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二人のアンリ・<シダネルとマルタン展>

以前から違いがよくわからず 区別がつかなかった二人の画家。
アンリ・ル・シダネル(1862-1939年)
アンリ・マルタン(1860-1943年)。
私がこれまでに観た作品はごくわずかなのですが、二人の画家に対して同じような印象を持っていました。

最初に観たのは、国立西洋美術館 所蔵・マルタンの作品。

マルタン『花と泉水』

常設展示室では、新印象派シニャックの隣に並んでいました。マルタンは【新印象主義】の[点描技法]を用いた作品を描いているのですね。マルタンがカンヴァスに乗せた点描は、シニャックと同じように明るいのですが、まぶしすぎない まぁるくて幻想的な雰囲気を醸し出していました。

次に観たのは、ひろしま美術館のシダネル

シダネル『離れ屋』(1927年)(ひろしま美術館蔵)

シダネルも【新印象主義】の[点描技法]を用いていますね。こちらもスーラやシニャックと異なり幻想的。霧の中で見る景色のような…暗がりの中で撮影したため 少しぼやけてしまった写真のような…。そんな印象を受けました。
とても気になった作品だったので ポストカードを購入しました。

それから、幻想的な[点描]が忘れられず、自分の撮影した景色をスマホのアプリで [点描] に加工して楽しんでいた時期もありました(笑)。

2019年 この写真をSNSで「マルタン風」と投稿

 <バレル・コレクション 印象派への旅>でもシダネル作品に会いました。

上)シダネル『雪』(1901年)
下)シダネル『月明かりの入り江』(1928年)

上)雪景色なのにホッコリした温かさを感じ、下)寒色で描かれているのに ほのかな月明かりが優しい。夢の中で見る風景のような…絵本の挿絵のような…。幻想的で不思議な作品でした。

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二人の共通点は【新印象主義】の幻想的な[点描技法]というだけでなく、展示室で彼らの作品に出会ったとき、緊張が解けて優しい気持ちになれた点も挙げられます。
と言うわけで「あれっ。国立西洋美術館で観たのはシダネル?マルタンだっけ?」(笑)とよくわからないまま放ったらかしにしていました。

そんな二人の美術展<シダネルとマルタン展>が開催されている!!!
実は昨年の9月-10月ひろしま美術館で開催されていることを知って興奮し、11月-1月に山梨県立美術館で開催されている時は、新幹線に飛び乗ろうか!と悩み…ずっと うずうずしていたのです(笑)。
満を持して新宿・SOMPO美術館に行ってまいりました!

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今回の展示会鑑賞、一番の目的を下世話げせわな言葉で表現すると、
「シダネルとマルタンを区別できるようになりたい!」(笑)。

美術展の広告フレーズ ↓

シダネルは北フランスに特有の霞がかった柔らかな光を、マルタンは南仏の眩い光を描き出しました

SOMPO美術館<シダネルとマルタン展>より

そんな簡単に二人の違いを理解できるのかしら?と疑いつつ美術館入り。

展示期間の前半ということもあり、混雑なく ひとつ一つの作品をじっくり鑑賞できたので、今回の投稿も 丁寧に展示会を振り返りたいと思います。
(長い投稿なので、お時間があるときにお読みください)

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◆ アンリ・マルタン(1860-1943年)◆

フランス南部のトゥールーズに生まれ、19歳で奨学金をもらいパリの国立美術学校に転校します。
マルタンがパリに出て自分のスタイルを探していた頃、ヨーロッパで流行していたのが【象徴主義】。マルタンも目に見えない「心で感じたこと」をカンヴァスで表現しようと試みます。祈りのポーズをとる女性が描かれていますね。

マルタン『腰掛ける少女』(1904年以前)

この時期の作品として展示されていたのが、『青い服を着た少女』(1901-1910年頃)と『オデット』(1910年頃)。ここで公開できる画像はないのですが、二人の少女がとても魅力的でした。画像や図録の写真では「全く」作品の素晴らしさが伝わってこないので、展示会場で観られて良かったです。

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その後、毎年サロンに作品を発表することで有名になったマルタンは、パリ市庁舎や国務院など公共の建物に壁画や天井画を描くようになります。評価されていた証拠ですね。

マルタン『二番草』(1910年)

この作品、額縁も自らの点描で描く…スーラが作品で採用していた “点描のフレーム”  手法が採られていますね。

ジョルジュ・スーラ『化粧する若い女』(1890年)

以前、スーラの “点描のフレーム” について

額縁は 作品と、外の世界への空間の広がりをもたらす窓の役割を果たすのであるが、スーラは自らが描く平たいフレームによって外の世界への広がりをせき止め、奥行きに対抗する平面性を画面にもたらしている

米村典子先生・九州大学

と引用を借りながら投稿しました。
マルタンの点描フレームは、スーラより少し装飾的な意味合いがあるようで、作品と外の世界をつなぐ役割をしているように感じました。

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その後マルタンは、南フランスに「マルケロル」という名前の別荘を買ってアトリエにします。そこでの生活や自分で造った庭の眺めを繰り返し描きました。

マルタン『マルケロルの池』

あっ!この作品は私が最初に観たマルタン作品⁈
「国立西洋美術館から貸し出されているんだ!」と思ったのですが、違いました。よく似ていますねぇ。

再度登場『花と泉水』(国立西洋美術館 所蔵)

角度を変えて 同じ庭の同じ池を描いたことに間違いありません。草花を見ると、描いた季節も同じ頃ですね.面白い!。

展示室で『マルケロルの池』に近づいてじっくり鑑賞した後、少しずつ後ろに下がって作品の変化を楽しみます。そしてまた徐々に近づいて。。。コレ、近くに誰もいなかったからできた技です。
スーラやシニャックほど理論的な明るさを追求していないんだ、と思いきや、遠くから離れて作品を観るとなんとも色鮮やかこと!マルタンが愛した庭、素敵でしたよ。

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明るく穏やかなマルケロルは 静寂に包まれていましたが、マルタンは1923年63歳の時に南の港町コリウールに住み移ります。潮の香りがする賑やかな生活…。彼の探究心は、田舎の静寂な生活だけで満たされるものではなかったのかも知れません。

マルタン『コリウール』(1923年)

強くてまぶしいけれど 湿気を含んだ陽の光。展示室にいる私も全身で感じることができました。

マルタン=【新印象主義】の幻想的な[点描技法]と一括りにしていたこと、お恥ずかしい限りです。

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◆ アンリ・ル・シダネル(1862-1939年)◆

モーリシャス島に生まれたシダネルは10歳でフランスに移り北部の町に住みます。20歳でパリの国立美術学校に入りますが、シダネルは自分らしい描き方を探す旅に出ます。辿り着いたのは北部の港町、エタプル。そこに暮らす人々や景色を柔らかく、神秘的な光の中に描きました。

シダネル『エタプル、砂地の上』(1888年)

空一面覆った雲を通して届く、太陽の淡い光が穏やかですね。この頃のシダネルの描く世界について、フランスの小説家ガブリエル・ムレイは次のように言ったそうです。

シダネルは、事物の素朴な詩情に対する率直で素直かつ敏感なまなざしで、自然と生命を見つめる。そのまなざしは、13世紀や14世紀の優れた修道士のそれと同じである。…シダネルは、信仰を持たない、ある種の神秘主義者である。

ガブリエル・ムレイ、(1901年)

「信仰を持たない、ある種の神秘主義者」素敵な表現です✨。

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エタプルで9年間を過ごしたシダネルは、その後さまざまな場所を旅しながらその土地の風景を描きました。

シダネル『ビュイクール、月明かりのなかの教会』(1904年)

月明かりの中でしっぽり雪に包み込まれた教会がぼんやり浮かび上がっています。おーーーっ!以前から私が思い描いていたシダネル作品です。素敵✨。

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39歳の時に訪れた田舎の村、ジェルブロワを気に入り、シダネルは3年後に家を購入して移り住みました。家の周りや庭に多くのバラの花を植え、それらを描いています。
この頃からシダネルは人物を描かなくなっていきます。誰も描かずしていながら、誰かの温かみが残っている、そんな気配を想像させる作品を描いていきました。

このスペースに展示されていた『ジェルブロワ、花咲く木々』(1902年)。シダネルが自分の妹たちを最後に描きこんだ作品は、静かで穏やかで温かく…愛情に溢れています。こちらも図録や画像では「全く」その良さが伝わらないのが残念です。
キャプションに「後に俳優のアラン・ドロン氏がコレクション」することになる…とありました!。自室に飾る絵画として この作品を選んで購入したアラン・ドロン、素敵です。

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シダネルが47歳から亡くなるまで、もう一つの仕事場として選んだのがヴェルサイユ。豪華絢爛・壮大な「あの」ヴェルサイユ宮殿・庭園の近所に住んでいたシダネルが描く風景は、決して近寄り難いものではありません。静まり返った庭、月夜に照らされる噴水(下・左)はひっそりとして、そこに人の気配を感じることはできません。「おもむきのあるヴェルサイユのシリーズ」という表現を見つけました、ピッタリです。
シダネルが、夏はジェルブロワで、冬はヴェルサイユで描いた作品群を見比べるために、展示スペースを行ったり来たりして楽しみました。


左)シダネル『ヴェルサイユ、月夜』(1929年)
右)シダネル『カミーユ・ル・シダネルの肖像』(1904年)

人物を描かなかないようになったシダネルですが、息子や妻、親しい友人など、身近にいた人々のことはデッサンしていたそうです。厚紙に描かれた奥様(上・右)、魅力的です✨。息子ルイを描いた素描もありましたよ。

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問い「シダネルとマルタンを区別できるようになりましたか?」
答え「区別する必要はない、と思えました。」

作品と向き合うとき「誰の作品かを区別」などせず、
① まず、その時 自分自身がどう感じるのかを楽しみ
② 描かれている作品をじっくり鑑賞して楽しみ
③ それから、作者を知って→彼らの “まなざし” を感じる。

今回の<シダネルとマルタン展>では二人の “まなざし” を感じるためのヒントや表現をたくさんもらいました。

マルタン氏は、光の画家であり続けた。その筆運びは、わずかに空気を振動させることさえしない。巧みにまとめられたタッチを用いて、彼は、太陽の陽射しの下で輝く、無数の小さな光の煌めきのなかに、一定のリズムを見出して描く。
シダネル氏は、夜と黄昏の神秘を表現するために、同様の手法を用いている。すなわち、同様のひそやかなる美しい調べを彷彿とさせる。

ルイ・ウルティック(フランスの美術史家)、1921年

二人の “まなざし” に少し 近づけたような気がします。

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さて。
国立西洋美術館のHPで作品検索していると、マルタンを15作品も所蔵していることがわかりました。そのうち14作品が松方コレクション、すごい数ですねぇ。
松方幸次郎氏がフランスで買付けしていた頃、ちょうどマルタンはフランス学士院の会員に選出され、国務院のための壁画作品をサロンに出品していた頃。なるほど、松方氏が買い込んだのも納得です。

国立西洋美術館・所蔵作品の中には<シダネルとマルタン展>【第9章 家族と友人の肖像】と近しい作品もありました。

左)『裸婦』、中)『娘』、右)『自画像』(1919年)いずれも国立西洋美術館所蔵

これらは現在 国立西洋美術館で展示されていないようです(最初にご紹介した『花と泉水』は展示あり)。これまで全く見たことがないので、ほとんど展示されてこなかったのではないでしょうか?
残念!。
SOMPO美術館と連携して国立西洋美術館でも展示コーナーを設けたらとても楽しめたのに…。そういう訳にもいかないのでしょうか。。。

<終わり>

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