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三つの <ブルターニュ> Partie 1

二つのブルターニュ展に行ってきました!

午前中…[A]SOMPO美術館 <ブルターニュの光と風>展
(以下、<SOMPO ブルターニュ展>と省略)
午後…[B]国立西術館 <憧憬の地 ブルターニュ>展
(以下、<西美 ブルターニュ展>と省略)

フランス北西部、大西洋に突き出た半島を中心とするブルターニュ地方。そこに旅行・滞在し、または移り住んだ画家たちと、ブルターニュ地方を描いた作品群を取り上げた二つの展示会です。
聞くところによると、二つの美術館は申し合わせをしたわけではなく、偶然 同じ地域に注目し、偶然 開催時期が重なったのだとか。。。

なので 二つのブルターニュ展は、意図せず共通する部分もあれば、異なるストーリーで展開しているところもあります。
鑑賞者としては、両方を一気に観たからこそわかることも多く、一つの視点からだけでは見えなかったことを、二つの文脈を辿ることで深く理解できたのです。

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[余談 その1]
“ブルターニュ地方” が主役となっているため、とても役に立ったのがSOMPO美術館でもらった関連地図。会場のフロアマップの裏面に、ブルターニュ地方のざっくりした地図が印刷されています。

<SOMPOブルターニュ展>

一方の<西美ブルターニュ展>は、図録に「ブルターニュでの作家滞在地」として、もっと詳しく美しい地図が載っているのですが、図録を購入しないと見られません。
国立西洋美術館で開催される美術展は、“解説や図録の論文” を読み込むととても勉強になるのですが、私のような “素人が会場で” 鑑賞するにはちょっと不親切なところがあるのですよねー。といつも思います(←苦情ではありません!)。

私はSOMPO美術館で地図をこっそり2枚もらって(すみません)、両方の展示室の中で1枚目の地図に作品の描かれた場所をチェック→書き込みをしながら鑑賞。
もう1枚は帰宅して<西美ブルターニュ展>図録の情報を書き込んで楽しみました。

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さて、[A]<SOMPOブルターニュ展>。
こちらは、ブルターニュの絵画を多数所蔵しているカンペール美術館の作品を中心に展示しています。
45人の作家による約70点の油彩・版画・素描、なかなか見応えがありました。

まず、美術展スタートからドーーーーンっ!と並ぶのは、アカデミックな画家たちの描いた大画面のブルターニュ風景。第1章[ブルターニュの風景ー豊饒な海と大地]です。
(ほとんどの作品は写真撮影OKだったので、気になる作品をiPhoneで持ち帰りました)

とりわけサロンを活動拠点とした画家たちによる大画面は圧巻です

<SOMPOブルターニュ展>みどころ より
左上)テオドール・ギュダン『ベル=イル沿岸の暴風雨』1851年
左下)アルフレッド・ギュ『さらば!』1892年
中央上)アドルフ・ルルー『ブルターニュの婚礼』1863年
中央下)アレクサンドル・セジュ『プルケルムール渓谷、アレー山地』1883年
右上)エヴァリスト・=ヴィタル・リュミネ『狩猟の帰途、またはブルターニュの密猟者』1861年
右下)ポール=モーリス・デュトワ『ブルターニュ女性の肖像』1896年

「ブルターニュの気候は…」「断崖絶壁の多い地形で…」「人々は敬虔なキリスト教徒で…」などという説明は不要。言葉は要りません。
“辺境の地” ブルターニュの厳しくも美しい大自然、そしてそこに住む人々の文化、習慣や儀式がみごとに写し出されています。臨場感あふれる迫力の画面を前にして、一気にブルターニュの世界に引き込まれたのです。
まだ混雑していなかったので、ゆっくりじっくり “ありのまま” のブルターニュを全身で受け止めることができました。

SOMPOブルターニュ展>は、それぞれの画家について 丁寧な解説パネルをつけてくれています。これまた素人の私に親切(^^)。
第1章では “レジオン・ドヌールを受賞” (←国のお墨付き)した画家が何人もいて、彼らが師事したのは、アングル、カバネル、ジェローム、ドラローシュ。。。とまあ正統派アカデミック大御所の名前が次々出てくることに驚かされます。
ウィリアム・アドルフ・ブーグローは生徒たちに「夏の間をブルターニュで過ごしてこの地をよく学ぶよう」に助言したといいます。サロン(官展)で評価される画家を育成するための “題材” として、ブルターニュが流行っていたことがよくわかりました。

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[余談 その2]
一方の<西美ブルターニュ展>のスタートは、ウィリアム・ターナーの描いたナント(ブルターニュ)の景色。ターナーの描く光と空気感はやはり素晴らしい(←言葉で表現できないのが申し訳ないです)!
しかし、しかし。
ターナーと同じスペースに展示されているのは、19世紀のブルターニュの文化や風俗を感じられるように並べられた当時の文学書、ポスターなどの品々。
第1章− 1 [ブルターニュ・イメージの生成と流布]。
しっかり図録の解説を読んでから、じっくり鑑賞したら 19世紀のブルターニュに旅行したような気持ちになるのだと思いますが、美術展の冒頭部分としては 少しぼや〜んッと、肩透かしを食らったような印象。ストーリーがちょっと捉えづらかったような気がします(←あくまで個人の感想です。お許しください)。

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さて、その[B]<西美ブルターニュ展>は、オルセー美術館の2点、ナント歴史博物館の1点以外は全て日本国内にある作品でした。関連資料や藤田嗣治の旅行カバンなどを含むと160点以上(注:展示替えがあります)。
作品数は <SOMPOブルターニュ展>の倍以上あるのですが、ポール・ゴーガン…12作品、アンリ・リヴィエール…13作品、モーリス・ドニ…13作品、シャルル・コッテ…15作品・・・と一人ずつの作品が多いため、作家人数は<SOMPOブルターニュ展>より少ないのではないかしら。

というわけで、画家の作風の変化を感じながら鑑賞できるのが大きな見どころとなっています。
その代表選手は、ポン=タヴァン(ブルターニュ)に何度も滞在し【綜合主義】を生み出したポール・ゴーガン!
彼が 1886年〜1894年にブルターニュを描いた展示作品12枚は、同じ作者が描いたとは思えないほど大きく変化していきます。
ゴーガン作品をまだ理解しきれていない私は、手元の資料を開いて彼の行動に注目してみました。

◉1879年から1886年最後の印象派展に出品を続ける
◉1886年7月から10月にかけて初めてブルターニュに滞在

左)ポール・ゴーガン『ポン=タヴェンの木陰の母と子』1886年
右)ポール・ゴーガン『木靴職人』1888年

◉1888年1月、二度目のブルターニュ。同年8月にはエミール・ベルナールと合流し充実した探究・制作活動を行い【綜合主義】として実を結ぶことになる
◉1888年10月、ゴッホが待つアルルで共同生活を送る
◉同年12月にアルル(ゴッホのもと)から去りパリに戻る。
 ◉1889年の新年の行動については、よろしければこちらの記事で ↓ 。

◉1889年6月、ポン=タヴァン(ブルターニュ)へ移る

上)ポール・ゴーガン『ブルターニュ風景』1888年
下)ポール・ゴーガン『画家スレヴィンスキーの肖像』1891年

◉1891年6月、初めてタヒチ島に到着
◉1893年6月、タヒチから戻り2年ほどフランスに滞在する間、パリとポン=タヴァン(ブルターニュ)で制作

左)ポール・ゴーガン『海辺に立つブルターニュの少女たち』1889年
右)『ポール・ゴーガン『ブルターニュの農婦たち』1894年

◉1895年7月にタヒチ島に旅立ち、二度とフランスには帰国せずこの世を去った

おーーっ。【印象派展】→ 原始的な風景を求めてブルターニュに滞在 → ベルナールとの出会い → ゴッホとのアルル時代 → 再びのブルターニュ → タヒチ島での生活 → 再度ブルターニュへ。。。なるほど、なるほど。
私は、
“印象派が自然を再現するために用いたのが「色彩分割」” と言われると、なんとなく理解できるのですが、
“ゴーガンが「象徴的表現」に達するために用いた武器が「綜合主義」” と言われても、まだまだ理解できない未熟者です。
しかし彼の人生の分岐点を意識しながら鑑賞してみると、ちょっと苦手意識のあったゴーガンに少し近づけたような気がするのです。

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[B]<西美ブルターニュ展>のもう一つの見どころは、ブルターニュ地方を訪れた日本の画家たちの作品。

左上)黒田清輝『ブレハの少女』1891年
左下)久米桂一郎『林檎拾い』1892年
中央上)藤田嗣治『十字架の見える風景』1920年頃
中央下)山本鼎『ブルトンヌ』1920年
右上)久米桂一郎『ブレハ島』1891年
右下)岡鹿乃助『信号台』1926年

国立西洋美術館で藤田嗣治以外の日本人画家の作品がこれほど見られるとは・・・。新しい切り口にちょっとドキドキしました。
ほーっ、いいですねぇ。唯一無二の黒田清輝、藤田嗣治。。。そして上手い!久米桂一郎。

[余談 その3]
SOMPOブルターニュ展>ではブルターニュを「辺境の地」と表現していました。
一方、原始的プリミティヴな社会を追い求めたゴーガンや、西洋美術を吸収し持ち帰りたい!と必死に学んだ日本人作家たちにスポットを当てた<西美ブルターニュ展>では「憧憬の地」というワードをタイトルにしています。
なるほど、と大きく納得するのでした。

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二つの美術展を鑑賞して。。。
同じ景色を描いた 複数の画家の作品を観ること、
そして同じ画家の作品を “異なる文脈” の中で観られること…痺れますね。
これ、同じテーマを扱った 異なる二つの展示会を、同じ日に続けて観たからこそ体感できたのです。
私が興奮したポイントをいくつか挙げようと思います。

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西美ブルターニュ展>ではクロード・モネの描いた「海」を並べて展示しています。
目まぐるしく変化するブルターニュの気候、その瞬間 瞬間を捉えるためモネは何枚ものカンヴァスを用意して同時に制作していたそうです。後に手がける連作(『睡蓮』や『積みわら』)に繋がっていくのですね。

左)クロード・モネ『嵐のべリール』1886年
右)クロード・モネ『ポール=ドモワの洞窟』1886年

同じ場所に並んだ二つの作品。そこには全く違う景色が広がっていました。
モネがブルターニュの自然を再現するために用いた「色彩分割」。彼は自分の技法を使い分けている…のではなく、自然に導かれて筆を運んでいるのでしょう。モネが作品を描いた瞬間の日差し、波の音、風の匂いを感じるのです。
ふと、同じブルターニュの海を描いた<SOMPO ブルターニュ展>の展示作品を思い出していました。

注)これ以降の引用画像は、
左が<SOMPO ブルターニュ展>展示作品、
右は<西美 ブルターニュ展>展示作品です。

左)アンリ・ジャン・ギヨーム・マルタン『ブルターニュの海」(1900年)
右)クロード・モネ『ポール=ドモワの洞窟』(1886年)

マルタンの描く『ブルターニュの海』(左)もいいですねぇ。

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ポール・ゴーガンは<SOMPO ブルターニュ展>にも展示されていました。
注)<SOMPO ブルターニュ展>の表記はポール・ゴーギャンです。

左)ポール・ゴーギャン『ブルターニュの子供』(1889年)
右)ポール・ゴーガン『ブルターニュの農婦たち』(1894年)

「コワフ」をかぶった子供(1889年)や女性たち(1894年)の描き方に変化が見られます。
いずれも単純化された太い輪郭線で形取られていますが、1894年の農婦の顔にはタヒチの女性が投影されている!のです。うんうん。

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お次はポール・セリジュ。

左)ポール・セリジュ『水瓶を持つブルターニュの若い女性』(1892年)
右)ポール・セリジュ『アンヌ女公への礼賛』(1922年)

ブルターニュ地方の各地に滞在し、ゴーガンやベルナールと出会ったセリジュは 1906年にはついに移住したそうです。1922年の作品(右)も良いのですが、ゴーガンに憧れ ブルターニュに夢中になっていた1892年、若きセリジュの作品(左)、好きです。

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このまま感想を述べていると、永遠にこの記事が終わらない(汗)ので、もう少しだけ画像を紹介して終わりにします。

左)エミール・ベルナール『水瓶を持つブルターニュの若い女性』1892年
右)エミール・ベルナール『ポン=タヴェンの市場』1888年

↑ 豚と壺(左)、ポン=タヴェンの市場(右)。
お洒落!ベルナールって色彩の使い方・配置が面白い、センス抜群です。

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左)リュシアン・シモン『じゃがいもの収穫』(1907年)
右)リュシアン・シモン『ブルターニュの祭り』(1919年頃)

↑ じゃがいもがテーマのゴツゴツした筆運び(左)、祭りを描いた眩しく柔らかな描き方(右)、どちらもブルターニュなのですね!

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他にも、モーリス・ドニ、シャルル・コッテ、アンリ・モレ、マキシム・モーフラ、アルマン・セガン…。iPhoneで持ち帰った写真画像(<SOMPO ブルターニュ展>)と、図録の画像<西美 ブルターニュ展>)を見比べて自宅で楽しんでいます。

「是非 二つの美術展を訪れて、この贅沢な鑑賞法を楽しんでみて!」と知人に薦めている次第です。
どちらも6月11日(日)まで開催しています。

<終わり>

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