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予告されたアイスダンスへの道2

ときどき誤解されているんじゃないかと思うときがあるけれど、髙橋大輔はもともとジャンプの得意な選手だった。わたしの知るかぎり練習では4T-3Tをポンポン飛び、陸のウォームアップでも軽々と3回転を飛び、片足で降りていた。(あれ、カッコ良かったなあ〜)

かつてガラスのハートと言われたのは、練習で飛べているジャンプが試合では飛べていなかったからで、ニコライ・モロゾフがやったことはその安定化だった。まずは4回転をフリーの1本まで減らして成功させて、それからまた増やしていく。

実際、銀メダリストになった翌年、髙橋くんはFSで4Tと3Aを2本ずつを成功させて当時の歴代世界最高点を更新する。まだ靴の軽量化がされておらず、レベルステップも2本あった当時のルールでこれだけのジャンプを成功させた選手はほとんどいなかった。自信をつけさせるという目標は達成できていたと思う。

次はSPでの4回転復活……のはずだった。

ニコライ・モロゾフのもとを離れたあと、髙橋くんが振り付けを依頼したのは宮本賢二とそのコーチ、パスカーレ・カメレンゴだった。

わたしにとってカメレンゴの代表作と言えばトリノ・オリンピックのデロベル&シェーンフェルダーのFD「ベニスのカーニバル」だった。両方の手を顔の前で並べると手袋に仮面が描かれているという演出が印象的なプログラムだ。

トリノ後に好きなアイスダンス選手を訊かれたとき、髙橋くんはシェーンフェルダーの名前を上げていた。なので当時わたしは「ストレートに好きなプログラムを振り付けた人を選んだんだなあ」と思ってNHK杯のチケットを3日ともゲットして、楽しみに待っていた。シーズン全休の未来が待ち受けていることも知らずに。

代々木の会場前に貼られた欠場選手のお知らせには、髙橋大輔とヴァーチュー&モイアの名前があった。(この時のアイスダンスで優勝したのがフェデリコ・ファイエラ&マッシモ・スカリ。スカリは「ラ・バヤデール」の振り付け師の1人)

わたしは前十字靭帯損傷の意味がわかっていなかった。後から事の重大さを知ってぞっとした。リハビリが1日8時間と聞いたときは心底驚いた。

戻ってきた髙橋くんはすっかり大人になっていた。

怪我で持ち越しになったおかげで、カメレンゴが振り付けた「道」は結果的にオリンピックシーズンのプログラムになり、銅メダルをもたらす代表作になる。髙橋大輔のプログラムとしてはかなり演劇的な作品だった。選曲は長光歌子コーチで、ラハカモ&コッコの1994年世界選手権のFDに感動して泣いたから、という。つまり長光コーチもまた、アイスダンスが好きだったんである。

翌年はなんだか奇妙なシーズンだった。髙橋くんは東京世界選手権を最後に引退すると思われていた。ラストシーズンかもしれないこの年、振り付けはシェイ=リーン・ボーンの「マンボ」とカメレンゴの「ブエノスアイレスの四季」で、それぞれ素晴らしい作品だったけれど、どちらもラテン系で、前年の「eye」から続き過ぎていた。髙橋くんにしては珍しいことだったと思う。(ジャズというリクエストにマンボがきたというエピソードは有名)

そして4回転もなかなか戻ってこなかった。膝にはまだネジが入っていた。東京ワールドのチケ取りは大変だった。震災に、神戸チャリティーに、ロシア開催に変更になった世界選手権に、FSでの靴のトラブル……。

なんだかしっくりこない、微細な違和感に支配されていたシーズンは、震災によって打ち砕かれ、最後は髙橋くんの現役続行宣言によってハッピーエンドを迎えた。

少なくともあと3シーズン髙橋大輔が見られる。それ以上望むことはなかった。

翌年のFSの振り付けは引き続きカメレンゴだった。カメレンゴのプログラムは3作ともわかりやすく派手なモロゾフ作品より繊細で、アイスダンス的だったと思う。特にこの2011-12シーズンの「ブルーズ・フォー・クルック」はテンポの変化する難曲で、観客の手拍子も期待できなかった。

しかもわたしにとってあの曲は、ウソワ&ズーリンが1993年に世界選手権で金メダルを手にした時のFDの印象が相当強かった(「四季」と「ブルーズ」は大好きで、何度も繰り返して見ていたプログラムだった)。カメレンゴがこのことを意識していなかったはずはない。シングルであんな難しい曲選んでくるか〜、チャレンジャーやなあ〜、というのが最初の印象だった。

SPはデヴィッド・ウィルソン振り付けの「イン・ザ・ガーデン・オブ・ソウル(VAS)」。わたしはこの文を書くための下調べをするまで知らなかったけれど、ウィルソンはザズーイ門下だったデュブレイユ&ローゾン(後のパパダキス&シゼロンのコーチ)が2006年世界選手権で銀メダルを取ったときのFD「ある日どこかで」の振り付け師なのだった。(FDだけなら1位だった)

その夏、髙橋くんはリヨンに向かい、ついに直接ミュリエル・ザズーイやロマン・アグノエル、オリビエ・シェーンフェルダーらの指導を受けることにする。ザズーイはカメレンゴさんの元コーチだし、髙橋くんが好きなアイスダンス選手として名前を挙げる、アニシナ&ペーゼラ、デロベル&シェーンフェルダー、パパダキス&シゼロンの元コーチでもある。(アグノエルも後のパパダキス&シゼロンのコーチ)

当時はあまり意識していなかったけれど、いま振り返ると髙橋くんのこの3シーズンはザズーイ系アイスダンサーたちのスケーティングと表現を追求する3年間に思えてくる。毎年、新しいプログラムが発表になる度、間違いなく作品の難易度は上がり、表現は年々高まっていき、スケーティングは磨きがかかっていた。それはそう簡単にできることじゃない。

しかも4回転ジャンプもまったく諦めていなかった。

怪我後、ときどき映るウォームアップでの陸のジャンプは2回転になっていた。わたしはまだ筋力は戻ってないんだなあと思っていた。ひょっとすると脚に悪いから回避していたのかもしれないけれど、陸で3回転ジャンプを飛ぶ映像は、結局シングル引退まで見かけることはなかった。以前のように当たり前のウォームアップとして毎回飛ぶレベルまでは戻らなかったんだと思う。

それでも髙橋くんは4回転に挑み続けた。

シーズンがはじまり、プログラムはSP、FSともに好評だった。特にNHK杯での「VAS」の出来は素晴らしく、「これは4回転はいらないね〜」と断言した海外の解説者もいたほどだった。けれど当の髙橋くんはなんとか4回転を取り戻そうと必死だった。

翌日、髙橋くんはFSの6分練習で初めて4Fを着氷する。4Tと4F、2種類の4回転を飛べれば、いつか怪我前の最高のFS、4T2回を超えられるかもしれない。4回転をフリーで3回、髙橋史上最強の演技だ。

きっと表現か4回転、どちらかを手放せば髙橋くんは楽になれたのかもしれない。表現力は4回転を手放したほうが完成度が高まっただろうし、逆に表現力を少し落とせばもっと楽にジャンプが飛べただろう。それでも他の選手よりは魅せる演技ができていたんじゃないかと思う。でもそれは選択肢になかった。見守っているだけのわたしにも、髙橋くんがそうしないことはわかっていた。ただ勝てる演技ではなく、最高の演技を目指す。それが髙橋大輔だということは、みんなわかっていた。

そして全日本で突然、4T-3Tが戻ってくる。

わたしはあの、2011年全日本のSP「イン・ザ・ガーデン・オブ・ソウル」で、不死鳥のように蘇った髙橋くんの4T-3Tを会場で見られたことを、生涯忘れることはないと思う。そしてそれに続く、あの素晴らしいステップのことを。

ようやく髙橋大輔はSP、FSともに4回転を飛ぶ、本来の力を取り戻した。

アイスダンサーのように舞い、4回転も飛ぶ夢のスケーター。

あの「剣の舞」のときからずっと、髙橋くんは4回転を飛びながら、同時にアイスダンス道を歩んでいた。

そして国別対抗の「ブルーズ」が終わった後の、あの海外選手たちの熱狂。あの時確かに髙橋大輔は頂点を極めつつあって、選手たちはみんなそのことに熱狂していたんだと思う。

けれどその道は徐々に険しさを増してきていた。

3に続く……と思う。

P.S. 「予告されたアイスダンスへの道3」書けました〜!

P.S. 参考文献リスト作りました〜!


#髙橋大輔 #アイスダンス #アイスダンスを広めたい #かなだい #フィギュアスケート #高橋大輔

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