「振り子」としてのマジミラ評、および教訓

 どうしても発信の現場が欲しいと思い、この度noteを始めてみた。
 この場では、主に自分が思った論評や、Xなどでは発信できない話をメインにしていきたい。

 初投稿となる今回は、ミクにとって国内最大のイベントである「マジカルミライ」、そのライブの内容について、自分が知る情報を元に評価していきたいと思う。
 マジック・ザ・ギャザリングの首席デザイナーであるマーク・ローズウォーター曰く「マジックは振り子のゲームである」。常に対照的な場面に向けてゲームデザインが進んでいるMTGを表現した最適のメトニミーである。
 何が言いたいかというと、マジカルミライも同じく「振り子のイベント」であると考えられるのである。保守と革新、懐かしさと新しさのせめぎあいの中イベントが執り行われ、ことにライブでは保守と革新が色濃く出てきている。
 そこで、この場を借りてマジカルミライの「保守と革新」を世に問い、今後の個人的課題を明確化すべく、本稿を執筆する。
 評価基準は極めてシンプル。その年のライブが「保守的」か「革新的」か、振り子の概念も引っ括めて個人的に評するだけである。各項目ごとには評価の理由も明記しておく。
 また、その年のライブが提示する「教訓」を付記する。これは、その年のライブで自分が最も「腑に落ちなかった」ポイント(あるいはその逆)に基づいて記すものである。

保守的:派手なパフォーマンス、および実験的演出は控え目。セットリストのバランス重視。古参ファンに受けがいい。
革新的:派手なパフォーマンスや実験的演出をふんだんに盛り込んでいる。特定世代の楽曲が多め。新入ファンに受けがいい。

 評価を始める前に、この評価はあくまでも個人的評価に過ぎないので、個人差が出てくることを強調しておく。

マジカルミライ2013:革新的
 このイベントに限って言えば、開催自体革新的なものだった。ボカロ黄金期真っ只中の2013年に開催されたこともあって、時代を彩った名曲が数多くセットリストに連なった。
 しかし、開催時期を「狙いすぎて」いたことが仇となって、動員数は予想を下回ったとも言われている。この反省は、後のマジカルミライを開催する上で最善の「苦い薬」となったことだろう。

マジカルミライ2014:保守的
 このライブが保守的と言えるのは、前年からのセットリストに過剰な手入れをしていないためである。もちろん2都市での公演は初の試みだったため、革新的な側面もある。
 この年最大の反省は「カゲロウデイズ」の一言に尽きる。芳醇な楽曲を演奏しようとして一部ファン、ないしはカゲプロアンチからの顰蹙を買ってしまった。自分としても、「カゲロウデイズ」が少なくともミクライブという現場で演奏されることは二度とないと考えている。

マジカルミライ2015:保守的
 武道館でのライブとなったこの年は、全体的にパフォーマンスを重視して過度な演出を抑え目にしていた。ライブの常連である「Hand in Hand」はこの年のテーマ楽曲である。
 この年の課題は「アーティストに問われるのは会場でなく、ライブの質」であることを、ミクやピアプロキャラクターズまでもが思い知る結果に終わったことだろう。武道館でライブしたものが勝つのではなく、最終的に「行けて良かった」と思えるライブをしたアーティストこそが、最後に笑えるのである。

マジカルミライ2016:革新的
 この年には隠しテーマとして「衣装」があった。全ピアプロキャラクターズが普段と異なる衣装で公演した最初のライブであった。また、ミクの楽器演奏を2曲導入したり、BUMPの楽曲を披露したりと、さまざまな試みが見られた。
 この公演に学ぶことは「どの楽曲にも居場所がある」ことだろう。振り子が保守的だった前年までのタイミングで「ray」を演奏しようものなら、ライブの帰結点は明後日の方角に迷走していたかもしれない。

マジカルミライ2017:保守的、それでいてやや革新的
 ミク10周年に合わせて行われた公演である。全体的にはセットリストのバランスを重視した形となったが、今では常習化している「日替わり楽曲」はこの公演が最初だった。
 この年の教訓は「適材適所を誤るな」と言える。ヒットメーカー・米津玄師は一プロデューサーとしてはこの上ない人材だった。しかし、周年を祝う意味合いが強いイベントのテーマ楽曲を担当させるには、音楽的方針からして些か不適合だったことだろう。

マジカルミライ2018:保守的
 この年からマジカルミライは大阪、千葉での公演が定番化していく。自分も参戦した最初のマジカルミライでもある。また、これ以降の五か年は周年を迎えたピアプロキャラクターズに焦点が当てられた。
 この年の教訓は「主役以外にも物語はある」。リン・レンの10周年を祝う公演となったはいいが、その反動でライブは目新しさに欠け、双子とミク以外の扱いがほとんど疎かになっていたのである。まだ公式がバランスを把握していなかったことが大きいと見えるが、厳しい見方をすれば「双子の双子による双子のためのライブ」に終わったことが残念に思われる。

マジカルミライ2019:革新的
 この年はルカさんに焦点が当てられたが、前年の反省からか過剰に取り上げることはなかった。ライブ全体で見れば、新モデルが登場したり写真撮影可能なタイミングがあったりと、いろいろ革新的なライブだった。
 だが、それが結果として「妥協以下の罪はない」という教訓を産み落とすこととなる。ライブの写真および動画撮影は海外において「常識」であり、それが諸事情で許されない日本のライブにおいて、それを導入することには無理がありすぎた。最終的妥協案が「エンディング後の撮影」だったのだろうが、それは海外のファンに要求されるものでなかった。

マジカルミライ2020:極めて革新的
 コロナ禍において実施されたこの年の公演は、姉さんに焦点を当てていた。時世柄日替わり楽曲が多かったが、全体的にさまざまな「革新的要素」が盛り込まれた。自分の中では、紛れもなく最高のマジカルミライに匹敵する公演である。
 この年の教訓はズバリ「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。自分は「革新的要素」がふんだんに盛り込まれたライブと語ったが、結果セットリストは新世代に偏ったものとなり、また楽曲がコロコロ変わるため古参からしても「取っ付きにくい」点があった。そして「アンノウン・マザーグース」なくしてこの年のライブは語れない。ミクのギター演奏が突出し過ぎていたのである。恐らく最も賛否が分かれる公演がこの年のマジカルミライだろう。

マジカルミライ2021:保守的
 KAITOに焦点を当てたこの年は、前年から振り子が戻り保守的でバランス重視のセットリストが組まれた。「あの悪名高いcosMo」作のテーマ楽曲もピタリと当てはまり、コロナ禍でありながらも「最も成功したマジカルミライ」として名高い。
 このことから得られる教訓は、「適度に保守的であれ」である。ミクライブはその特性上、保守的な方が好まれる傾向にある。実際、「最後のミクの日感謝祭」の「パズル」でミクがギターを持って出てきた瞬間や、「SNOW MIKU LIVE 2018!」の新モデルに抵抗があるファンもいたとされる。それらの「装飾」を取り払い、それでいて進化を止めない姿勢こそが、ミクのみならずライブを行うアーティストたちに要求されると考えられる。

マジカルミライ10th Anniversary:革新的
 最後に、昨年から今年にかけて実施されたマジカルミライについて触れる。焦点が当たったのは当然ミクだが、他のピアプロキャラクターズにも掘り下げのメスは入っていた。しかも、映像だけでなく札幌公演の実施、およびそこでの「特殊な演出分岐」など、実験的要素が多く登場して話題になった。
 教訓は「リスクを恐れないことが挑戦である」ということ。ミク15周年、マジカルミライは10周年というタイミングでここまで革新的なライブが実施されることに、自分としては何の当惑もなかった。過剰にさえならなければ、実験の場はいくらあってもいいレベルなのである。ましてミクやピアプロキャラクターズは「実体」を持たないので、そうした実験の余地は無限にあると言っていいだろう。前年が程よく保守的だったから、振り子を戻す最高の機会でもあったのだろう。

 以上が、過去にあったマジカルミライの評価になる。
 拙い文で申し訳なく思うが、何か思うことや気になる点があれば、コメントや自分のXおよびThreadsて是非とも聞かせて欲しい。

 それでは、また機会があれば。

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