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長く残るもの

こんばんは。今日は冷たい雨ですね。
先日、ダリル・ホール来日公演チケットの当落が発表されました。
見事当選!!めちゃくちゃ嬉しいです。

丸3日ぐらいが経っているのに今でも嬉しさの余韻が残っています…笑。

母の影響で、ホール・アンド・オーツを良く聴くようになりました。
ちなみに最近のお気に入りは"She's Gone"です。複雑な作りではあるけど、2人の掛け合いが見事!だし、ソウルフルな歌声が歌詞にハマっているな…と、何度聴いても泣きそうになります。

この曲は2人にとっても自信作だったらしいのですが、1972年に初めてシングルカットされた際の全米チャートは最高で60位。1976年に再度出したら全米チャート最高7位を記録するほどのヒットに(Wiki情報)。
遅咲きの曲だったんですよね…。

母曰く、当時は白人がソウルを歌うことに対する批判も少なくなかったようです。そんな中で自分たちが良いと思うものを作り続ける姿が、ただただかっこいいなと思います。
売上や他者からの評価ではなく、良いものを作ることにこだわったことが、今も名曲として語り継がれる楽曲づくりにつながったのではないかと思います。

自分の仕事に関連づけて

私は居場所づくりを支援する仕事をしています。
やはり現場から挙がるのは、持続性や資金調達への不安。

活動を継続させるには、行政委託なり企業・個人からの寄付なり、どこかからお金を調達することが必須です。そのためには、お金を出してもらうための理屈、つまりは活動の成果を分かりやすく説明する必要があります。

しかしその成果ってどうやって示せばいいのだろう?特に、子ども支援や教育分野の場合は測りづらい…という特有の難しさがあります。個人的には、成長を無理に促さないことも居場所の魅力の一つだと思っているけど、理解を得るには分かりやすい成果に頼らざるを得ないし、それによって居場所の良さが矮小化されてしまうのは残念だなと感じます…。

良いことをしていれば、必ず共感してくれる人は現れるし、お金もついて回る(或いは、お金を必要としないボランタリーな活動に変わる場合もある)。前述のホール・アンド・オーツや古典文学、クラシック音楽のように。

と思いたいところですが、良い活動がすぐに資金やボランティア確保につながるとは限りません。理解されるのに時間がかかり、それまで実施している方が無理をせざるを得ない時間も生まれてしまうことも少なくありません。
居場所事業に関していえば、子どもが子どもでいられるのは今しかないし、すぐに必要な支援もたくさんある。そうなると、どうしても目先のお金が必要になってくる。

もちろん、芸術家たちも自分たちの生計を立てなきゃいけないって事情は抱えていただろうけど、ものを作るか?子どもに教育的な介入をしているか?という仕事の性質の違いは、「いつか認められる」と構えていられる度合いにも影響するのではないか…そんなことを考えておりました。

そんな仕方なさはあるけど、居場所を運営している皆さんには、お金を出す側のニーズをくみ取りながら資金調達をしながらも、自分たちが良いと思う取り組み(たとえ他者からの理解や資金調達につながらなくとも)を続けてもらいたい。そのために自分はどんなことができるのだろうか…そんなことを考えさせられました。

好きで居続けるって難しい

良いものを信じ続けよう、というものの実際難しいよなーと思うのも事実です(我ながらさっきから、面倒な文章を書いているなぁ笑)。

自分の音楽の趣味一つとってもそうでした。
平成生まれの私が、1970~80年代に活躍していたアーティストを好きでいるのだから、周りからは「渋いね」とよく言われてきました(言われ過ぎて正直疲れました…笑)。

なので当然、同年代の友達で音楽の趣味が同じ子はいなくて、純粋に寂しかったですね。勧めても中々聴いてもらえないし、逆に友達に合わせてそのとき流行っていた曲を聴いても楽しくなかったし。
当時はそれなりに孤独感を感じていただろうと、今はほとんど覚えていないけど、きっとそうだったのだろうと思います。

友達とは適当に話を合わせつつ、私は家でひたすら渋い音楽を聴く。今振り返ると、それをやってきて良かったと思います。

なぜか?と言われると、ずっと憧れていたアーティストの来日を、こんなにも喜べる今がただただ幸せだから。
それだけ?って思われるかもしれませんが、それって実はすごいことです。
というのも、当時流行っていたアーティストの名前を思い浮かべるも、今も一線で活躍している人ってほんの一部です。もし、当時友達に流されて彼ら・彼女たちのファンになっていたとしたら、今も応援し続けるなんてことはできなかったと思います。

まとまらないまとめ

自分の仕事(子どもの居場所支援)と、自分の中高生時代を振り返って、改めて思うのは、今の中高生にも人から何と言われようと好きなものがあればそれを持ち続けてほしいということです。
時に孤独になるかもしれませんが、それが自分の心の支えや人生に喜びを与えてくれるものになることは間違いないからです。

それにしても、「時間が経ってから理解される」というようなストーリーに惹かれるのだろう…ということも考えていました(自分が同じ立場だったらたぶん耐えられないのに笑)。
明確な理由は分かりませんが、一つに承認欲求みたいなところもあるのかなという気がしています。自分がこの世からいなくなったときも、誰かが自分や自分の残したものを思ってくれている。そんなことにあこがれを持っているのかな?というのが今の時点での仮説です。

自分が惹かれるものの理由って、意外と難しいですね。

よく分からない文章を、本日もお読みいただきありがとうございました!
寒いので、あたたかくして過ごしましょう☕

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