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オープンバッジを導入すると起こること

オープンバッジ。デジタルバッジ。デジタル・クレデンシャル。いくつか呼ばれ方はあるけれど、いずれにせよ導入するとこういうこと(↓)が起こる。いくつかは予想されたことだろうし、いくつかは制度バグのように思える。そのバグへの対応についても書いておきたい。

なお、「オープンバッジ」そのものへの解説は世に多くあるとおもうし、多分この記事を読んでくださる方なら既知のことだろうから、ここでその解説はしない。あくまで導入したら起こることを実運用上の話として掘り下げることにしたい。

初期に起こること

これは良くも悪くもだいたい予想の範囲だろう。列挙するとこんなかんじだ。

  • まず、この仕組みが何なのか、の理解はあまり浸透しにくい。というのは、①既存のなにか(資格とか、スキル定義とか)に似ているから。何が違うのかがわからない。②それほどすごいことだと思われないから。特に「ポータブルなのであなたが転職してもスキル証明になるんですよ」という点は、まだまだ転職市場がそれほどホットではない日本においてはピンとこない人が多い。だから運営側がババーンとプロモーションしても、受け側の視線は結構冷めている。「わーデジタルバッジすごーい、まってました!」という反応ではないと思ったほうがいい。

  • 仕組みが徐々に理解されてくると、次に来るのは「うわ、めんどくさい」という反応だ。これは特に、プロモーション要件にバッジが絡んできたりすると顕著に出る反応だろう。証明しなければならないスキルがたくさんあるというのは、会社が昇進のハードルを上げてきた、と取られてしまうこともあるだろう。いや、実際そうなのかもしれない。本来的には明確であるべきだった昇進要件が、ある意味不明確さを残しておくことで柔軟な運用をされてきた、という経緯があることも多いだろうから、やはり実際に昇進しにくくなるということは起こりうるだろう。もちろんこれは本当なら悪いことではなくて良いことなのだけど、でも抵抗があるには違いない。

  • もちろんポジティブな受け止め方をしてくれる層も現れる。これはどちらかというと新しい世代に多い。なぜなら、新しい世代は「昔ながらの昇進のさせ方」を知らない。なにせ不明確なものだから、理解することも簡単じゃない。それに比べてバッジをベースにした評価基準はわかりやすい。もはやRPGと同じだ。どんな条件をクリアすればレベルがあがるのかがはっきりしている方がそれを目指して努力できる、という考え方だ。これはまさにバッジ導入の狙いの一つだが、この狙いはある程度実現できる。

やっていくうちにだんだん起こってくること

  • やがて、バッジが乱立してくる。様々な主体が様々なニーズでバッジを作り始めると、ユーザーはなんのバッジを取ればいいのかわからなくなる。または、バッジそのものに価値を感じなくなってしまう。そのうち単発のイベントのプロモーションのために「参加したらバッジあげる」なんてやりだすともうバッジは完全にデフレしてしまう。

  • 一方で、バッジがたくさん発行されると、無限にバッジを収集することを趣味とするバッジコレクターが現れる。ある意味これはバッジが目指したことではある。つまり、ゲーミフィケーションの効果だ。スキルを獲得すること自体を楽しんでもらうことは悪いことではない。ただこれはもちろん程度問題だ。バッジが目的になり始めるとおかしくなってくる。業務で全く必要としないバッジの収集に時間を割くようになっていくと、価値を生み出す時間が減ってしまう。場合によっては価値を生み出すことに興味を失ってしまう。これは、ラスボスを倒しに行かずにひたすらレベル上げに執着している状態と同様で、なんのために強くなろうとしていたのかがわからなくなってしまっている状態だ。もちろんゲームならそれでも構わない。しかしビジネスにおいてラスボスを倒すことに繋がらないすべての行為は無意味だ。(なお、コレクターが悪いわけではない。そういう設計なのがいけないのだ)

  • または、もうすこし戦略的な使われ方をするケースが出てくる。つまり、昇進を狙ってバッジの要件を満たすことだけに血道を上げるケースだ。こういうケースが出てくると(間違いなく出てくる。なぜなら個人にとってはこれは合理的な考え方だからだ)、「作文がうまいやつが偉くなる」「仕事よりもバッジコレクションをしているやつが偉くなる」という空気が生まれる。

  • 逆に、自分の昇進のことよりも真摯にお客様に向き合う姿勢を持って価値を生み出し続けているような人がいつまでも昇進できない、ということも起こる。こんな世界観がまことしやかに広まってしまうと、これは大ダメージだ。バッジという仕組み自体が揺らいでしまう。「こんな機会的なやり方じゃなくて、昔みたいにちゃんと人を一人ずつ見ていくやり方が良かった」という説が出てくると、バッジ制度廃止という流れにすらなりうるだろう。

処方箋

バッジという仕組み自体はなかなか良いものだ。発想自体はイノベーティブで、うまく運用できれば世の中のブレークスルーに繋がっていく。スキルがオープンに可視化されていけば、ラーニングの成果だって明確に図れるようになるし、リスキルプランだって簡単になる。転職だって、売り手にも買い手にもわかりやすい世界になる。というかオープンスキルマーケットが出来上がれば、会社という仕組み自体が要らなくなる可能性すら秘めている。

だから問題は、オープンバッジそのものではなくて実装にある。ユーザーの心理に沿った制度設計にしなければうまく行かないのはどんな制度であっても同じであり、当然バッジにおいてもそれを考慮しなければならない。

提案したい処方箋は結構シンプルだ。バッジは、申請するものにしてはならない。あくまで条件を満たした人に自動的に付与するものにするべきだ。これを大原則とする。そして、この付与のための審査クオリティには徹底的にこだわる。おそらく初めはかなり大変だ。SMEによる審査ボードで様々な情報収集をして、喧々諤々やらなければ、納得感が高い審査はできない。しかし、そこにバッジ導入の成否がかかっているとすれば、やる価値はあるだろう。

「初めは」と言ったのには理由がある。初めにしっかりと議論を重ねていけば、それぞれのバッジの審査のポイントが明文化されていくだろう。それができれば、次はAIの出番だ。社員のあらゆる活動(デジタル・フットプリント)を収集し、フォーマットし、そのデータをもとにして初期判断できるようにしていく。ボードはその提案をレビューして最終判断を行う。こんな運用ができるようになれば、バッジの自動付与はスケール可能だ。テクノロジーはあるのだから、それを使わないのは運用設計側の怠慢だ。それをせずにユーザー側に作文させて申請させるなんてことをするのは、その怠慢をユーザーに押し付けている構図と言えるだろう。

これができれば、まさにオープンバッジが目指している世界観はかなり近いものになっていくはずだ。これが一般化されたとき、その時はまさに「Skills as a Currency」が実現したと言えるだろう。この時代はやがて訪れる。

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