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【マニエリスト】の画家 ポントルモの『日記』

古本屋さんで 『ポントルモの日記』という薄い本を見つけました。
「ポントルモ」という名前は美術本で見たことがあるような…気がします。

実は。
3年前に入手したジョルジョ・ヴァザーリ『芸術家列伝』を読んで、
「後世の人が過去の出来事、過去の人、過去の作品に評価を与えることは簡単だけど、その当時生きていた人の言葉によって、当時の人々がどんなふうに感じていたのか を知ることって、面白い!」と興味を持ったのです。
さらに古本屋さんで 1951-1954年の雑誌『国際文化画報』を購入して、特集記事【画壇の明星】について note で投稿を続けています。70年前の日本の人々が、絵画界の巨匠たちをどんな風に評価していたのか。。。やはり面白い!!!。

今回 出会った『日記』の作者、ポントルモの肩書きは “ルネサンスの画家”。
「おっ、ルネサンス期を生きた画家本人の日記⁈ これは買わずにはいられない!」と即 購入したのです。

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『ポントルモの日記』は、画家ポントルモ(1494-1557年)が遺した一冊の『日記』を全訳(訳:中島浩郎氏)した前半部分と、
宮下孝晴先生が解説した『ポントルモ 人と芸術』の後半部分に分かれています。

『日記』が書かれたのは 1554年から1556年にかけての2年半ほど。
1557年1月1日に亡くなったと言われているポントルモの最晩年(60-62歳)に当たる期間です。
『日記』はこう始まります。

体を動かすことを怠ったり、服装や性にだらしがなかったり、食べる量が多過ぎたりすると、数日の間に死んでしまったり病気になったりすることがある。だから用心しなければいけない

『ポントルモの日記』より

普段から死を極度に恐れていた彼は、自分の健康を厳しく管理する必要を感じた。そしてそのための記録としてこの奇妙な『日記』を描きはじめたのではないだろうか

『ポントルモの日記』解説より

幼い頃に両親や身近な人を亡くしたことから、異常なまでに死を恐れていたというポントルモのことを、ヴァザーリは『芸術家列伝』で、
「死が話題にのぼるだけでも堪えられず、死体を見ると逃げ出した」
と書いています。
1523年にはフィレンツェでペストが流行し、その後も原因不明の流行り病により多くの命が失われていく当時を思うと、ある程度は理解できるものの、ポントルモの過敏性は異常だったようです。

ノート16ページに書かれた “奇妙な『日記』” は、
 ・[その日に食べた物(88%)]
 ・[その日の体調(6%)]
 ・[簡単な仕事のメモ(4%)]
 ・[その他(2%)]
といった実生活の記録です(割合は、私の読後の印象)。
例えば、1554年12月(ポントルモ60歳)。

金曜日 ニ晩で27オンスのパンを食べたことになる。
土曜日の晩から断食
日曜日の晩に肉のローストを少し食べるまで。
月曜日は降誕祭の前夜でブロンズィーノの家で夕食をとった。
降誕祭の晩までそこにいてい山鴨を一緒に食べた。

『ポントルモの日記』より

おっ、弟子であり友人であった画家、ブロンズィーノが登場してる!
ブロンズィーノの作品はいくつか画像で見たことがありますよー。
と、ちょっと期待して読み進めていったのですが、日記の大半を占めるのは、[その日に食べた物(88%)]の記録です。
日記はずっとずっと こんな調子。食べ物の記録が淡々と続きます^^;。
健康を気にするポントルモは、断食することが多かったのですね。

そんな中で、ときどき記録されているのが[仕事のメモ(4%)]プラス[その日の体調(6%)]について。
1555年3月。

月曜日は聖母の祝日でブロンズィーノと昼食をとり、晩は家で卵の魚を一つ食べた。
水曜日はプットの残りをした。一日中体を曲げたままの窮屈な姿勢でいたので、木曜日は腰が痛かった。
金曜日には痛みだけでなく、体の具合もおかしくなって気分がよくなかったので夕食をとらなかった。
     ※「卵の魚」= 魚のような形に焼いたオムレツ
     ※「プット」= 翼の生えた裸の幼児(男児)の図像

『ポントルモの日記』より

60歳という年齢。壁画の制作などは相当体に応えたことでしょう。体調が悪くて何も食べず、どこにも出かけない日も多くあり、読んでいる私まで気持ちが重くなることがしばしば。
解説はもっと辛辣です。

「語られているのは、ほとんど、この奇人の自ら調理したけちくさい食事や、断食日や、かなり立ち入った健康上の配慮や、たまさかの交友などのことである」
「おそらく、これほどまでに作為と虚飾のない文は、誰でも書けるものではあるまい
「これほど貧乏ったらしい、これほど単調な、また同時に<人間的>という言葉のごとく初歩的な意味で、これほど人間的な記録というものは、まず想像できないだろう」

『ポントルモの日記』解説より

けなしているようで、めているのかしら?
宮下孝晴先生の解説はとても面白いのです。

そんな日記の中で、わずかに登場する[その他(2%)]部分からは、ポントルモの本音が聞こえてくるようで、クスッとさせられます。
例えば、弟子の一人=バティスタに対して腹を立てているポントルモ。

バティスタは晩に外に出かけたまま私の具合が悪いことを知りながら戻ってこなかった。私はこのことをずっと忘れないだろう

『ポントルモの日記』より

作者が書かずには居られなかった素直な感情爆発!
これぞ日記!(笑)。
バティスタに対してよっぽど頭に来たのでしょうね、彼に対する “苦情” は他にも数ヶ所 記録されています。ポントルモは根に持つタイプかもしれません。

しかし残念ながら、こんな楽しい部分は全体の2%です。

ルネサンス期を生きた画家本人の日記」に期待を抱きすぎていた私は「思惑が外れたかも・・・」とちょっとがっかり。わかったのはポントルモの食生活と、社会生活や人間関係に上手く馴染めないポントルモの変人ぶりでした。

そんなポントルモの家+アトリエについて、ヴァザーリはこのように書いています。

参考)我が家の本棚に並ぶ『ルネサンス画人伝』

孤独な変人の住まいにふさわしい住居である。仕事部屋としても使った寝室へは木の階段で上ったのであるが、部屋に入ると階段を滑車で引き上げてしまったので、彼の望まない時に、あるいは彼に気づかれずに上っていくことはできなかった

ヴァザーリ『芸術家列伝』より

用心深く人嫌いなポントルモは、作品が完成するまで誰にも(注文主にさえ)見せなかったそうです。当時から変わり者として有名だったポントルモは、相当付き合いにくい人物だったようですね。
週に何度も食事に付き合っていたブロンズィーノは、尊敬する師匠に忠実だったのか、よほどの人格者だったのかもしれません。

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さて。
そもそも、ポントルモって何者でしょうか?
ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494-1557年)は【マニエリスム】期のイタリアの画家。アンドレア・デル・サルトに師事し、ミケランジェロ作品やデューラーの版画から影響をうけ、メディチ家に重用されて装飾画などをいくつも手がけたそうです。

私が驚いたのは、彼についてのこんな解説。

ポントルモはルネサンスからマニエリスムへの移行期において鍵となる人物である

『art 世界の美術』より

「ルネサンス」と呼ばれる時代を越えて、16世紀のイタリア絵画の歴史に【マニエリスム】という異色のページを加えた画家ポントルモ。

『ポントルモの日記』解説より

ほーーっ。
【マニエリスム】 の移行期において “鍵となる人物” イコールポントルモなのですね。これまで何冊かの美術本を読んできたのですが全く知りませんでした。

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そして。
実は私 【マニエリスム】という分類を しっかり捉えきれていないのです。
「マニエリスム」期とは、一般に「盛期ルネサンス」(ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロら)から「バロック期」(カラヴァッジョ、レンブラント、ルーベンスら)への移行期と言われている時期で、年代で言うと1520年代から1590年代くらいまでを指すそうです。
ラファエロが37歳で亡くなったのが1520年ですから【ルネサンス】はラファエロによって完成形をみて、そして幕を閉じたのですね。。。

これまで【マニエリスム】作品を画像で見た私の感想は、
首や指が長い、「ぐにゃっ」としてる。
引き伸ばされた人体が絡み合っている、怪しい雰囲気、ちょっと芝居ががかっている・・・。

左)パルミジャニーノ『長い首の聖母』1535年頃
中)ブロンズィーノ『愛の寓意画』1545年頃
右)エル・グレコ『黙示録第5の封印』1608-1614年

◉画像・左)
題名の通り「長い首」の聖母を描いたパルミジャーノの作品は、物腰、仕草、指先まで滑らか・・・優美なのですが「いやいや幼児キリストがずり落ちてしまうよー!」と突っ込みたくなります。パルミジャーノは近いうちに深掘りしてみたい画家です。
◉画像・中)
『ポントルモの日記』に何度も登場したブロンズィーノの代表作品は、抽象的な概念や思想を図像化した【寓意画】。複雑すぎて何が何やら・・・。何度か解説を読んだのですが、なかなか頭に入ってきません。
◉画像・右)
エル・グレコはいつ見ても安心(?)のエル・グレコです。相変わらず突っ込みどころ満載の作品ですが、私の中ではすでに【マニエリスト】とは別の【エル・グレコ】というカテゴリーができています(笑)。

そんなこんなで、私の中では
【マニエリスム】イコール「正当な王道のルネサンス期の巨匠たちのようにはなれなかった、少し異端邪道の作品」かなぁと、“ぼや〜っん” と理解していました。

そして【マニエリスム】の画家ポントルモの代表作がこちら。

ポントルモ『十字架降下』1525-28年

確かにぐにゃっ、としてます。
人々が複雑にひしめき合って積み重なっています。
皆、どうしていいのかわからずオロオロしているのかしら。
それなのに少女漫画に出てくるようなピンクや水色の色彩から、全体的にフワフワしているような気がして、見ている私も落ち着かない気持ちになるのです。
「この作品が好きか?」と問われると「・・・」。
なぜこの作品が 美術史において “鍵” となっているのでしょうか?

++++++++++ 〜ちょっと休憩〜

「ポントルモ、ちょっと面白いかも!」と思う作品もあるのですよ。

『聖母子と諸聖人』1518年

ラファエロの描く宗教画のような調和・安定感を感じることはできません。
先ほど触れたパルミジャーノ作品のような滑らかさもありません。
また登場人物の身振りは大袈裟で視線はバラバラ「どこ見てるのー?」。
皆 好き勝手なことを考えているようで「みんな集中しようよー!」と突っ込みたくなるのです。
しかし、落ち着いた色彩の中にどこか “妙な” 統一感と親しみやすさを感じる作品。ラファエロの作品も大好きなのですが、ちょっと突っ込みを入れたくなる作品も面白いですね。

++++++++++ 〜休憩 おわり〜

今回いくつかの資料を読んで、【マニエリスム】とポントルモについて衝撃⚡️を受けた文章に出会いました!!!
ちょっと投稿が長くなったので、続きは次回に。。。

<終わり>

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