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予告されたアイスダンスへの道3

髙橋大輔はアイスダンスが好きだと公言していたので、ときどき「どのカップルが好きなのか」という質問をされていた。その答えをオリンピックの順番に並べると、グリシューク&プラトフ、アニシナ&ペーゼラ、デロベル&シェーンフェルダー、ヴァーチュー&モイア、デービス&ホワイト、パパダキス&シゼロン……だったと思う。

ここまでに上の世代の選手から影響された話は書いた。ここからは同世代の選手の話になる。デービス&ホワイトとヴァーチュー&モイアである。

と言ってもデービス&ホワイトとスコット・モイアは1987年生まれで髙橋大輔より1歳年下、テッサ・ヴァーチューは89年生まれで3歳年下で、どちらかというと影響を与える側なのは髙橋くんのほうになる。実際、バンクーバーのデービス&ホワイトのFDは「オペラ座の怪人」だし、平昌のヴァーチュー&モイアのFDは「ムーラン・ルージュ」で、髙橋くんのほうが先に演じた曲である。

この2組は2006年世界ジュニアでメダルを取り、2006-07シーズンにシニアに上がってきた。優勝したのはヴァーチュー&モイア、3位がデービス&ホワイト、4位がカッペリーニ&ラノッテだった。3組とも後のワールドチャンピオンである。(ちなみに13位にブノワ・リショーがいる)

長光コーチの「歌子の部屋」によると、スケートカナダでシニアデビューしたばかりのメリル・デービスを見て、髙橋大輔は「めっちゃかわいい」と盛り上がっていたらしい(ちなみにチャーリーもまだかわいかった。金髪巻き毛で華奢だったので天使っぽかった)。この時の順位はまだ4位、GPFにも進出できていない。

髙橋くんが「ヒップホップスワン」でフィギュア界に衝撃を与えた2007-08シーズン、NHK杯にはヴァーチュー&モイアとデロベル&シェーンフェルダーが出場していた。このシーズンの世界チャンピオンになるデロベル&シェーンフェルダーに対して、ヴァーチュー&モイアはコンパルソリー・ダンス(CD)以外は勝っていた。そして2008年世界選手権でもFDは1位で、シニア2年目にして銀メダルを取ってしまう。テッサ・ヴァーチューはまだ10代、旧採点時代にはあり得ないスピードでのメダル獲得だった。

髙橋大輔が怪我で全休になった2008-09シーズン、テッサ・ヴァーチューもまた故障でGPシリーズを欠場している。コンパートメント症候群という耳慣れない疾患だった。それでも後半戦には復帰し、世界選手権では4位のデービス&ホワイトと接戦のすえ銅メダルを勝ち取った。

髙橋大輔が怪我から復帰した2009-10シーズン、デービス&ホワイトは民族音楽がテーマのオリジナル・ダンス(OD)でエキゾチックなインド舞踊、FDはドラマチックな「オペラ座の怪人」でGPF初優勝を果たした。ヴァーチュー&モイアはかっこいいフラメンコのODと、ズエワらしいロマンチックなFD「マーラー交響曲5番」で銀メダルだった。(この時のジュニアGPFで2位に入ったのがイリニフ&カツァラポフ、3位がシブタニ兄妹)

そして髙橋大輔が銅メダルを取った2010年バンクーバー・オリンピックでは、ヴァーチュー&モイアが金メダル、デービス&ホワイトが銀メダルを獲得する。

ここから2014年ソチオリンピックまで、この2組は負けるならば互いに対してだけ……というアイスダンス界のヤグプル状態になる。ただ、ヤグプルと違ってこの先もソチまでのあいだ、ずっと一貫して同じコーチに師事している。マリーナ・ズエワである。

ズエワはペアで2度金メダルを取ったゴルデーワ&グリンコフの振り付け師として有名になり、1991年にアメリカに渡った。2001年からは同じロシア出身のイーゴリ・シュピルバンドとともにアイスダンスの指導を始め、トリノ・オリンピックでベルビン&アゴストに銀メダルを取らせ、それまでダンス弱小国だったアメリカにメダルをもたらす。さらにヴァーチュー&モイア、デービス&ホワイト、シブタニ兄妹と、次々と有力選手を育てていく。

基本的に技術指導はシュピルバンド、演技指導はズエワが担当しているのではないかと思われていたが、シュピルバンドはインタビューで「役割は決まっていない」と答えている。

髙橋大輔がソチまでの現役続行を宣言した2011年世界選手権、デービス&ホワイトがついに初優勝を果たした。速すぎるツイズルとアクロバティックなローテーショナル・リフトがトレードマークの「アスレチックなアイスダンス」がとうとう頂点を極めた瞬間だった。

気がつくとアイスダンス界から30歳を超える選手がほとんど消えつつあった。CDとODがなくなり、ショート・ダンス(SD)に変わったのもこのシーズンからだった。

さらにこの大会ではデービス&ホワイト、ヴァーチュー&モイア、シブタニ兄妹の3組によるシュピルバンドとズエワ門下の表彰台独占という事件が起きる。特にシブタニ兄妹はまだシニアに上がったばかりで、誰もが銅メダルはペシャラ&ブルザが取るものと思っていた。もはやズエワ門下でなければメダルは取れないのか、という勢いだった。

不安要素はテッサ・ヴァーチューのコンディションぐらいだった。

髙橋くんは自分の試合が終わった後、ホテルのテレビでFDを見て、ヴァーチュー&モイアとデービス&ホワイトが自分と同じラテン系の選曲だったことに気づき、「会場で見たかった」と思ったらしい。特にヴァーチュー&モイアのFD「Hip Hip Chin Chin」が印象的で、もっと早く見ておけばその年のSP「マンボ」のパフォーマンスは違っていたかもしれない、と思ったという。

でもそれは不可能なことだった。実はこのFDがちゃんと披露されたのはワールド1度きりで、ヴァーチュー&モイアはこのシーズン、ほとんど試合に出れていない。テッサ・ヴァーチューがコンパートメント症候群の再手術を受けたためで、カナダ選手権にさえ出れていなかった。4CCには出場したものの、FDは違和感を感じたため途中棄権している。

たった1度しか披露されなかったFDは髙橋大輔がすっかり気に入るほどの名作で、翌年SDに作りかえられることになる。

2011-12シーズン、この物語のもう一人の登場人物が全日本フィギュア、女子シングルFSの最終組に姿を表す。村元哉中だ。最終順位は10位だったものの、まだ浅田真央、鈴木明子、村上佳菜子が揃っていた時代にSP6位はすごいことだった。スピンはすべてレベル4、ステップはレベル3で、3回転5種類は習得していたもののジャンプを売りにできるほど得意ではなかった村元哉中が、ジャンプ以外ではトップクラスに到達していたことがわかる。

髙橋大輔が再び銀メダルを取った2012年ニース世界選手権、またしてもアイスダンスはヴァーチュー&モイアとデービス&ホワイトの一騎打ちとなる。デービス&ホワイトのほぼ満点の完璧なローテーショナルリフトが印象的なFD「こうもり」と、ヴァーチュー&モイアの2人の距離が常に近く幸福感に満ちたFD「パリの恋人」は甲乙つけがたい名勝負だったが、金メダルを手にしたのはヴァーチュー&モイアのほうだった。

テッサはかなり筋肉量を増やしていた。コンパートメント症候群対策だったのだろう、以前より安定して競技に出れるようになっていた。もはやズエワとシュピルバンドの時代は永遠に続くかのように思えた。

2012年6月、驚愕のニュースが世界を駆け巡る。

デトロイトのリンクからシュピルバンドが突然、一方的に追放されたという。双方の言い分が食い違っていて真相はわからなかったけれど、とにかく一夜にして帝国が崩壊したことは確かだった。

2011年に表彰台を独占した3組はズエワの元に残ったものの、今までのようにズエワ門下の繁栄が続くのかは誰にも分からなかった。

そして同じ2012年6月、髙橋大輔が再びニコライ・モロゾフをアドバイザーに迎える、というこれまた驚愕のニュースが駆け巡る。(どうやらモロゾフ側からのオファーで、実はこの時期のモロゾフ組はイリニフ&カツァラポフの仲が悪いせいで士気が下がりすぎていて、練習態度のよい髙橋くんが来れば模範になり、チーム全体によい影響を与えると思われたらしい)

意図してなのか成り行きなのか、このシーズンから髙橋くんの振り付け師にザズーイ系の人物は登場しなくなる。SPは元々ローリー・ニコルに依頼していたものがモロゾフのコーチ再就任により白紙撤回されるわけだけれど、そもそもローリー・ニコルはアイスダンスの振り付けはしていない。代わりにSPの振り付けをした阿部奈々美はちょうど「剣の舞」のシーズンに荒川静香に帯同してタラソワの元に来て、振り付けの勉強もしていたというが、アイスダンスの振り付けはしていない。

ただ、ローリー・ニコルに関しては前々から何度も振り付け師候補に名前が上がっていたので、キャリアの終わりが見えてきた(つもりだった)当時、一度は依頼してみたい、という意図だったのかもしれない。

とりあえず、好きなアイスダンサーの振り付け師であるズエワに振り付けを依頼する、という選択肢は髙橋くんの頭にはなさそうだった。

SPの「ロックンロールメドレー」はステップのレベルが取れないなどの理由で後に変更されることになるけれど、シェイ=リーン・ボーンが振り付けたFS「道化師」とともになぜか取れていなかったGPFの金メダルをもたらした。(この時のJGPFでパパダキス&シゼロンが銀メダルを取っている)

そして全日本での「道化師」怪演は髙橋大輔の最高のパフォーマンスのひとつに数えられることになる。当時のインタビューを読むと髙橋大輔は「いままでで一番、4回転が飛べている」と答えている。

ヴァーチュー&モイアとデービス&ホワイトは何事もなかったかのように勝ち続けていた。ただ、シブタニ兄妹は伸び悩んでいた。早すぎる銅メダルがかえって2人の足かせになっていたのかもしれなかった。

2013年4CCは大阪で開催されることになっていた。わたしは通し券をゲットして、その日が来るのを楽しみに待っていた。全日本の「道化師」を見たファンはみんな、あの疾走するコレオステップを楽しみにしていたと思う。(そしてダンスファンでもあるわたしはヴァーチュー&モイアのFD「カルメン」も楽しみにしていた)

けれど会場に姿をあらわした髙橋大輔のコンディションは、予想外に悪かった。

この大会の通し券は練習を見られたので、わたしはダンスと男子の練習はすべて見た。練習を見ただけで髙橋くんが調子を落としているのはわかった。見るからに覇気がなかった。

髙橋大輔はSPをニコライ・モロゾフ振り付けの「月光」に変えていた。最初はSPの変更が負担になっているのかと思った。

アイスダンスにはヴァーチュー&モイアとデービス&ホワイトが揃っていた。正直言ってこの試合のわたしの印象はほとんどアイスダンスが占めている。(浅田真央の3Aを決めた完全優勝もハンヤンの意味不明な飛距離の3Aもメーガン・デュハメルが優勝を決めたときの切り裂くような歓喜の悲鳴ももちろん覚えてるけど)

ヴァーチュー&モイアはFDのストレートラインリフトを何度も練習していて、見るからに上手く行っていなかった。トップの選手でもリフトであんなに苦労することがあるのかとわたしはびっくりした。それだけのリスクを取らなけばならないほど、この2強対決は熾烈だったんだと思う。

初演だった髙橋くんの「月光」は素敵衣装の素敵プログラムなのはわかったけれど、ジャンプが決まらなかった。FSはもっと崩れた。珍しくジャンプが終わった後のコレオステップですらあまり迫力がなかった。

ヴァーチュー&モイアとデービス&ホワイトの対決はFDでテッサの足がつって一時中断になり、デービス&ホワイトの勝利に終わった。

なんだか不完全燃焼な試合だった。

ただ、EXの髙橋大輔はいつもの素晴らしい髙橋大輔だった。EXだけを見ていれば何の問題もないように見えた。

まだわたしたちは気づいていなかった。たぶん2012年で高橋大輔のジャンプはピークを超えてしまっていたことを。

そしてこれがわたしの見る髙橋大輔の現役最後の試合になるなんて、まったく予想もしていなかった。

ここからソチオリンピックまでのあいだに、髙橋大輔は何度も素晴らしい演技をする。たった3度しか披露されなかった「月光」は髙橋史上もっとも素晴らしいレベルステップだったし、2013年NHK杯SP「バイオリンのためのソナチネ」は鬼気迫る名演だった。髙橋大輔は復活した、と思わせる演技だった。

後から考えるとあの「ソナチネ」が髙橋大輔の最後のノーミスの演技だった。この試合が4T成功の見納めだった。

それでも髙橋大輔はGPFの出場資格を手に入れていた。わたしもGPFの通し券を手に入れていた。練習チケットも前日練習まで含めてすべて揃えていた。

12月の福岡GPF、そこに髙橋大輔の姿はなかった。怪我による欠場だった。

アイスダンスはヴァーチュー&モイアもデービス&ホワイトも揃った素晴らしいメンバーだった。この試合もまた、わたしの印象に残っているのはダンスばかりだった。(浅田真央が3A2回にトライした最後の試合だったこともトリノからずっと応援していたサフチェンコ&ゾルコビーが優勝したこともボロソジャール&トランコフが表彰式でカーペットの存在を忘れてつまずいて見事な転倒を見せたのも覚えてるけど)

ヴァーチュー&モイアとデービス&ホワイトの直接対決は、デービス&ホワイトの勝利に終わった。2012年GPFからはずっとデービス&ホワイトが勝ち続けていた。

男子シングルのジュニアには、もうネイサン・チェンが出場していて、銅メダルを取っていた。着実に次の時代の足音が近づいてきていた。

その後の髙橋大輔は見ているだけで辛かった。全日本のFSでカメラに向かって差し出された指が血で赤く染まっていたときも、インタビューで涙を堪えきれずに後ろを向いたときも、「ソナチネ」の作曲家問題を質問されたときの困惑した表情も、ソチのFSの「ビートルズ・メドレー」の終わった瞬間の優しい表情も、キス&クライでぬいぐるみを抱える姿も、何もかもが見ていて辛かった。

そして壮絶に美しかった「ビートルズ・メドレー」の終了とともに、わたしたちが大切に見守っていた線香花火の火玉は、静かに落ちていった。

アイスダンスは予想通りの2強の一騎打ちだった。ヴァーチュー&モイアのFDはズエワの得意なロマンチック系のプログラムで素晴らしかったけれど、最終滑走だったデービス&ホワイトのエキゾチックなFD「シェヘラザード」には勝てなかった。最後の畳み掛けるような怒涛の連続リフトはラストを飾るのにふさわしい圧倒的な盛り上がりを見せた。

熾烈な銅メダル争いはGPFに進出できていなかったイリニフ&カツァラポフが制していた。イリニフ&カツァラポフも、ペアの金メダルを取ったボロソジャール&トランコフも、ニコライ・モロゾフ門下だった。このシーズンのモロゾフの振り付けは冴えていた。

この試合を見る余裕が髙橋くんにあったのかは知らない。

そしてわたしが散々迷ってチケットを取らなかった埼玉世界選手権に、髙橋大輔の姿はなかった。デービス&ホワイトもヴァーチュー&モイアもそこにはいなかった。みんな実質引退かと思われていたけれど、誰も引退を表明してはいなかった。

大会直後アイスダンス界を震撼させたのは、ソチで銅メダルを取ってこれから時代が来る、と思われたイリニフ&カツァラポフのカップル解消だった。突然、カツァラポフがシニツィナ&ジガンシンのシニツィナと組み換えを発表し、イリニフとジガンシンは一方的に切られた形になった。

髙橋大輔の引退会見もまた突然だった。2014年10月14日。何の心構えもないタイミングでの発表だった。あの「剣の舞」からちょうど10年が経っていた。何もかも本当に終わるんだな、とわたしは思った。これからは見る機会もずいぶん減るかもしれない、でも無理してまで何かしなくてもいい、ただ生きていてくれさえすればそれでいい、とわたしは思っていた。

そして、生きている限り髙橋大輔がどこかに消えてしまうことはないと、心のどこかでぼんやりと信じていた。

2014年の10月31日、福岡で西日本フィギュアが開幕していた。そこにはアイスダンスに転向した村元哉中の姿があった。この大会で村元哉中&野口博一は初優勝することになる。

いま思えばこの時すでに髙橋大輔をめぐる新しい物語は静かに始まっていた。けれどまだ誰ひとりとしてそのことに気づいてはいなかった。たぶん髙橋大輔その人が、1番遠いところにいたんだと思う。

きっと灰の中から再び飛びたつ日がくるなんて、想像もしていなかっただろう。

……4に続く。(長っ)


P.S. 「予告されたアイスダンスへの道4」書けました〜!

P.S. 参考文献リスト作りました〜!


#髙橋大輔 #アイスダンス #アイスダンスを広めたい #かなだい #フィギュアスケート #高橋大輔

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