饒舌とキーストローク

ふっと気づくと、何も頭を駆け抜けないとき、一番疲れているなと思う。
私はたいてい頭の中が饒舌で、その饒舌さにキーストロークがついていくかいかないかで勝負しながら打ち込んでいるくらいなのだから、脳みそをだらだら流れ出る言葉がなくなったらそれはそれは不安になるわけだ。

関係者に「これあたしのことじゃ」とか思われるといやなので、事実をぐにぐに折り曲げて書く。
5年ほど前、私はとある映画にどっぷりはまってファンサイトをやって出演スターのインタビューやエピソードやあれこれを勝手に翻訳したり注釈付けたりしてブログを書いていた。好きだからの勢いで一日に長い長い記事を数件更新したりして、それは楽しくやっていた。アドレナリンが爆発していた。そうしているうちに、なんとその映画の制作側の関係会社から直接メールが届いた。それほどにおめでたくない私は最初のメールは無視した。「●●の関係者のものです。メールください」なんて言われて簡単に返信するのは素直すぎる人だろう。私が無視して数週間後、またメールが届いた。今度は社名と仕事を依頼したいという言葉まであった。なんとスカウトメールだ。

ミーハーなあたしは大喜びで待ち合わせに応じ、その仕事をもちろん請け負った。なにしろ一日中その映画のことを考えて記事まで書いて、お金までもらえるのだ。金額は気にならなかった。当時バイトをしていたあたしはバイトの終わった後や休みの日にその映画の仕事をやった。時間に関係はなかった。もう夢中で、それこそ朝8時から夜8時に当時同居していた人物が帰宅したときも同じ姿勢で机の前に座っていたほどで、さらにいうとその後夜中の二時まで原稿に向き合った。それほど楽しい仕事はないと思ったし、今でもあれほど夢中でやった仕事はあまりないと思う。

その関係から、さらに別の映画に夢中になったとき、また電話がきた。「Kさん、■■は好き?」もちろん、と即答した。冗談のようにその映画の仕事が舞い込んできた。担当者はその映画があまり得意ではないというから、必死でその面白さを説いた。そのころ、私は当時つきあっていた人と別れたばかりで、引っ越しもせねばならず、大家さんともあまりうまくいかず、つまりは恋愛のゴタゴタが生活にしわ寄せとなって押し寄せていた。そのことが、仕事にも響いた。あんなに夢中だった映画をうまく料理できず、仕事は前ほどの勢いを失っていた。そしてその後、来る仕事来る仕事、精神的にも肉体的にもかなりきつい仕事になった。

私が言いたいのは、仕事は楽しむべきで、それと同じ楽しさに見合った金額を請求するべきだ、ということだ。で、お金はどうでもいい、と最初から投げ捨てていたから、その後も大きなお金が降ってくることがなかったのではないか。私の場合、苦しみながらやった仕事は、やはりその苦しみがお金に染みてしまう。あくまで私の場合だが、ちゃんと十二分に楽しんでやらなかった、夢中になってやってない仕事にはそれなりの評価がつけられる。もちろん夢中でやればかならず評価がついてくるというのではない。結果を出した場合、だ。エネルギー全開で夢中になって結果を出した仕事に評価がつかなかったなら、それは何かが狂っている。

私が今、ぬるい立場の中にいるのは、少し前の私がぬるい立場を選び取った結果。夢中になる仕事ではなく、ぬるく確実な仕事を選び取った結果、なのには違いない。面白い、と思ったのだが。目が狂うことはある。それは私のせいではなく、もちろん仕事のせいでもない。面白い仕事、降ってこい、と言いながら、少し軸足を移している。脳みそからだらだら流れ出る言葉を止められないような仕事を、探し求めている。

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