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ミントジャムスの思い出

日本のフュージョンに傾倒し始めたのは14歳の夏。
初めてJ-fusionなるものを聴いた時はマハヴィシュヌ・オーケストラやエレクトリック期のマイルス、ソフトマシーンなどを愛聴していた私にとって少し軟派な音楽に思えたが、確かな技術と日本人らしい優しい音の使い方はとても心地が良く、のめり込むのにそう時間は要らなかった。

私は高校生になりある人と出会い、やがて毎日やりとりをするようになった。
交際することはなかったが、互いが互いを尊重し合えるような大切な友人だった。

彼女との話題はたいてい音楽のこと。
私が好んでいる曲を聴くのが楽しいと言ってくれた。
私も彼女を理解しようと彼女が好んでいた音楽を毎日聴いていた。

ミントジャムスを彼女に貸したのは今年の1月、JR京都駅中央改札を抜けて直ぐ左のエスカレーターをずっと上がった先にある烏丸小路広場だった。
ここは吹き抜けになっていてコートを羽織っても体が震えるように寒かった。
河原町で遊んだ後にプリクラを撮り鴨川沿いを真っ直ぐに歩いて京都駅までついたものの、まだ別れたくなかったので提案して上で話すことにした。

少し会話を交わした後に、手提げに忍ばせていたミントジャムスのCDを貸した。
本当はレコードしか持っていなかったが、彼女はレコードプレーヤーを持っていないのでわざわざ新品のCDを買って渡したのだ。

その後、彼女と反対のホームへ向かう別れ際、「家帰って聴くわ!じゃあな!親友!」と言ってくれたときの笑顔はこの世の誰よりも愛おしいと思った。

それでも画面上の会話は終わらない。
プリクラのデータを送ったり遊んでいる最中に起こった面白かったところを言い合ったり…。
この時間にもまたなんとも言えない高揚感がある。
電車の中だというのについ口元が緩む。その夜は寝床についても彼女のことで頭がいっぱいだった。

目が覚めるとメッセージがあった。
いつものように感想を送ってきていた。
とても気に入ってくれたようで、作曲したわけでもないのに誇らしげな気持ちになった。
届いた文章の1文字1文字を噛み締め返信をした。
その後CDを返すときに遊んだときはプリクラは撮りそびれたけれど、「大人になっても音楽の話をしたり遊んだりしたいね」 と言ってくれたことは今でも忘れない。

しかし、しばらくして彼女と縁が切れてしまう。
もう9ヶ月程経つが毎日彼女のことを考える。
CDを渡した時に触れた冷たい手の感覚がいつでも蘇ってくるほどに。

このアルバムはメロウなジャズナンバーから海外のフュージョンライクなモノまで幅広く収録されているライブ盤である。
特にラストトラック "Swear" は彼女との思い出を詰め込んでパッケージした曲のように感じてならない。
聴くたびに、幸せだった過去が鮮明に広がる。
コード進行もソロも美しい。
なにより、今では廃れてしまったフュージョンをやっているバンドとは思えないほどの熱狂的な歓声が聴こえるところが良いのだ。
若かりし頃の輝いていたメンバーが容易に想像でき、そのブームの浮き沈みが自分の青春の始まりから終わりと重なってしまい涙を誘う。

あの頃から時が止まっているはずなのにまた冬が来る。
彼女も変わった。
私のことなんてもう思い起こすことすらないのだろう。
それでもこのアルバムを聴き続ける。
忘れてはならない暖かい思い出だと今でも信じているから。

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