きょうだいリスク

 「一人っ子は可哀想だよ」「次は女の子だな」「もう一人産みなよ!」我が子は一人っ子なので、それなりにそんな言葉の数々をかけられたりもした。勿論そこに感情を揺さぶられることだってあったし、自宅に帰ったとき涙がぽろりと溢れたこともあった。

 わたしには兄がいる。ここには書けたものじゃないけれど様々な問題を抱えていて、そのうちの一つが〝婚約者〟のことで両親はひどく頭を悩ませている。そして今回、私もカオスな渦の中にちょっぴり巻き込まれた。母から「本当にごめんね。情けなくて涙も出ません」と謝罪の連絡がきた。悲しかった。わたしはもういい年をした大人なのでイラッときても、ぐっと堪えて冷静に対応すればそれでいい。だから、悲しかったのは巻き込まれたことではなくて、なぜ母がこんな想いをしなければならないのだろう、という部分に対してだった。

 語弊があるかもしれないが、わたしは我が子を産むまで本当の意味で両親に感謝をしていなかった。ありがとう、とは思ってもどこか上っ面だけの浅いものだった。息子が11ヶ月のとき、わたしは一つ年を取った。「産んでくれて、育ててくれて、ありがとう」泣きながら、父と母にメールを送った。虚飾なく真っ直ぐな気持ちでそう思えたのは初めてだった。勿論、子供を産んでいなくても感謝している人もいるし、産んでも全く感謝していない人もいるのは百も承知だけれど、わたしは出産と育児をきっかけに両親に対して多くの想いが溢れてきた一人だ。本当に感謝していたら、両親を傷つけるような言葉が出てくるはずなどない。

 自分の親に大満足しています、なんて子供がいるのなら会ってみたい。みんな、大小はあれど何かしら親子のわだかまりはあるだろう。親は完璧じゃない。完璧じゃないどころか未熟だ。それでも自分のできる精一杯を与えたいと思うのが親心で、それが時として間違っていたり、失敗したりなんてこともザラにある。それを今更責め立てるのはそれこそ間違いで「稚拙かつ、想像力が欠如しているなあ」というのが単純に思うところだ。

 最初から一人っ子だったというつもりで父と母のことはわたしが面倒見るから一切関わらないで!というのが今のわたしの素直な気持ちなのだけれど、両親にとってはそうもいかないのが現実なのだろう。わたし、怒っています。静かな、静かな怒り。厄介なきょうだいならいない方がマシだと断言する。我が子が一人っ子でよかった、と心底思った。こんなことでそう思ってしまったのはやっぱり悲しいよ、お兄ちゃん。

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