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過去と出会う。

「ただ、何かが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも、長く、残る」

大ヒット映画『君の名は』の冒頭は、主人公である「瀧くん」と「三葉」のモノローグから始まる。記憶は消え去ってしまっても、その粉塵が互いの体に影響を与えていることを物語る重要なシーンだ。東京を舞台にした瀧くんと、飛騨の湖のほとりにある町を舞台にした三葉の世界が巧みに交差する。ふたつが交わる場面で互いの世界の運命が変わる、爽快な物語構造になっている。タイムスリップやパラレルワールドなど使い古された手法を、表現を変えることで斬新に見せられることを証明した貴重な作品だ。

テレビ放送の影響か、もう少しパラレルワールド感に浸っていたくなり、『二十歳の君がいた世界』(宝島社)を手に取った。主人公は50歳で夫を亡くした清海。葬儀や手続きに忙殺され落ち着かない日々を過ごしていた。ある夜、偶然通りかかった代々木公園で頭に何かが当たり、気絶してしまう。目が覚めると、どうにも様子がおかしい。交番で借りた夏目漱石の千円札。すれ違った女性のワンレングスのヘアスタイル。渋谷にはマークシティもセルリアンタワーもない。駅の改札には「国鉄」の看板。どうやら1986年の世界に迷い込んでしまったようだ。足の向くままに思い出の店へ行くと、元の世界では失踪してしまっていた叔父と再会する。もちろん、30年前の自分にも……。

過去の世界へ飛び込み、最愛の夫の知らなかった事実や叔父の失踪の真相をたどる物語だ。登場人物が誰しもスムーズにパラレルワールドを理解するので、平易に作られた文体と相まってサクサクと読んでいける作品に仕上がっている。主人公の清海の年齢は50歳。パラレルワールドへジャンプしても若返ることなく50歳のまま物語は進む。過去を知る物語の主人公は往々にして神の視点になりがちなのだが、元の世界と微妙に異なる事例を挙げ、それを許さない著者の気配りは面白い。目の前の出来事にまっすぐ立ち向かえる素直さを持つ清海の人物設定も巧みだ。過去の自分の羞恥を正直に話せる潔さを持っている。夫への思いも同様で、30年前の世界の若き夫を気遣う姿も甲斐甲斐しい。

清海がなぜパラレルワールドへ迷い込んだのか。なぜ登場人物たちが50歳の清海をすんなりと受け入れられたのか。そこにこの物語のキーが隠されている。そう、出会うことのなかった2人がようやく出会えたことで世界が変わった『君の名は』とはまさに逆。時を超えた先に、自分の変えたい過去が転がっていた物語なのだ。ただ、いかに過去と向き合ったとしても、どれだけ努力したとしても、変えられることと変えるこのとできないことがある。変えることのできなかった過去は、いつまでも苦く胸に残る。とはいえ、その苦さがあればこそつなぎとめることのできた幸福もあるのだ。その幸福に、果たして清海は気づくことができるのか。ぜひ本書をご覧いただきたい。

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