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画家の見た景色と鑑賞者の観る景色<A面>

<自然と人のダイアローグ展>第3章は〜「光の建築」The Architecture of Light〜。
第1章、第2章とは全く違う世界が広がっていました。
(冒頭の写真は左から セザンヌ、ホドラー、シニャック)

常設展で何度も観てきたセザンヌ(画像・左)からスタートです!。

左)セザンヌ『ポントワーズの橋と堰』1881年
右)セザンヌ『ベルヴュの館と鳩小屋』1890-1892年頃

島展示というのでしょうか、展示室内の空間を遮るようにポツンと置かれた黄色い壁に 来日したもう一つのセザンヌ(画像・右)。視線を不規則に移動させることによって鑑賞する側もリズムを感じることができます。
黄色い壁を目で追っていくと展示室の奥に、シニャックの描いた “港” の風景が見えました!なんと美しい色なのでしょう✨。
いえいえ、先走ってはいけません。ゆっくり しっかり自然を感じていくことにします。

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1881年といえば<印象派展>開催も第6回を迎えた年。
画家たち、もちろんセザンヌも【印象派】を超えて独自性を見出すための試行錯誤を重ねていた時期だったのですね。

ポール・セザンヌ『ポントワーズの橋と堰』1881年(全体と部分)

専門的なことはよくわからないのですが、カンヴァス左手前に位置する 川沿いの歩道は歪曲化・平面化しています。遠近法も少しヘンなのでしょうか。
手前の茂みから奥に向かって続く緑色の規則的な筆遣い(「構築的ストローク」)が特徴的ですね。構図や色合いにドッシリした重みを感じるのですが、画面全体がリズミカルなのは、この筆遣いの効果かもしれません。

セザンヌの作品から感じるのは “自然そのもの” ではなく、それを絵画に表現するために再構築した “アーティスト” セザンヌの功績です。
その功績については 。。。次回 しっかり考察したいと思います。

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これがホドラー? 色鮮やかな作品です。

フェルディナント・ホドラー『モンタナ湖から眺めたヴァイスホルン』1915年

スイスの画家ホドラー(1853-1918年)のことは、「ちょっと怪しげな作品を描く【象徴主義】の画家」と勝手に思っていたので、爽やかな「観後感(←鑑賞あとの “後味” のような意味で使っています)」に驚きました。

自然の景色に反復とリズムを見出した” というホドラー。何も考えずに彼の描いた景色を観ていると、スイス山岳地域に伝わる[民族音楽の楽譜]のように見えてきました。山脈の向こうから金管楽器ホルンの柔らかな音色が湖面に響き渡っています。題名の『ヴァイス “ホルン”』 に引っ張られていますね(笑)。

そして先週。
たまたま映し出されたテレビ画面に、ホドラーのヴァイスホルンが⁈。

NHK連続テレビ小説オープニング映像より

NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』のオープニング。森江康太さん制作のアニメーションだそうです。フルバージョンは、森江さんのTwitterからどうぞ。

森江さんはNHKから制作依頼を受けて、ドラマの舞台となる沖縄の歴史や文化を調べ、ヒロインが故郷を想う気持ちをアニメーションにしたそうです。

似てる!と思った ホドラーのスイス and 森江さんの沖縄。
実は全く異なるそれぞれの風景が、私の生まれ故郷にある海の景色とも重なって、懐かしさで胸の奥がキュンっとしてきました。
“想い” は共通…なのかも知れませんね。
今さらですが、ドラマが見たくなりました。

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こちらはフィンランドの湖。

アクセリ・ガッレン=カッレラ『ケイテレ湖』1906年

フィンランドの国民的作家 アクセリ・ガッレン=カッレラさん。正確にお名前を呼ぶ自信はありませんが、初めまして。
こちらは国立西洋美術館の新収蔵作品だそうです。

湖面を横断する幾重ものパターン化されたラインは、船が残した “さざ波” を暗示していると言われているそうですが、その気配や波の動きは全く感じません。静か過ぎて、耳の中で「シーーーンっ」という音がするようでした(笑)。

鏡のような湖面は、鑑賞者の本当の姿を映し出してくれるでしょうか。
「ケイテレ湖よ、ケイテレ湖さん。今のわたしは しっかり前を向いて歩めているでしょうか?」
静かな湖面の前に立って大きく深呼吸、冷たく澄みわたる空気を全身で感じました。

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地球上のあらゆる場所で見ることができる「月」ですが、その見え方、明かりの強さや光の広がりは 位置する緯度や環境によって違うのかも知れません。
こちらはフランス北部の月明かりです。

テオ・ファン・レイセルベルへ『ブローニュ=シュル=メールの月光』1900年

ジョルジュ・スーラに影響を受けたベルギーの画家レイセルベルへ(1862-1926年)は、純色の小さな筆触を理論的に並べる【点描様式】で夜の港を描きました。
画面より上部に昇っているため、その存在自体は確認できない「月」。
空に広がる直接光より、水面に反射した月明かりの揺らめきの方がまぶしいですね。ひとつ一つの筆跡がわたしの目の中で光の粒へと変化しています。【点描主義】、ブラボー!
街の灯との競演も楽しめる作品です。

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その【点描様式】を スーラと共に完成させたのがシニャックです。

ポール・シニャック『サン=トロペの港』1901-1902年

これまで常設展で、何度もこの港の前に立ち 長い時間を過ごしてきました。
これが【点描主義】なのね…。作品に近づいて離れて、また近づいて。
理論的なことはよくわからないのですが、白い壁に展示された本作からは、とにかく「色」を意識させられました。ひと筆ひと筆きっちりと丁寧に置かれた色の点から連想するのは、店頭にずらーッときれいに陳列されたチューブ絵具、または テーブルに同じ間隔で並べられた色紙。。。わたしのような素人が入り込む隙間は見当たりません
本作について「1901年頃のシニャックは【点描主義】にこだわらない作品を制作するようになっていた」という解説を読んだのですが、「いやいや、十分こだわっているでしょ」とあまりピンときていませんでした。

さて。黄色い壁の特別なステージに飾られた、今日の「港」。
壁と同系色の黄色、オレンジやピンク色が柔らかいですね。手前の寒色系の青や紫色も、いつもより一つ一つの点が色濃く見えるのに、なぜか温かみを感じます。作品自体がリラックスして微笑んでいるように感じるから不思議です。わたしも気づかないうちに笑顔になっていました。

作品の解説文を思い出して「なるほど」と納得。
1901年のシニャックは、理論から解放され、小さな点にこだわらず、そして色彩から解き放たれ「つつあった」のですね。何色もの色紙をフワーっと空に向かって撒き散らしたような気分になりました。
違う場所や環境で展示された 同じ作品を観ることで、自分の中に起こる印象の変化や新しい発見。これが本当に楽しいのです。
『サン=トロペの港』が国立西洋美術館にあって本当によかったぁ。また会いにきますね。今度は常設展の白い壁の前で!。

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第3章は まだ前半が終わったところです。
後半の作品は「セザンヌから始まる20世紀絵画への流れ」という別の角度から鑑賞したいので、次回に <B面>として投稿したいと思います!

<終わり>

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