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戒めの言葉集 『悪魔の辞典』

古本屋さんで美術本を探しているとき、その題名に惹かれて手にした『悪魔の辞典』。
ちょっと茶色くなったケースに入った 怪しげで魅力的な薄い本は、昭和39年に翻訳・発行されています。シンプルな装丁がたまらなく魅力的!
58年前に300円で販売していた辞典を、私も300円で購入しました。

アメリカのジャーナリストであり短編小説家のアンブローズ・ビアス(1842年-消息不明)が1881年サンフランシスコの週刊誌に最初に発表し、1911年に書籍化された『悪魔の辞典』。
ビアスが選んだ 約1,000個の見出し語と、彼が新たに「再定義」した説明文が淡々と掲載されている辞典。これまで筒井康隆氏をはじめ複数の人によって翻訳されていますが、昭和39年西川正身氏によって翻訳された本書が一番古いかも知れませんね。

「A」から始まる単語を見ていくと、

◉「卑屈」(Abasement) … 富ないし権力を前にしてとる好ましい習慣的な心の姿勢。使用人が雇主に向かって話しかける場合にとくに向いている

◉「責める」(Accuse) … 他のものを罪ありと、あるいは無価値なりと断言する。その者を不当に扱ったことに対して、自己を正当化しようとする場合が最も普通

◉「達成」(Achievement) … 努力の死、嫌悪の誕生

◉「老齢」(Age) … すでに犯すだけの冒険心が持てなくなっている悪徳を悪しざまに言うことによって、いまだに失わずに持っている悪徳を棒引きにしようとする人生の一時期

『悪魔の辞典』より

権力者を前にして取る正しい姿勢が「卑屈」であり、自己を正当化しようとするときに他人を「責める」もの。。。いやぁ、なかなかです。
物事を捉える角度が大変歪んでいるのですが、実はそうなのかも…と唸らされる表現が多々あります。

◉「安心」(Comfort) … 隣人が不安を覚えているさまを眺めることから生ずる心の状態

◉「慰め」(Consolation) … 自分よりもすぐれた者が、実は自分よりもかえって不仕合わせでいると知ること

◉「大胆不敵」(Daring) … 無事安全な立場にある人に見られる最も著しい特質の一つ

◉「熟慮」(Deliberation) … バターが塗ってあるのは果たしてどちらの側であろうかと、自分のパンを仔細に点検してみる行為

◉「議論」(Discussion) … 他の人びとの思い違いをいよいよもって強固なものにする方法

◉「友情」(Friendship) … 天気のよい時には人を二人乗せることができるが、天気の悪い時にはたった一人しか乗せることができない、そんな程度の大きさの船

『悪魔の辞典』より

読み進めていくと、体の中の「どこか」にある「何かが」うごめき始めました。重くて嫌な臭いを発しながら…。

自分の中に天使(善人)と悪魔(悪人)がいるならば、天使を装っている今の私の中には、間違いなく悪魔がいるのです。

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小学生の私は、正義感が強く 間違ったことが大嫌い。掃除をサボっている男子や、嘘をついている女子を見つけると皆の前ですぐに指摘。それでも態度を改めないようであれば すぐに先生に言い付ける、そんな嫌な子供でした。
知能指数が高く 勉強も運動もこなし、この世は私のためにある!と真剣に信じていた、そんなイタい子供でした。

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先生方のお気に入り=真面目な優等生だった姉(3歳年上)が卒業した中学に入学した私は、彼女と同じように見られるのがとても嫌でした。
平たく言うと … 反抗期がやってきたのですね。
“優等生” と正反対の “ワル” に憧れて、不良と呼ばれる先輩をカッコいいと思っていました。
目立ちたがり屋の天邪鬼、怖いもの知らずの毒舌家を気取って「なんなら悪魔と手を組もうじゃないか!」とイキっていたのですねぇ。

でも、とっても無理をしてました。
部活をサボって喫茶店に居るところを見つかったときも「一生懸命指導してくれた先生を悲しませた」ことに胸が痛みました。
悪魔(悪人)を装っていた当時は、自分の中に天使(善人)がいることを感じて情けなく思ったものです。

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就職してから、誰かの信頼と引き換えにお給料をいただくようになり、社会人としての自覚が生まれ、少し大人になりました。
後輩ができ、リーダー職に就いてからは、周囲の手本にならなければ!と強く思い始めます。「仕事に対する姿勢」だけでなく「自分の考え方」や「発する言葉」まで、すべてにおいて “真っ直ぐ前を向いて突き進む” ことで、誰に見られても恥ずべきことのない「生きざま」を見せていこう!とイキっていました。
人の見本になれるような人間ではないのに…。
ちっとも真っ直ぐな人間ではないのに…。
そんなこと、自分が一番よくわかっていました。

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現在は力を抜いて 自然体で生活しているつもりです、が その名残はあります。
嫌なこと、怠惰なこと、道に外れる言葉はできるだけ慎み、
「べき」論、キレイごと、前に進める言葉だけを口にするようにしています。

と偉そうに言っていますが実は、嫌な言葉を口に出したら 悪魔(悪)が一気に顔を出し、自分を制御できなくなることが恐ろしいのだと思います。
天使(善人)を装えば装うほど、自分の中の悪魔(悪)の存在に怯えてしまうものなのですね。

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そんな私が手にした『悪魔の辞典』。
ビアスが私に語りかけます。
偽善者よ!お前の本心を見せてやろう!
ビアスが解釈した言葉の定義は、私が閉じ込めてきた心の中の悪魔が話している言葉のようです。
一般に理解されている言葉の定義と、ビアスの定義を並べてみました。

◉「幸福」(Happiness) … 満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま
ビアス)→ 他人の不幸を眺めることから生ずる気持ちのよい感覚

◉「憎しみ」(Hatred) … 憎いと思うこと。憎悪の気持ち
ビアス)→ 他人が自分よりも立ち勝っている場合にふさわしい感情

◉「悪人」(Malefactor) … 心のよくない人。悪事を働く人。悪漢
ビアス)→ 人類を進歩させて行く最も重要な要因

◉「快楽」(Pleasure) … 心地よく楽しいこと。官能的な欲望の満足によって生じる、快い感情
ビアス)→ 同じ憂鬱の中でも、忌々しさの最も少ない種類のもの

◉「礼儀正しいこと」(Politeness) … 礼儀をわきまえており、態度がきちんとしているさま
ビアス)→ 最も歓迎すべき種類の偽善

◉「窮地」(Predicament) … 追い詰められて逃げ場のない苦しい状態や立ち場
ビアス)→ 言行一致が受ける報い

◉「平和」(Peace) … 戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること
ビアス)→ 国際関係について、二つの戦争の時期の間に介在するだまし合いの時期を指して言う

◉「忍耐」(Perseverance) … 苦難などをこらえること
ビアス)→ 凡庸な連中が、それによって不名誉な成功をかち得るところの、取るに足らぬ美徳

『goo辞書』と『悪魔の辞典』より

胸の粘膜が何かに溶かされていくような痛みを感じます。ぬるくてネバネバした液体がドロドロ流れ出てしまいそうです。

ビアスはこの辞典について、

甘口の酒よりは辛口の酒を、感傷よりは分別を、ユーモアよりは機知を、俗語よりは品のある英語を、むしろ取ろうと考える賢明な人びとに読んでもらおうと思って書いた

と語っているそうです。
「分別」「機知」「品のある言葉」を選択して「賢明な」人になりたい!と思っている、まさに私に向けられた辞典なのですね。

今の私が新たな見出し語を作るならばこうなるでしょうか。

悪魔の辞典(The Devil's Dictionary) … 自分を善人であると信じ、また善人になりたいと強く願う人が封印している本心

悪魔の辞典・定義

いえいえ、いやいや、ダメダメ。
こんなことで フラついたり負けたりしてはいけません!
確かに、自分の嫌な部分をキレイごとで覆い隠して見ないようにするのは良くないですね。しかし、前向きな言葉や思考で自分を真っ直ぐ引っ張っていく努力は続けていきますからね、ビアス様!

悪魔の辞典(The Devil's Dictionary) … “善き人” になりたいと願う人が、自らの言動を反省し さらに前進するために時折り手にする戒めの言葉集

悪魔の辞典・再定義

<終わり>


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