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#8 『60歳になったからこそみえてきたこと、これから伝えたいこと』    インタビュー:料理研究家・大瀬由生子さん



■お仕事の依頼に『No』はナシ、私を必要としてくれることに常に感謝


稲穂がたわわに実り、黄金色に色づき始めました。そろそろ収穫も近いのでしょうか。今回のコラムでは、料理研究家の大瀬由生子さんへのインタビューをお届けします。大瀬さんのフェイスブックには、オンライン料理教室、山歩き、畑での収穫、子どもの日やお月見での素敵なテーブルセッティング、そして様々な方と共に撮影した写真が日々あがっています。大切な方と会う機会にはどんなに忙しくても必ずかけつけて、「おいしかった、楽しかった、会えてよかった」というコメントを笑顔と共に残しています。千葉県柏市を中心に活動する大瀬さんですが、昨年は還暦を迎え、ますます活躍の場を広げつつあります。そんな大瀬さんの現在・過去・未来とともに、食と農のフィールドで、これから先どのようなことを目指そうとしているのかをうかがいました。


料理研究家・大瀬由生子さん


Q. 今年は出版ラッシュですね?

そうですね。今年だけですでに3冊で、10月初旬には最新刊『季節の手しごと・保存食』(春陽堂書店)が出版されます。


『季節の手しごと・保存食』(春陽堂書店)


旅の本も料理の本も小説も、想像の世界に飛んでいけるよいツールなので昔から大好きでした。本を読むことで元気になったり、様々な世界が広がったり、本をつくることにはすごく憧れを抱いていました。なので、自分の本を出せた時はとても嬉しかったのを覚えています。


今年は4冊も出版!『手軽でおいしい!サバ缶レシピ』(春陽堂書店)『日本の行事と行事ごはん』(株式会社カナリアコミュニケーションズ)『季節の手仕事・保存食』(春陽堂書店)
『発酵パワーで元気になる みそレシピ』(春陽堂書店)


Q. 今は、どんなお仕事が中心ですか?

日本糀文化協会のオンライン料理講座、京葉ガスが開催する発酵の魅力を伝える講座、小学校での親子クッキングのほか、講演や本の出版などです。今は、柏ならではのオリジナルメニュー開発、発酵をテーマにした新たな商品開発、伝統工芸品と料理のコラボによる新たなコンテンツ作りなど、いくつかの新たなプロジェクトが同時に進んでいます。

Q.お仕事が始まるきっかけは、どのようなケースが多いですか?

やはり講演を聞いてくださったり、本を読んでくださったりして、お声がけいただくことが多いです。私は頼まれた仕事に「No」を言ったことは1度もありません。それは、友人や知人から会おう、遊ぼうといわれた時も同じ。私を必要としてくれていることに「ありがとう」と思いながら、その人たちの役に立ちたいと願う自分がいます。理由は恐らく30代に関わったレストランでの体験が大きいと思います。はじめは契約社員としてスタートしたので、結果を出せなければ「次はない」という覚悟で臨んでいました。その当時の自分を振り返ると、私を必要だと思ってくれる人がいる限りは、常に感謝の気持ちを持ちながら、ご一緒にお仕事するのがポリシーです。


■レシピコンテストをきっかけに、カルチャースクールで料理教室を開催



Q.食のお仕事に関わるきっかけを教えてください。

父は、「女の幸せは結婚して、子どもが生まれたら家を守ることだ」ということをきっぱり言う世代の人でした。「なんで女の人は仕事してはいけないの?」と尋ねると「子どもは誰が育てるんだ!」と言われ、父が働き母が専業主婦の家庭に育った私は「確かにそうだ」と納得。それでも「女だから」という理由で選択肢が狭まるのにイヤだったので、食物科に進み栄養士の資格をとりました。

Q.就職はどうされたのですか?

1980年代半ばのバブル時代ということもあり、栄養士として働くより企業に入る方が条件が格段によかったので、結果的には金融関係の企業に就職しました。でも、仕事は正直つまらなかったです。いい仕事だけれど、お金をもらってもあまり幸せじゃないと感じていました。稼いでも遊ぶ時間があまりありませんでしたから。遊びながら仕事をし、仕事しながら遊ぶというのが私のモットーだったので。仕事は仕事、遊びは遊びではなく全部が私の人生ですから、29歳で結婚して会社は辞めました。

Q.結婚されてからは、どんな暮らしでしたか?

母のようにおいしい料理を作って、洋服も手作りして「いいお母さんになろう」と思って始めた暮らしでした。女はそうするべきだという意識がなんとなく刷り込まれていましたから。ただ、いざ暮らしが始まると、何かふつふつと沸いてくるものがあって、お母さんをやりながら料理コンテストなどに次々と応募。そこで賞を獲ったことがきっかけで、カルチャーセンターの料理教室の講師のお話をいただきました。

Q.お母さんをしながらお仕事をすることに?

良妻賢母を目指してたのに、急に働くことになりました。最初は実家の母に預けましたが、子どもは泣くし、母からは「こんな小さな子を預けて働くなんて!」と言われ、それでも仕事はとても楽しいわけです。4カ月は実家に預け、その後は保育園に預けて働きました。それでも「ごはんはちゃんとつくらなくちゃ!」という呪縛があって、料理を教えているのに買った惣菜などを出すのはダメという気持ちから、時間がない中でも懸命につくりましたね。その時に知恵を絞って生まれた料理が、今もとても役に立っていると思います。

Q.カルチャーセンターでのお仕事はいかがでしたか?

カルチャーセンターでは「おもてなし料理」をテーマに、人が喜ぶ家庭料理、誰かが来た時にサプライズがあってわくわくするような料理を教えていました。いつもは手の込んだご飯をつくらなくても、行事のある時にちょっとだけ演出して、日常と非日常、ハレとケのめりはりをつけましょう、と。正しいことよりも楽しいこと優先で、自分の料理で誰かを元気にしよう、幸せにしようというのがポイントでした。そのうち、人気講座になって、他の地域のカルチャーセンターからもお声がかかるようになりました。

Q.料理研究家としてのスタートを切られたわけですね。

カルチャーセンターで料理研究家としての仕事が始まった頃に、先ほどお話したレストランでの仕事に巡り合います。食事の感想などを言うモニターを募集していたので応募し、レストランについて様々な意見や感想を伝える仕事も始まりました。そのレストランの社長の言った「レストランだからおいしいものを出すのは当たり前。僕はおいしいレストランは目指していない。“楽しかった”と言われるレストランを目指している」という言葉が、すごく衝撃的で、私の一生を変えたと言ってもいいかもしれません。

Q.具体的にはどのようなお話だったのですか?

「山を登っていると必ず峠の茶屋があり、峠の茶屋で1杯のお茶を飲むと人は元気になってまたがんばるぞと思う。レストランは、レスト(休息)とラン(走る)。ここに来て休んだら、元気になってまた走り出したくなるそんなレストランを目指したい。そこそこ値段にあったおいしさならいい。今日、この店に来て元気になったと思わせる“人間生命活力源”の提案をしたい」という話を聞いて「心を豊かにする食」「人の気持ちをあげる食」「人を元気にする食」を提案することを生涯の仕事にしたいと心から思いました。

Q.大瀬さんの仕事の方向性を決める言葉だったのですね。

そうですね。栄養士になるために学んだカロリーや化学反応ももちろん大事。でもやはり食は楽しくないと!という思いが社長の言葉によって確信に変わりました。それで「ここで働きたいです」という思いを正直に社長に伝え、契約社員としての仕事が始まりました。メニューはシェフが考えるので、お客様が楽しくなるイベントやメニューのネーミングなど、様々な企画を考えるのが私の仕事。歌いながら目の前でサラダのドレッシングをつくる、手づかみでわざわざ食べてもらうなど、どうすればワクワクしてもらえるか、気持ちがあがるか、結果を出さなくてはという思いから懸命に考えました。その社長に27年間に渡って様々なことを教えていただいたおかげで、私の食に対する考え方が次第に固まっていったと思います。


■食の根源「農」との関わりの大切さを、これからはもっと伝えたい


Q.発酵文化との出会いについて教えてください。

近年は、「食育」と「糀」を中心にした発酵食文化の伝承と普及に力を注いでいます。「食べる」ことの大切さやより豊かな食事の提案を、日本に伝わる伝統的な発酵料理を通じてもっと伝えたいと思っています。残念ながら、日本の食文化の中心である米や味噌などの消費は下降傾向にあり、和食離れは進みつつあります。このことは、人の思考や性格、文化や経済などを変えてしまうのではと危惧しています。和食の礎である味噌、醤油、みりん、酒、酢といった糀による発酵文化を伝えたいと思い、2015年に一般社団法人日本糀文化協会を立ち上げました。

Q.ご自身でいろいろと発酵について学ばれたのですね。

協会を立ち上げるまでに様々なことを学び、発酵について知れば知るほど、これはすごい!という思いが募り、何があってもこれは残していかなくてはいけないという思いを強くしました。残念なことに蔵元も儲からないので、農業や漁業と同様に衰退しつつありますが、これこそ衰退させてはいけない日本独自の文化です。野菜が採れない時期に備えて、収穫した野菜をどうやって保存するかなどの知恵もいっぱい詰まっています。ごはん、納豆、味噌汁、旬の野菜といった日本の伝統的な食事がどんどん食べられなくなりつつある今こそ、もう1度「食べること」の意味を発酵食品、特に糀を通じて広く伝えることは、私の使命だと感じています。


発酵文化についての書籍『食べることは生きること』(株式会社カナリアコミュニケーションズ)と『365日、醸す暮らし 糀ことはじめ』(ライフデザインブックス)



Q.これから先もっと強く発信したいのは、どのようなことですか?

つい最近、「ウーバーやコンビニがあるから、家で料理をする人なんかいないよ、レシピ本なんて、誰が買うの?」と言われて、すごくショックでした。確かに料理が苦手な人にとっては自分がつくるよりおいしいし、調理すれば台所は汚れます。効率的に考えれば料理をつくらないことも、ある意味理解はできます。けれど、それでもつくってもらいたいです。つくるということは、そのこと自体が「農」と近づくことだと思うからです。2年前から畑で野菜を栽培していますが、自分が収穫した野菜は愛おしく思え、畑にいると暑さや寒さをすごくダイレクトに感じます。育てている、成長していく喜びが、それが世界平和とつながっているようにさえ感じます。命、大地、水、土がつながっていることを1人でも多くの人に感じてもらいたい。レシピ本は出していても、まだこの点は十分に伝えきれてないという思いがあります。

Q.畑での体験は、人の考えや行動を考えますね。

エアコンのきいた車でスーパーへ行って、「有機のきゅうり1本ください」で、これまでは済んでました。でも、畑はそうはいかない。苗を植えて、育てて、収穫して、食卓に並べるまでの過程を経たら、どんなに曲がったきゅうりだっておいしく感じます。その労力を理解すると、店頭に並ぶきゅうりの値段は安すぎる!と心が痛くなります。1年中きゅうりが食べられる必要はなくて、夏になったらきゅうりを食べればいい、そんな地球の中での循環を大切に考えられる人がもっと増えたらなあと思っています。食べること以前にある過程も含めてすべてが大切なので、つくるところはもちろん、大地の大切さをこれからはもっと伝えていきたいです。



畑で採れたきゅうりは、どれもとっても個性的!


Q.昨年、還暦を迎えられ、何か感じたことはありますか?

年齢とともに食べ方は変わってくると、つくづく感じています。彼氏がいる時には、お弁当を持参したりおしゃれな料理を作ったりしてイイ女を演じ、結婚して子どもたちが小さい時は、子どもが好きなものををつくり、子どもが巣立ち夫婦2人になると、量は食べなくなりますよね。野菜中心で、調理もゆでるだけなど、どんどんシンプルになっていきます。これからは、何よりも自分自身の食をよりシンプルに捉え、それを新たなライフスタイルとして発信していきたいです。

Q.具体的にはどんなライフスタイルでしょう?

家族のためにご飯をつくり続けた人が、いざ1人になった時にコンパクトに効率よく食べるそんなライフスタイルですね。普段は畑でとれた旬の野菜を食べ、発酵の力で長く保存もしながら、時々は友人たちと楽しいご飯を食べにいく、そんな暮らしがしたいです。私たちハナコ世代は、20代の時から多くのことを体験し、自分の意志で選択しながら生きてきました。個としての自分自身を大切にした生き方を、60歳を迎えた今の私だからこそ具体的にイメージしていけると思います。60代を迎えたハナコの新たな生き方を、食という切り口を中心に具現化していけたら嬉しいです。

大瀬さんの「もっと農に近づいてもらいたい」「地球の中での循環を大切に考えられる人を増やしたい」という強い思いは、10月に出版される『季節の手仕事・保存食』(春陽堂書店)にもたっぷり詰まっています。畑で採れる野菜とともに、長い歴史の中で育まれ、大切に伝えられてきた季節の行事は、農耕民族である日本人の暮らしとは切り離せないもの。60代を迎えて心や時間のゆとりを取り戻しつつあるハナコ世代が、伝統的な日本の食の意味合いを取り入れながら、新たなライフスタイルをさりげなく実践し始めるのも、そう遠くないような気がします。

文・藤本真穂 
株式会社ジャパンライフデザインシステムズで、生活者の分析を通して、求められる商品やサービスを考え、生み出す仕事に従事。女性たちの新たなライフスタイルを探った『直感する未来 都市で働く女性1000名の報告』(ライフデザインブックス刊/2014年3月)の編纂に関わる。2022年10月に60歳を迎えるのを機に、自分自身の働き方や生き方を振り返り、これからの10年をどうデザインするかが当面の課題。この3月、60歳まであと半年を残してプチ早期退職、37年間の会社員生活にひと区切りした。