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日本史:弥生時代 「クニのはじまり」

通訳案内士の試験勉強のための、まとめノートです。

おおよそ紀元前10世紀から3世紀までの時代。縄文時代の採集生活から、農地を持つ定住生活が始まることでムラが形成され、その村が集まりクニが形成されるようになりました。

弥生時代の名前は、この時代の土器「弥生土器」が発掘された場所からから来ています。明治17年、東京大学の学生3名が、東京都文京区弥生町(現在の東京大学本郷キャンパス付近)で発見したことで、この名で呼ばれるようになった。弥生土器は、縄文土器に比べ、薄く硬く焼かれ、シンプルなデザインであることが特徴です。

縄文時代の採集生活では、獲物を追って移動することもあった集団が、大陸から伝わった「稲作」を中心とした生活に変化していきました。そして、農地を持つ定住生活が始まることで「ムラ」を形成するようになった。農業は、安定した生活をもたらし、生活が豊かになる一方で、争いが発生しました。そのため、村を守るために、堀や塀で囲んだ「環濠集落」が造られるようになった。村の中には、穀物などを蓄える倉として「高床倉庫」が建てられました。湿気やネズミなどから穀物をまもるために、床を地面から離し高い位置に造られた。

弥生時代の代表的な遺跡としては、佐賀県の「吉野ケ里」遺跡があります。縄文時代の三内丸山遺跡とは異なり、集落を壕や塀で囲んだ大環濠集落となります。その他に、静岡県の「登呂」遺跡や、福岡県の旧石器、縄文時代や後続する古墳~中世との複合遺跡である「板付」遺跡が有名です。

村が集まり大きな国を形成するようになりました。「魏志倭人伝」によれば、弥生時代の福岡には、「伊都国」(糸島市付近)、「奴国」(福岡市、春日市付近)が存在したと伝えられています。その奴国については、中国の「後漢書」東夷伝に、57年に、漢の光武帝が倭奴国王に印綬を与えたことが記されています。福岡県「志賀島」で見つかった「漢委奴國王」と掘られた金印がこの印綬であると考えられています。

さらに「魏志倭人伝」には、2世紀後半、日本で「倭国大乱」と呼ばれる騒乱が発生し長年 主が不在であったが、年長者で鬼神道を用いる女性「卑弥呼」が「邪馬台国」の王になったと書かれています。彼女には、夫がなく、弟が国を治めるのを補佐し、また、王になってからは、彼女を見たものはほとんどなかったとされています。

弥生時代には、西日本を中心に青銅器が広がっていきました。主に祭り事のために使われていたと考えられています。福岡県糸島市の「平原遺跡」から八咫の鏡と同じ直径(約49センチ)の大型内行花文鏡が出土して、国宝に指定されています。咫とは、古代の長さの単位で、開いた手の親指の先から中指の先までの長さのことです。

島根県の「荒神谷遺跡」では、大量の銅剣などが発掘され、国宝に指定されました。これまで、全国で発見された銅剣は300本程度でしたが、ここでは銅剣358本が一度に出土しました。この発見により神話の舞台であった古代出雲の現実味がでてきました。


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