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La Bella Simonetta [prima metà]

行ってまいりました、丸紅ギャラリーへ。
逢ってきました、美しきシモネッタに。

展示室の奥。柔らかなライトを受けている彼女を見つけました。
10〜15メートルほど距離を置いて見ていると、少し動いたような気がしました。彼女はそこに居るの⁈。目を離すとどこかに行ってしまいそうです。そんな風に感じるのは私だけでしょうか?
慌てて近づいて作品の前に立つと、やはりそれは平面的に描かれた「絵」。550年前に描かれ 作品の中に封印されたシモネッタがそこにいました。

サンドロ・ボッティチェリ『美しきシモネッタ』(1469-1475年)

今回の美術展の内容は、
◉ シモネッタという女性について、
◉ ボッティチェリがシモネッタを描いた他の肖像画について、
◉『美しきシモネッタ』の来歴と贋作がんさく疑惑、
◉ ボッティチェリの代表作品に登場する女性について
など学術的にとても面白い構成になっていました。

初心者の私は以下の内容で投稿しようと思います。
[1] シモネッタってどんな人?
[2] ボッティチェリ作品『美しきシモネッタ』を鑑賞!
[3] シモネッタをモデルにした絵画作品について
[4] シモネッタをとことん堪能する!

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[1] シモネッタってどんな人?

1453年1月、シモネッタ・カッターネオは富裕な商人の娘として生まれ、15歳の頃にヴェスプッチ氏と結婚してフィレンツェ(🇮🇹)に住むことになります(ボッティチェリのご近所さんだったとか…)。
美しい容貌だけでなく、文化的教養を十分に備え、魅力的な微笑みと優雅さに加えて繊細な感受性を有するシモネッタ。当時フィレンツェを支配していたメディチ家のロレンツォとその弟ジュリアーノのお気に入りとなり、彼らが開催するイベントには必ず招かれるようになります。公的な存在・時の人となった彼女の「比類なき」美しさに 政治家、外交官、学者、詩人、芸術家たちがみな魅了されたそうですよ。

弟ジュリアーノ・メディチの愛人と言われていたのに⁈
しかも人妻なのに⁈。
ちょっと不思議な気もしますが、そんなことは関係なかったのですね。
馬上槍試合で女神役を務め、舞踏会で踊りを披露した彼女に創作意欲を掻き立てられたのは、ボッティチェリ、ギルランダイオ、ヴェロッキオ、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチというのですからすごい!。
そんな誰からも愛されたシモネッタは1476年4月、肺結核のために23歳の若さで亡くなります。この不幸がさらに彼女を理想の女性に仕立て上げたのかも知れません。

シモネッタの “人となり” は、肖像画に描かれた容貌やエピソードから想像するしかありません。彼女は何を思っていたのでしょうか。
もし彼女が日記をつけていたとしたら…。こんなに面白い読み物はないはず!オペラ、演劇や映画の題材になっていたに違いありません。

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[2] ボッティチェリ『美しきシモネッタ』を鑑賞!

ボッティチェリの描いた ルネサンス期の「比類なき」美=シモネッタの肖像画、その一点を展示した美術展です。
朝一番に入館したこともあり、彼女を独り占め。
少し離れた位置から徐々に近づいて…また離れて。右から左から、上から、下から…じっくり鑑賞できました。
いろいろ話しかけてみたのですが、彼女は何も語りませんでした。

頭部はほぼ真横を向いたプロフィールなのですが、首から下の上半身は、ほんの少しだけこちら側に向けて描かれているのでしょうか。ネックレスのトップ部分だけは上半身の角度よりさらにこちらに向けられているように思えます。何か意図があるのかも知れません。

『美しきシモネッタ』部分

シモネッタをかたち創る輪郭線がくっきり見えます。ボッティチェリの描く線は優雅でとてもリズミカルですね。時間と空気を閉じ込めた平面の「絵」としての美しさの中に動きを与えています。離れて鑑賞したときに彼女がわずかに動いているように思えたのは、このボッティチェリの画力にあるのかも知れません。

広いひたい、ゆるやかなカーブのかかった薄く細い眉、瞳は薄い寒色を帯びているでしょうか、真っ直ぐ前を見ています。
筋の通った鼻は特にくっきりと輪郭がひかれていますね。
膨らみのある小さな唇は、ほんの少し開きかけているのかも知れません。
いろいろ想像してみるのですが、真っ直ぐ前を見据えるシモネッタからその感情を読み取ることはできませんでした。

『美しきシモネッタ』全体

窓枠に頭部をすっぽりバランス良く入れる構図によって、肖像画の中にもう一つ肖像画がある(画中画)ように見えます。まるで、550年前の彼女がさらに額縁に入った肖像としてそれ以前から存在していたような…。そんな複数の次元を感じさせるのです。

額の一番上についた髪飾りの真珠に、画家の姿が写っていないかしら?とじっと目を凝らしましたが、ボッティチェリの気配を感じることはできませんでした。

ボッティチェリの描く女性肖像画は、やはり髪の表現が特徴的。
顔まわりの髪のうねりは束感たばかんがあるのですが、肩にあたる部分は柔らかく繊細に描かれています。画像で見た時にはわからなかったのですが、髪の毛は腰の辺りまで伸びているのですね。画面左下で息づいています。
大和撫子を思わせる「なで肩」「豊かな髪の毛」は万国共通の美人の条件だったのかも知れません。

『美しきシモネッタ』部分

あらっ。左肩から腰に掛けている “赤い布” (マント)のうねりは「線」ではなく「色彩」だけで描いたような描き方・色の乗せ方、そして赤い色のグラデーション⁈。まるでジョルジョーネやティツィアーノらが[油彩]で描いた “赤い布” に引き継がれているようです。←私のイメージしている ベネツィア派の描く“赤い布” はこんな感じです。

そういえば、この作品は[テンペラ・板]に描かれていたはず。
私が持つ[テンペラ画]のイメージは “ツヤツヤ・ピカピカ” 。
その特徴として、
“乾燥すると、発色が鮮やかな半光沢の画面になるが、乾燥後は耐水性になるため、色をぼかしたり広い面に均一に塗るのが難しい”
と学習しました。“赤い布” のグラデーションを表現することは難しいのではないでしょうか?

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自分の頭の中を整理するために少し脱線します。

画像で見ているボッティチェリの肖像画は、全て[板]に描かれている印象が強いのですが、[テンペラ]技法を意識したことは全くありません。色彩の美しさより「板」に描いた「」の印象が強いのです。“ツヤツヤ” ではなく “板板イタイタ” です。
ふーーーむ。
◉ フィレンツェ(🇮🇹)のボッティチェリ…デッサン重視のフィレンツェ派

以前、“[テンペラ画]の美しさ=クリベッリ” と投稿したことがあります。
カルロ・クリヴェッリ(1430年頃-1495年)は、ルネサンス初期・ヴェネツィア(🇮🇹)の画家です。後に色彩のヴェネツィア派が生まれるあのヴェネツィアです。
これまでの展示会でクリヴェッリの描く[テンペラ画]を舐めるように観てきましたが、板の上に色彩を載せているとは思えないほどとても発色が良くツヤツヤしていました。これが[テンペラ画]の発色か!と目に焼き付けてきました。

カルロ・クリヴェッリ
左『聖エミディウスを伴う受胎告知』(1486年)
右『聖母子』(1480年)

特に優れた[テンペラ]技法を有していたクリヴェッリが乗せた新鮮な色彩は、褪せることなく現代の我々も見ることができるというのです。
(注:『聖エミディウスを伴う受胎告知』は、板に描かれた作品をのちにカンヴァスに移し替えたと聞いたような…。曖昧な記憶なのでお忘れください)

今回 図録を見直していると、画像・左)『聖エミディウスを伴う受胎告知』は、“卵テンペラ・油彩”とあります。入念な仕上げは油彩を使用していたのかも知れません。

なるほど。
◉ ヴェネツィア(🇮🇹)のクリヴェッリの色彩表現、プラスそこにアントネッロ・ダ・メッシーナがフランドル絵画油彩を持ち込んで、その結果それを受け継いでいくティツィアーノらヴェネツィア派へと続く系譜
という図が書けるのでしょうか。
水の都ヴェネツィアは、イタリアの北部に位置しフランドルに近いこと、そして湿気の多い地域であるため湿度で影響を受ける板素材から、日常的に手に入れやすい帆布=カンヴァスへの移行が早かったのですね。

フィレンツェ派とヴェネツィア派…。
[画材]や[技法]。。。奥が深そうですがとても面白そうなので、今後の課題にしてまた勉強します!

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すみません。独りよがりの脱線が過ぎ、長くなってしまいました。
続きは<美しきシモネッタ展・後半>で。

<終わり>

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