それなりに

 引っ越しの日が刻一刻と近づいている。これからわたしたちは、わたしが0歳から26歳までを過ごした町で暮らしていく。そう、実家がある町。

 本当のところ、日々憂鬱は膨らむ一方だった。今住んでいる場所からは車で十分ちょっとの距離で、生活が大きく変わるわけではないのだけれど、それでも細々とした変化やこれまでの快適さ(今のマンションは新築で入居したが、次のところは築二十年弱)を思うと、受け入れ難い気持ちになった。一言で言えば「生活レベルを落とさなければならないのがイヤ」なのだ。

 数日前、息子は早くに寝てしまい静かな時間が訪れた。録画した番組を流しながらダンボールに荷物を詰めていく。流したのは「おもしろうて、やがて不思議の、樹木希林」という番組。観るのは二度目だった。その中で樹木さんと、まだ子供だった也哉子さんが母娘でエジプトを旅した番組の一部が流された。エジプトの民家での暮らしを目の当たりにした後、ラグジュアリーなホテルのプールサイドで樹木さんは也哉子さんにこう質問した。「エジプトのお家行ったじゃない?(こっちと)どっちがいい?」十歳の也哉子さんは勿論「こっちの方がいい」とこたえた。樹木さんは一瞬笑って「也哉子はどういう生活がしたい?」と訊ねる。「こういう生活」「也哉子はこういう生活がしたい?でも自分がそういう生活ができなくなったらどうする?たまたまお母さんは今こういうホテルに泊まれたけれど、いつ泊まれなくなるかわかんないわけね。そういう時は我慢する?」「うん」「そういう時にがっかりしてさぁ、文句ダラダラ言ったりした生活しちゃダメよ」「うん」「そういう時は切り替えるのよ。もうバーっと」「わかってるよぉ」そのやり取りに、思わず笑ってしまった。一つは、十歳の子供にこんな現実的なことを話すのかという笑いと、もう一つは今のわたしにあまりにも必要な言葉だったからだ。

 樹木さんのように、目の前にやってきたことをすんなりと受け入れ、おもしろがって生きていけたら、どんなにいいだろうと思う。お金があってもなくても、立派な家でも隙間風の吹く家でも、きっと樹木さんだったら〝それなり〟に暮らしていくのだろうな、と想像した。「ないものはないんだから」なんて言いながら。覚悟を決めて〝それなり〟に暮らしていきますか。

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