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小1の頃、ブロッコリーと戦った話。

こんにちは。
この記事に目を通していただき、ありがとうございます。
私は、キャリア支援事業を運営している大坂谷(オオサカヤ)です。

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今回は世界一嫌いな食べ物「ブロッコリー」と戦ったときの話、そして、後半にはその戦いから得た人生の教訓を書き綴っていきます(コーチとしての在り方にも繋がっています)。ただ、結論ありきではないので、最低でも不時着できるようにがんばります。

また、今回の内容はラジオでも収録しております。お好みの方法にてチェックしてみてください。

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では早速、始めます!

❚小学校1年の夏休み

小1の夏休み、母と一緒に秋田県にある祖父母宅へ帰省しました。

カンカン照りのある日、母が「買い物に行こう」というので、私は「パピコ(アイス)でも買ってもらおう」そう思い買い物についていきました。ちなみに、田舎なのでスーパーまでは車で15分ほどかかります。

スーパーに到着すると、母は買い物かごを手に取って野菜コーナーへと向かい、母はおもむろにブロッコリーを手に取りカゴに入れました。

ゆうき(7才)これは大変だ」

そう思いました。
なぜなら、私はブロッコリーが大嫌いだから。

どれだけ嫌いなのかと言われたら「もう、物理的に食えない」というレベルです。もはや、嫌いというよりも、私の脳はブロッコリーを食べ物ではなく「樹木」と認識しています。

もしこれを読んでくださっているあなたが「これ、さっきそこで拾ってきた木なんだけど、食べる?」と言われたら食べないですよね。私にとってのブロッコリーは、それくらいの感覚なのです。

ここまで話を聴いて、

「そんなに嫌なら、食べなきゃ良いのに」

そう思われるかもしれません。

しかし、我が家の食卓には例外はありません。
例外とはどういうことかと言うと「嫌いなら残して良い」という近代的な食卓システムは採用されておらず、その代わりに、

「出されたものは全て食す。全て食すまでは食事は終わらない」

このような昭和クラシックな食卓システムを採用していました。

もちろん、昭和クラシックなので食事中にテレビを見ることも許されていませんでした。このためブロッコリーと死闘を繰り広げている数時間、アニメ(ポケモンやドラえもん)を見ることすら叶いません。

ただ、私も言いなりになったわけではありません。
人は追い込まれるとあらゆる手段を思いつくもので、思いついたアイデアは片っ端から試しました。

・親が席を離れたスキに親の皿に移す
・兄に「お菓子あげるから食べて」と交渉する
・3時間くらいブロッコリーと睨みあう(すると、親が諦める)
・口に含んでトイレで吐き出す(農家の人、すみませんでした)

このように色々と手を打ちましたが、徐々に手の内が全てばれてしまい、日に日にマークが厳しくなっていきました。

話を戻します。

つまり、母がブロッコリーをカゴに入れるということは、昭和クラシックな食卓システムを採用する我が家においては、好きなアニメが見れないばかりか、大嫌いなブロッコリーと何時間もにらみ合うことになります(アニメを見逃すと友達と話しが合わなくなるので、かなり辛かった)

ゆうき(7才)「このままでは、致命的な損失を生むことになる」

そう思った私は、母が買い物に夢中になっている間に買い物かごからブロッコリーを抜き取り、売り場まで戻しました(いま思えばブロッコリーといえども、ちゃんと売り場まで戻したのは偉い)。

ブロッコリーを抜き取ったことはバレず、買い物は着々と進みました。そして、無事にパピコを入手することも出来ました。

しかし

肉売り場に差し掛かったときに母が一言。

母「あれ、ブロッコリー買い忘れた」

一瞬で頭が真っ白になりました。

ゆうき(7才)「(これは、まずいことになった...)」

母が野菜売り場に戻ると、先ほど戻したブロッコリーを取り上げて買い物かごに戻しました。そして、母はレジに並びました。

「このままでは大嫌いなブロッコリーが食卓に並んでしまう」と思い、レジに並ぶ母が財布を出しているスキに、大嫌いなブロッコリーを抜き出そうとしました。

すると母が

母「ゆうき、何してるの?」

と。

そこからはあまり記憶がないのですが、帰りの車中でパピコを吸いながら、夕食の時間が来ることに対して恐怖を感じていた気がします。

そして、祖父母宅に着く頃、

「(どうしてもブロッコリーを食べたくない!なんでこんな辛い思いをしなければいけないんだ!)」

そう思い、その想いの丈をぶつけようと思いました。
ただ、母親にそれを伝えたところで反論されるだけなので「僕の絶対的な味方であるばあちゃんに言おう」そう思いました。

祖父母宅に到着し、母親が買ってきたものを整理し、自室に戻ったのを確認しておばあちゃんの元に駆け寄りました。

そして、こう伝えました。

ゆうき(7才)「僕は涙が出る位ブロッコリーが嫌いなのに、お母さんは無理矢理に食べさせようとするんだ。おばあちゃんから何か言ってよ」

そう涙ながらに伝えました。

普通の家庭であれば「好き嫌いは言わず、食べなさい」って諭すことがほとんどかと思います。ただ、私のおばあちゃんは絶対的味方なのでそんなことはしませんでした。

おばあちゃん「そうかそうか、それは辛かったね。おばあちゃんが言ってあげるからちょっと待ってなさい」

そう言うと、おばあちゃんは

おばあちゃん「ユミコ!!!!!(母の名)」

大声でうちの母親を呼び付けました。

そして、母が駆けつけるや否や、おばあちゃんはこう言いました。

おばあちゃん「ゆうきが、ブロッコリー涙が出るぐらい嫌いだって言ってるのになんでなんで食べさせるんだ!!」

当然、母親はこう反論しました

母「なんでそんな甘やかすの?栄養に偏りが出るでしょ?そうやって甘やかすのやめてよ!!」

すると、おばあちゃんは食い気味で

おばあちゃん「いいって!!嫌いなものを食べさせる必要は無い。ブロッコリーの栄養なんて他の野菜も取れるでしょうが!!」

それを聴いた母は、「た・・・たしかに」と言わんばかりの表情を一瞬だけ見せた後、

母「じゃあ考えておくよ…」

とかブツブツと言いながら去っていきました。
そして、それを聞いていた僕自身も歓喜の雄叫びをあげました。

ゆうき(7才)「(おっしゃ!ブロッコリーに勝った!これで一生食わなくて済む!!)」

それからというもの、本当に食卓にブロッコリー出てこなくなりました。そこから、本当に一度も食べていません。

❚この話の教訓

「おー、それは良かった。それで、何の話かな?」

そう思われる方も少なからずいらっしゃるかと。
実はここからが重要なのですが、この話から得られる教訓は2つあります。

1つ目の教訓は

大事なことは目的であって、手段ではない

小1のころ「好き嫌いの多い自分は、ダメな子なんだ」「自分だけ怒られてばかりいる」そう自分自身を責めていました。

しかし、この祖父母宅でのやりとりを体験したことで「大事なことは、栄養を取ることであって、嫌いなものを食べることではない」ということに気づきました。

そして「好き嫌いをなくす目的=栄養バランスをとること」だと考えると、栄養のバランスが取れれば手段はなんだっていいと言うことになります。つまり、手段はブロッコリーでも他の野菜でもなんでもOKなんです。

繰り返しますが、目的さえ叶えば、手段は何だって良いということです。
逆に「ブロッコリーを食べないと死ぬ」「ブロッコリーだけが健康になる食べ物」と言われたら、手段はそれしかないので死ぬ気で食べます。それ以外の選択肢があるなら、そっちでもいいんです。

私のコーチとしての体験でもよくあります。
コーチとして様々な人の課題や目標に関わってきましたが、コーチングで以下のような相談(テーマ)を扱うことがあります。

「身を粉にして働いているが、結果が出ない」
「努力はしているのが、目標の達成が見えない」
「あらゆる手段を検討したが、問題解決の糸口が掴めない」

私自身もこういった事はよくありますし、この記事を読んでいただいている方も1度は経験があるかと思います。

そして、これらの打開策として「一歩下がって、他のやり方を考える」と言うことが現状打破の一手になることがあります。もう少し噛み砕いて表現すると「努力の方向性を軌道修正する」というイメージでしょうか。

もし、今あなたが嫌いなことをやって苦しんでいるなら、一歩下がって別の方法を検討してみてはいかがでしょうか。もしかしたら、自分の好きな方法・自分の才能や特性を活かした別の素晴らしい手段を見いだせるかも知れません。

仏教でもこのような言葉があります。

退歩なくして進歩なし。

人生に行き詰まったら、一歩引いてみても良いかも知れません。


2つ目の教訓は、

自分の行動の独善性(自分が正しいと考えること)や慣習をチェックする

もちろん私の両親も、苦しめようとして食べさせていたわけではなく「健康に育つように」という願いから食べてもらおうとしていたことは分かります。

大げさな話に聞こえるかも知れませんが、両親の生まれた当時はブロッコリーが最適解だったかもしれませんが、時代や環境が変わると選択肢も広がります。

このような寓話があります。

『船端の印』

昔、楚(そ)の国の男が船に乗って川を渡っているとき
持っていた剣を水の中に落としてしまった。

慌てて彼は小刀の取り出し大急ぎで船端に印を刻み付けた。

「船端に印なんか刻みつけて一体どうするんだい?」

一緒にその船に乗っていた仲間は思わずそう尋ねると男は

「俺の剣はここから落ちたのだから
 こうしておけば剣の場所がわかるだろう?
 船が止まってから後でゆっくりこの下を探せばいいのさ!」

と得意顔で言ったと言う。
その間にも船は、どんどん川下に流されていった。

昨日まで有効だった方法が今日もまだ有効とは限りません。
逆に、昨日まで有効ではなかった方法が突然有効になるということもあり得ます。

「これまではこの方法でやってきたから、あなたも…」

このような関わりをして、相手を苦しめたり追い込んでしまう可能性はいくらでもあります(もちろん、ハマる場合もあります)

だからこそ、目の前の人のことを心から想うのであれば

「あなたにとっての最適解はなんだろうね?」

このように一緒に考えてあげるのをスタンダードにしたいところです。
すると、相手を思う気持ちも叶いますし、相手もスムーズに課題や目標をクリアできる可能性があります。

昨今、コーチングのニーズが高まっているのも時代の移り変わりが激しいことから「答えらしい答え」が無くなってきているからだと思います。私の受けるコーチングでも以下のような相談は多いです。

「自分らしい生き方を見出したい」
「自分に向いている働き方を探したい」
「自分にしかできないことをしていきたい」

多くの人が「自分なりの答え」を探しているんだと思います。

ここまでブロッコリーとの戦いと教訓について綴りました。ささっと読み返した感じは、まとまった感じはします。

❚まとめ

例え話なども織り交ぜながら綴ってきたため、分かりにくい部分もあったかと思います。ここまでの話をダイジェストでまとめます。

まとめは以下のとおりです。

押してダメなら引いてみろ!

以上!


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