見出し画像

標準語ネイティブが感じる強烈な違和感

私は両親が東京23区出身の標準語ネイティブです。

あまり両祖父母のことを詳しくは知らないのですが、多分両祖父母も、少なくとも青年期以降は東京23区住まいでした。
(関東大震災や東京大空襲を経験した話、それから疎開した話をちらっと聞いたことがあるので)

また、私は男兄弟がいなかったこともあり、母から言葉使いにはかなり厳しく育てられました。

私はお盆やお正月に遠方の親戚を訪ねて飛行機に乗った経験もなく、お正月の挨拶回りは電車移動。
日帰りはもちろん、午後に出ても夕方には帰宅できてしまう距離。
えぇ、つまり親戚一同も標準語ネイティブです。

このように方言とは接点のない育ち方をしたため、子供の頃に読んだ『はだしのゲン』ではセリフを理解できない場面多発でした。

方言という概念を初めて認識したのは小学生の国語の教科書。
「ほかす」が理解できずに「保管した」。というエッセイだったと思うのですが、とても興味をひかれたことを覚えています。

私が通っていた小学校の同級生たちは突出して言葉使いが粗雑な子もいなかったこと、転校生が来ても標準語を話す子だったことで、私は標準語純粋培養かつ清らかな言葉使いをする環境で育ちました。

中学生になると少し言葉使いが粗雑な女子にも出会い、驚きはしましたが、彼女はクラスメイトという繋がりしかなかったため、特に私の言葉への影響はありませんでした。

その後、高校大学と進み、学校内での知り合いの言葉づかいに気になることはなかったのですが、バイト先の女の子たちの言葉使いの粗雑さに辟易したことがあります。
ですが、彼女たちも人前ではきちんとした言葉使いをするので、私に対して気を許していたのかな?とも思えました。

そんな経験もしながら社会人となり、会社の研修で大阪支社や九州支社の同期たちと一緒になって打ち解けた後の雑談で「きれいで早い標準語を話す人に初めて会った」と言われることが多々ありました。

その中の1人とのエピソードです。
大阪出身の彼女はマシンガントークする子でしたが、標準語を話すにしても関西弁イントネーションになってしまい、イントネーションを標準語にしようとすると、少しスピードダウンしてしまうそうです。
そして、完璧な標準語イントネーションは難しいそう。

私たちの世代は義務教育が当たり前だし、教科書の文章も標準語。
だから、方言がある人でも標準語は話せて当たり前。

語学に興味がある私からしたら方言が話せる人はバイリンガルなので、もう羨望の的です😍


さて、言葉が合っているのかはわかりませんが、標準語には男性言葉と女性言葉があります。
そして、女性が男性言葉を使っていると粗雑な印象を持ってしまいます。

男性言葉といっても男性が必ず使う言葉ではありません。
教科書に載っている標準語ではない、と表現するのが一番良いのかな?

昨今のジェンダーフリーに逆行するかもしれませんが、私の育ってきた環境は、私を粗雑な言葉に対して少し過剰に反応させがち。
だから、私は我が子たちの性差に関係なく「きれいな言葉を使いなさい」と育てています。

前置きが長くなってしまいましたが、これらを前提にしてもう少し聞いてください。

言葉に興味がある者の1人として、方言を話す人が標準語を使う際には方言の影響を多分に受けることは理解しています。
だからとても不思議であると同時に強烈な違和感を感じてしまって仕方ない言葉があります。

なぜ方言がある地域出身の女性は「美味しい」ことを「うまい」と表現するのか???

標準語ネイティブの私には「うまい」という言葉は「上手い」と何かを上手にすることができる時の言葉です。

「美味しい」ときに「うまい」と使うのは粗雑な印象があります。

ですが、私の知り合いで方言がある地域出身の女性たち複数人が「うまい」を普通に使います。

彼女たちの日常の言葉使いが粗雑なことは一切ありません。

だから、不思議なのです。

標準語が共通語の人にとって、「美味い」と「美味しい」には大きな違いを感じないものなのか?

そして、これは方言が影響していることなのか?


標準語ネイティブの方、この強烈な違和感分かります?
普段の言葉使いから急にかけ離れる一言。
丁寧な話し方をしている方がいきなり「うまい」と言うんです。
びっくりしませんか?

標準語が共通語のみなさん、女性が「美味い」というのは当たり前ですか?

気になって気になって仕方ないので、是非みなさんのご意見を聞かせてください🙏!

サポートいただきありがとうございます。 いただいたサポートでお茶を買いに行き、記事にさせていただきます😆