月と暦とタロット、前世。

これまでさほど好きではなかった作家がブログで月に関することを書いていて、それがとてもとても気になって気づいたら月に関するすべての記事を読んでいた。

そう。私は月が好きなのだ。だから太陽暦より陰暦(この言葉がいけない)が好きだし、28日周期のほうがぴんとくる。月のものも私は28日周期だった。この点において、女性のほうが男性より月に近い存在だと思う。毎月毎月、「月のもの」と再会するのだ。そして体は月の引力に支配されていると感じる。

最近タロットと精油を結ぶ入り口として占星術を勉強している。なんでそんな回り道をと言われそうだが、タロットは占星術と密接につながっていて、そして占星術は香り(精油、ハーブ)とつながっている。何かしらの道筋が欲しいのがあたしという人間なのだ。そして、月のことを知るためにも占星術はいいかもと思ってはじめてみたら、あまりに奥が深くて少しぬかるみにはまっている。理屈をすっとばしてやってみようかとも思うが、まずは基礎がないと理屈をすっ飛ばした瞬間にゲームオーバーになりそうだから、もう少し沼であがいてみようと思う。

アロマの学校に通っていたときに、先生がよく話してくれた中世のドイツの尼僧、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンをよく覚えている。この人は薬草学を始めた人ともいわれ、自分の修道院の庭に植えた野草などを使った食べ物や飲み物や薬などを作り、病人に与えた。彼女は子供のころから幻視体験があり、それが教会の上部に認められたゆえに預言者としての地位も確立していた。その幻視を描いた絵が、すべてキリスト教的であるにもかかわらず、それはそれはタロットじみているように私には見えてならない。例えば「道を知れ」という書に描かれた幻視を見るヒルデガルト(と思われる尼僧)はタロットの女教皇のようだし、もしかすると彼女をもとにタロットはイメージされたのかななんて思ったりする。

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このやや(かなり)スピリチュアルがかっていた先生に、私の前世は尼僧だったのではないかなどと言われたのだけど、それがとても印象に強く残っている。私はその言葉に納得した。なぜか私はこのヒルデガルトにシンパシーとも近しさとも違う何かを感じていて、それは彼女の修道会が私の母校と同じベネディクト会だということや、私が興味を持つ薬草学にも関連しているが、それだけでは説明できない。むしろ恐れのようなものを感じているのだ。ずっと彼女が残した音楽(ヒルデガルトは作曲もした)などにも親しんでいるが、それでもどこか怖い。ちなみに貴族出身の彼女は徹底した階級主義者で、たぶん人の平等な権利なんてものは意識になかったので私とはその点は全く気が合わないと思う。ふと思ったのはもしや私は何回か前の前世でヒルデガルトと会っているのではないか。もしかすると私は彼女よりずっと位の低い人間で、けれど彼女とどこかで交わっていたのかもしれない。修道院で使い走りをしていた村の女だったかもしれない。あるいは異教の徒で彼女に痛めつけられたのかもしれない。彼女のことを考えるときのわけのわからないざわめきはそのせいかもしれない。

私が心を奪われているスピリチュアルはキリスト教からするととても受け入れられない神への冒涜に満ちている。タロット(占い)はその最たるものの一つ。太陽暦ではなく月の暦を愛し、タロットや占星術に親しむあたしは、ヒルデガルトとは真逆の道を行く人間かもしれない。それでも、彼女の音楽は素晴らしい。それは、恐れとはまた別のもので、そんな何かへの愛が私の弱さを支えてくれる。


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