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詩人アルチュール・ランボー「感覚」 がしっくりきた

皆様こんばんは、Biz Craftです。
やはり毎回ビジネスや自己啓発の話題だけですと、ちょっと疲れますね。
そういう時には詩や小説を読むのがおススメです。
疲れがとれて気分転換にもなります。
というわけで前回のヘッセ詩集に続き、私が好きな詩人をもう一人ご紹介したいと思います。

1. 早熟の詩人 アルチュール・ランボー

アルチュール・ランボーはフランスの詩人で、1854年フランス北部のシャルルヴィルにて生まれました。
勤勉であり知能が豊かだったせいもあり、12歳頃から早くもその神童ぶりを発揮しました。

そして15歳から本格的に詩を書きはじめましたが、何と突如20歳で詩を捨ててしまいました。

全体的な印象としては反骨心を内に秘める詩人であり、世間への嘲笑と風刺的な内容が目立ちます。
筆を断った後は各地を放浪し、アフリカで交易に従事していたときに病に倒れ、37歳でその生涯を閉じました。
なかなか破天荒な人生です。

ちなみに日本の文芸評論家である小林秀雄は、若い頃にランボーの詩に出会い、しばしば傾倒していたようです。
さて人物紹介はここまでにして、早速前期韻文詩「感覚」をご紹介いたします。

2. Sensation「感覚」

Sensation(感覚)
夏の青い夕暮れには、山の小道に行こう、
麦の穂に刺されながら、小さな草を踏みしめに。
夢見心地で、足もとに草の冷たさを感じよう。
帽子をかぶらぬ頭を、風が浸すに任せよう。
ものを言うまい、何も考えるまい。
それでも無限の愛が魂に湧いてくるだろう。
そうしてジプシーみたいに遠くに、うんと遠くに行こう、
自然を突き抜けて・・・

ランボー詩集 岩波文庫 中地義和 編

3. 独自考察

私はランボー詩集の中でもこの手の描写が特に好きです。
自然描写を詩や小説に織り込む点ではヘッセに近いものがあります。
だから自然とランボーにも魅了されてしまうのでしょう。

もちろん、ランボーとヘッセは全く異なる詩人です。

ランボーの心の中にはいつも世間への猜疑心や反骨心が見え隠れしていました。それはヘッセと比較しても特段激しいように感じます。
実際彼は有名な詩人たちの集うパリのサークルでも、うまく信頼関係を築けなかったようです。

一方ヘッセは不器用なりにうまく世間と迎合し、徐々に世間と折り合いをつけていく術を身に付けていったように感じます。
そのせいか、ヘッセ晩年の手記を読むとまるで尖っていたものが丸くなっていったように感じます。

それでも彼らには共通点があると思っています。
それは自分らしさと自由を追求するあまり、世間とうまく迎合できなかったこと。
良く言えば不器用、悪く言えば非社交的。

それでも私は年甲斐もなく彼らに憧れてしまうのです。
世間の体制などに組み込まれずに自由気ままに大自然の中をさすらう。
そして自分らしくあることを実感する。
そうすることで自らのアイデンティティーを保っていたのかもしれません。

今でこそ多様性などと呼ばれる現代ですが、それでも自分らしさを貫き通すにはハードルが高い
そこで仮面を被り、かろうじて自分自身を表現する。
SNSがその象徴かもしれません。

しかし私が彼らに憧れる背景には、現実に全力で自分らしさを貫き通した生き方にあるのです。

この詩が私にしっくり来たのは、そこにかっこよさを感じたからに違いありません。

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