケンこと大槻ケンヂはホールの客席に向かって「高木!」と叫ぶ。オーケンの息遣いを感じた観客が一呼吸置いて一斉に「ブー!」と応酬し、「元祖高木ブー伝説」の本編が始まるのである。
「ブー!」と「#ぼ」にグルーヴの近似性を見出した瞬間であった。

あるいは、もしかしてこれってBUCK-TICKの「悪の華」のイントロの櫻井敦司の「Ah」や「Uh」にも通づるところがあるかもしれない、もしくは昔の政治家が答弁を読み上げる時の「あー」や「えー」に近い用法なのかなとも思いました。
80年代テレビ東京がまだ"東京12チャンネル"だった頃からの「日高義樹のワシントンリポート」で米元国防長官のキッシンジャー氏とのやり取りの中で日高氏が「なうあー」と発していたのにも似た用法かもしれません。
その当時の報道番組の雰囲気を捉えたのが「スネークマンショー」の『ニュースの時間』です。

「お聴きになりますか?」
「まさか!ハッハッハ…」
などといった、これまたスネークマンショーのネタを用いるフリークスならご存知のことと思いますが、この「ニュースの時間」はパロディーです。

しかしこういった「ニュースの時間」を聴いてると、「FxxK」と唇を破裂させるように発音することがいかに爽快かというのが伝わってきます。
もはやそこには「畜生!」みたいな反骨精神よりも言葉を発すること自体の快楽が先行しておりまして、かつてイギリス国営放送のBBCの生放送(当時は生放送が主流だった)で「FxxK」を連呼して物議を醸しだしたロンドンパンクバンドのセックス・ピストルズもおそらく、そこにそれほどの憎悪は無く、カジュアル感覚で「FxxK」を連呼してたんだと思います。同時期にパンクバンドの雄として一世風靡したThe Crashなどに比べたらピストルズのポリティカルアティテュードはさほど濃くなく、若者のリビドー発散とファッション的な側面が濃かったと思います。それでも社会的影響は強かったわけで。
僕自身もパンク音楽に傾倒していた頃は、まるで接続詞のように「FxxK」と発してたこともありましたが、しかし欧米人と違って日本人のプリミティブな感覚からすると「FxxK」は馴染みの薄い言葉なんですね。
ゆえに古来の江戸っ子は「べらぼうめ!」と言ってみたり、もっと一般的には「畜生!」「くそっ!」と日本人は発するでしょう。海外でも文字どおりに「Shit!」ってあるのも面白いですね。
「畜生!」といえば「チキショー!」とのコウメ太夫の絶叫も有名ですが、芸人たちもそういった感嘆詞を持ちギャグにする傾向があります。
たとえば小島よしおの「はい、オッパッピー!」であったり(それがocean pacific peaceの略であるという諸説はさておくとして)、レイザーラモンHGも「フォー!」と叫ぶし…どれも例が古いですね…
谷啓は「ガチョーン!」、イヤミは「シェー!」、変なおじさんは「だっふんだぁ!」など…もっと古いですね…いつの時代もエンターテイナーたちは沈黙を切り裂くように、辞書に載ってないような感嘆詞を創作することによってそれを「笑い」に昇華してきたことは歴史が証明しているのです。

「言葉の意味はよく分からないがとにかくすごい自信だ!」
とは、漫画「キン肉マン」で主人公のキン肉マンが超人格闘技のリングの上で「屁のツッパリはいらんてすよ!」と言葉を放った時、実況解説の"アデランスの中野さん"ともう一人の実況アナウンサーが示した反応です。

意味は分からないがその言葉が持つエネルギーと言いますか、日本では古来から「言霊(ことだま)」という信仰もあるので、たとえ同じ意味を示す言葉であってもその場面によって様々な呼称を使い分けたり、同じ漢字の熟語でも音読みさせたり訓読みさせたりして、その言葉のもつ響きを大切にする民族なのだと思います。

一方で海外に目を向けても、たとえば映画メリー・ポピンズに出てくる「supercalifragilisticexpialidocious」なんかもそれの一種と言えるし、日本ではひみつのアッコちゃんの「テクマクマヤコンテクマクマヤコンラミパスラミパスルルルルルー」など、おまじないの呪文なんかも既存の意味を持たない言葉を唱える場合が多いし、「言葉にならない言葉」というものは長い音で構成されるものも多々存在するのです。

アイドル現場に視点を移すとではたとえどんな曲であっても「しゃーいくぞー!タイガーファイヤー!」などの意味不明瞭な長い言葉を合いの手のように入れられる場面も少なからず存在します。そしてそれは複雑に構成された変拍子や3連シャッフルの楽曲なども全てお構いなしに四拍にしてしまうという、言わば声による暴力とも言えるでしょう。
奴らはそれをMIXなどと呼んでおりますが、それは決して楽曲と混ざり合ってるとは言えないシロモノであり、「調和」なんて以ての外と言えるでしょう。かつてジョン・ケージが五線譜で描くことのできない近代音楽の既成概念を超える音像というものを模索したような、そういった高次元の発想はそこには存在しません。

Treble現場ではライブ観覧ルールで「MIX禁止」を定めるようになりました。わざわざルールとして明文化させる以前に「マナー」として守れればいいと僕は思いますけどね。
しかしアイドル現場の文化には「丹精込めて制作された楽曲をいかに下衆レベルに落とし込むか」という風習も根強く残っており、それを伝統的に崇めながら新世代が参入してきたり、阿鼻叫喚の様相さえあると言えるでしょう。

さて、「#ぼ」に話を戻しますが、上記の長い呪文と違って「BO」という1母音1子音による1音節で構成されており、ハリー・ポッターよろしく魔術の学校で習得するような修練も必要ないし、誰にでも暗記できる1文字なので、誰にでも発せられる言葉と言えるでしょう。しかし、先述のライブMCの合間に発したように、「#ぼ」を発するには絶妙なタイミングとリズム感、そしてグルーヴ感が求められるものだと思います。

かつてタレントの吉村明宏が和田アキ子の「古い日記」という歌の「あの頃は〜♪ハッ!」などと本人が発する掛け声を誇張するモノマネで人気を博しましたが、和田氏の「古い日記」などのファンクミュージックは海外のジェームス・ブラウンなどの影響が濃く、彼の楽曲では「セックス・マシーン」の「ゲロッパ!」は「Get Up!」が訛ったものです。

「ハッ!」や「ゲロッパ!」などのように「#ぼ」もまた一瞬で発せられる音なので、リズムに乗せてパーカッシブに発するのもまた音楽の可能性を広げてくれるかもしれません。

がしかし!
「#ぼ」が様式化され形骸化されると、今度は「#ぼ」自体の発する瞬発力やエネルギーが削がれるおそれや、その中毒性がやがて依存症や欠乏症も生み出しかねないという「諸刃の剣」であり、ともすれば「劇薬」にもなりかねないということを、我々は肝に銘じて容量・用法を守ることが大切だと思います。
Trebleルールで「#ぼ」が禁止されぬよう、我々人類は節度のある「#ぼ」エチケットを矜持していくことが大切だと思います。

「#ぼ」の自由と権利を未来永劫守るために。


20240103
Ла#ぼчкин
(ら#ぼーちきん)


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