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2023年、生きてて辛い

現状について報告

みなさんこんにちは。
私の現状を報告します。

2023年

1月…就活に向けて焦り、いよいよ2023年が始まってしまう不安でダウンする。主治医に「毎日外に出られない人間がはたらける訳ない」と言われてさらに落ち込む。1/15あたりからせめて毎日外を歩こうと意識するようになる。

2月…平日は最寄り駅やスーパーくらいに行けるようになった。2月中旬からはデイケアにも通うようになる。(単位をとり終わったため)

3月…同期が卒業。デイケアに通いながらもなんとか生きる。卒業前にみんなで遊んだり、カラオケに行ったりと賑やかな日々が続く。取り残されることに不安が募り、人間関係にも支障がでてくる。とにかく周りが信用できない。このまま生活保護になるのでは無いかと妄想に囚われる。

4月…


どうやらここまで書いたところで息絶えたらしい。死んでました。おはよう世界。

みんなはどう過ごしてたのかな。

私は今、就職活動をしています(7月)。

色々ありました。
色々ありましたねぇ。(中原中也風に)

何があったかと言われると長くなるんですが……1月の中盤に「お前は就活なんぞ出来る体力じゃねぇんだよ!(意訳)」と言われてから悔しさに一念発起、毎日せめて5分は外に出ようと街歩きをはじめ、次にデイケアに通い、そのまま3月末にある地方公務員の採用に応募しました。

「受かるかどうかも分からないけど、今動いておけばのちのちチャンスになるかも」

そう思って自宅で慌てて証明写真を取り、履歴書を提出。三月末の話です。

それから4月、筆記試験の勉強を自分の体に合わせてしつつデイケアも通い、身体の節々を痛めながらなんとか5月に筆記試験と書類選考をそれぞれ通過。

筆記試験の会場に行くのも一苦労で、そもそも試験を受けることが緊張と準備不足、周りとの差を感じてきつかった。当日は支援員さんに同行してもらい、なんとか本番に挑みました。手応えはまあまあ。正直落ちたやろ、と思ってました。

そうしたらね。

なんと面接の4日前にポストを見たら合格通知が入ってて、対面面接の日程が決まってたんですよ。しかも届いてたのは2週間前。

もうパニックになりました。
受かったことは喜ばしいけど、なんの準備も覚悟もない。そもそも今から何をすればいい?準備は何から?どれからやれば?

わたしはうつ病になったキッカケになった、実習の日を思い出していました。あの日も確かこんな感じで、本番まで2日しかないのに突然の予定変更。頼れる先もいない。本番へのプレッシャー、足りない時間。混乱。

今回良かったのはその日が平日であったことです。支援員さんや看護師さんと連絡を取ることができ、状況をまとめて何とか落ち着くことが出来ました。

面接を受けるべきか、迷いました。

というか受けたくないとすら思いました。
準備不足のまま恥をかきたくなかった。

でも、ここで逃げたら2年前のあの時と同じように後悔する、という確信だけがあって。支援員さんには辞めることも勧められまひたが、私は主治医の元に駆け込みました。

『どうすればいいでしょう。面接は受けるべきでしょうか?』

主治医はいいました。

『面接どうしたいの?』

えっ。

『それを聞きに来たんです。私の体調や状態をよくわかってるのは先生でしょう?』

『私はどっちでも良いと思いますよ。それにこういう選択は他人がするんじゃなくて、自分でしなきゃ。自分はどうしたいの?』

どうしたいのか、と聞かれてようやく私の口からするりと言葉が出ていました。

「受けたい、と思います。……体調的にしんどいですけど、ここで逃げたらあの日みたいに後悔しそうで」

主治医は少し被せるように言いました。

『後悔しそうなの?ならやった方がいいね』

トントン拍子に話が進み、気がつけば診察室の外にいました。ぽかんとしていました。やっちまったと思いました。まさかあんなにするりと「受けたい」という日が来るなんて。

私にとって、何かをしたい、と言い出すことは本当に難しいことでした。なにかしたいと言うと家族に「それじゃあ○○をやりなさい」と即課題を提示されてきた私は、クセでいつも願いを言う前にデメリットや課題を考えてしまうところがありました。

なのに、あの日はただ素直に「やりたい」が出せたんです。リスクも考えずに、子供みたいに。

だからもうやるしかないなと思いました。

残りの日数全部使って継ぎ接ぎだらけの志望動機、面接練習を1回だけ。

とにかく私にとっての「面接」は

・朝起きる
・身支度をする
・決められた時間に会場にいる
・面接中に受け答えをする(中段離脱しない)
・無事に帰ってくる

これだけ達成しよう、と決めました。

面接中の受け答えの精度は捨てました。1番大事な部分ですが、私にはまず『スーツ1式を身に着けて会場に時間通り着く』ことが壁だったのです。
だから『受かっても落ちてもどちらでも良い。まずは面接に行く、ということだけ考える』と決めました。

当日、支援員さんの同行はなく私は1人で面接会場に赴きました。

前日の夜は眠剤を飲みました。
しかし眠れず、1時間に1度は引き起こされるように目覚め、4回目で抗不安薬を飲み3時間だけ連続で眠れました。

そんな感じで睡眠がぼろぼろの中、シャツとスーツを身にまとい、最低限のファンデーションを肌に押し付け、髪はとりあえずきゅっとポニーテールに。それでも1時間かけて身支度をして、私は家を飛び出しました。

前日に下見をしていたので迷わず到着。

優しそうな面接官に出迎えられ、服用している薬の副作用が喉がカラカラになりながらもなんとか受け答えを済ませ、部屋を出ました。たった20分の会話なのに、まるで悪い夢でも見ていたかのようにふらふらです。

それでも私は嬉しかった。

合否はどうであれ、面接の場に立てたんだ!
みんなと同じステージに戻れたんだ!
あの場でみんなと肩を並べたんだ!

昨年はずっと苦しかった。
死にたい死にたいと、今後の生活に見通しも持てず布団の上から逃げられない。薬も合わなかった。大学の講義を受けるだけで精一杯でデイケア通所どころか治療にも目が向けられなかった。

それがようやく報われたんだと思いました。
その日は友人と浮かれて夕食を共にしたくらいです。

でも、その面接は落ちました。

『合否なんて関係ない。面接に行けただけで満足だ』

そう言っていたのに人間とは欲深い生き物で、少しでも夢を見てしまうと現実とのギャップに傷ついてしまうのです。

凹みました。

私は選ばれなかった。
やっぱりうつ病がバレていたんだろうか。
そもそも準備が出来てなかったから当然。

自分に言い訳するように布団に潜り、また暫く起き上がれなくなりました。それが今。

頭がぼーっとする。
とにかく眠い。足が重くてだるい。
別の採用はまだ進んでいるのに、対策どころか下見すらもできてない。面接日程が公開されたのですが、過去一早い時間帯の面接となっており、元々朝が弱く面接前の夜は緊張で睡眠が取れなくなる私からしたら既に死刑宣告のように思えてしまいました。

主治医は面接を終えた私を見て
『良い波が来ているね。合否に関わらず良い傾向で、ここから良くなるよ』
と言ってくださった。

でもね先生。
それっていつなんですか?

私ははやく、もう障害者雇用でもパートでもなんでも構わないから就職して自立した生計を立てなきゃ行けないんです。頼れる実家も、家族もいないんだから。

そんな私の焦りだけが、渦巻いて。
それでも次の面接も受かるか落ちるまで進めなくては行けない。次の面接も受かりたい。せっかくのチャンスを繋げたい。

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