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脳性麻痺のための食事療法の発見

私の子供は生まれて20時間で呼吸が止まりました。

その後蘇生されて新生児集中治療室で「障害が残るかもしれない」と説明を受けた時、頭部MRIの画像には第三脳室の周りにびっしりと白い点が見えて「これが出血の後です」と説明されました。病名は「低酸素性虚血性脳症」です。脳に酸素が行かなかったことで脳細胞のダメージが残ってしまい、正常な発達が見込めないだろうとのことでした。医師は「代謝の病気を抱えている可能性もあるので2年以内に必ず死ぬ」とも、「一生病院から退院させられない」とも言っていましたが、2か月後には退院。「このMRIを見る限りは一生寝たきりで首が座るのがやっとだろう」と言われていた割に8カ月で首が座り、2歳半で立って、5歳で歩き、6歳半で走れるようになりました。

私の子供はいわゆる「脳性麻痺」です。しかも低緊張型で柔らかいタイプ。低緊張型の脳性麻痺の子供の育て方を知る人は周りにはほとんどいませんでした。医師に問うと「脳性麻痺は一生治らない。リハビリしかない。お母さん!夢はみないでくれ。脳性麻痺を治せる医者など世界中どこを探しても一人もいない!お母さんが自分で勉強して自分で治せ!脳性麻痺は治らない病気なんだ!」と血走った目で怒鳴られました。

賢いお医者さんたちは大学で偉い先生たちから「脳性麻痺は一生治らないよ」と教わったら「そうか」と納得してそれ以上勉強しようと思わなかったそうですが、私は頭の悪い母親です。

私は主治医のこの言葉通り、「ならば自分で勉強しよう」と思うほどに見事に無知な人間だったので脳について独学で勉強し始めました。

でも一人だけ違うことを言うお医者さんもいました。

私は妊娠中にひどい頭痛があったので産後脳の検査をされました。脳には異常はありませんでしたが脳神経外科の女医は私にこう言いました。

女医:母乳をね…4年間くらいあげてみて。

わたし:4年ですか?

女医:そう、これほかの先生に言わないでね?特に小児科の先生なんて。笑われちゃうから

わたし:はい

女医:この赤ちゃんまだまだ大丈夫よ。今赤ちゃんの脳にダメージがあったってね、赤ちゃんの脳ってこれから大きく成長していくのよ。だから今、この程度のダメージがあったってたいしたことじゃないのよ。小児科の先生たちはそうは言わないかもしれないけど、私この子は大丈夫だと思うわ。あなたが長期授乳をちゃんと続けて、赤ちゃんの脳に栄養をきちんと与えられたらね?

わたし:・・・。

女医:私専門が脳だから、小児科の先生と違うこと言うかもしれないけど、本当よ?でも栄養のあるお乳を出すためにはあなたしっかり食べなくちゃいけないし、ビタミンもたくさんとってね。

わたし:・・・。

女医:できる?長期授乳。ほかの人がなんて言ったってね。お母さんが大丈夫って思ってたら子供は大丈夫なものなのよ。4年なんて長いって思うかもしれないけどあっという間よ。あっという間に元気になるわ。

その先生はそう言ってニヤリと笑うのですが、私は言葉を失いました。小児科では「お前の人生はこれで終わった!これから一生障害児の世話をして過ごせ!お前にはそれ以外の未来はない!」と言わんばかりの暴言を吐かれまくっていたので、未来が明るいなどという言葉をかけてくれるような人はほかにいなかったのです。

子供が脳性麻痺だと知ると、「かわいそうな母親」扱いをされます。治ると信じようとするとそれを否定される毎日だったので、この先生の「たいしたことじゃない」という言葉は意外でした。私を励ますための嘘なのかもしれないとも思いました。でもその時の私には母乳をあげる以外ほかに何も子供のためにしてやれることがありませんでした。それから4年の長期授乳を始めたのですが、それが良かったのか悪かったのかはいまだによくわかりません。

臍帯血由来の幹細胞移植で脳性麻痺を治す技術は始まったばかりで私の子供に使うことはできませんでした。でも幹細胞は母乳にも含まれます。まだまだリスクのある移植で与える幹細胞の数よりも、長期授乳による母乳由来の幹細胞のほうが良いのではないか?と、脳外の先生は考えていたからこそ長期授乳をすすめてこられたのかもしれません。


どちらにしても1歳を過ぎたあたりまでは母乳でぐんぐんと大きくなりました。ただし離乳食が始まったころから子供は苦しむようになったのです。

1歳半の検診の時に新生児科の担当医に「何を食べさせたらいいかわからない」と言うと「離乳食の本が本屋にたくさん売ってるからそれを参考にしてみて」と言われ「その通りにやると子供が苦しむ」と言うと医師はキョトンとしていました。「苦しむ」の意味が分からないようでした。摂食指導の歯科医を紹介されたのですが、そういうことではなかったのです。食べさせる技術がないから食べられないのではなく、食べ物を口にすると体調不良になったのです。

ですがいきなり死ぬわけではない程度に苦しむので、病院に連れて行っても「おかあさん、もっと悪くなってから来てください。死にかけたら連れてきて」と冷たく言われるくらいで誰も真剣に取り合ってはくれませんでした。呼吸停止して救急車で運ばれたとしても「まだ死ぬまでいっていない、死んだら連れてきてよ」と言われる始末。なんの冗談かと思いますよね?でもこれが脳性麻痺の現実です。

普通の人が聞いたら「そんなひどい病院があるの?」と思うと思いますが、「連れてこられてもわからない。対処法なんて大学で習っていない」と平気で言われます。治らないから治し方も勉強していない、だから連れてこられても困ると平気で言うのです。癌もエイズもエボラも最初は治らない病気だったはずです。それでも何とか治そうとした人がいたから長い年月をかけて治せる病気になっていったはずです。それでも脳性麻痺に関してはまるで医療の世界の聖域のように「手出しをしなくてもよい場所」として存在していると感じました。

これはほんとうに自力で勉強しない限りは誰も手助けはしてくれないし、医師は脳性麻痺患者の役に立つ気が全くないのだと実感したのです。



そこで私は食品成分表を見ながら、「この食品は食べられる、この食品は食べさせたことがない、これは苦しんだやつ、これは吐いて食べられなかった…」という風に分類していきました。すると面白いくらいにページごとに食べられるものと食べられないものが分かれていました。それは「植物の科目ごとにキッチリと別れている」という発見でした。

穀物や炭水化物はすべてダメでした。甘い味のするものもダメです。野菜や果物も皆食べられませんでした。特にウリ科、セリ科、キク科の植物は苦しみ方のレベルが高いのです。

離乳食でよく使われる「トマト」「にんじん」「じゃがいも」「かぼちゃ」といった野菜は特に嘔吐が激しくひどい下痢をしました。ねばついた便が出て普通の下痢とは違います。子供の顔は赤くパンパンに腫れあがり、ぐったりとして水も飲めない状況でした。人工甘味料を食べたときは特にひどく苦しみました。

「苦しむ」と一口で言ってもそれは次のような症状に分けられます。

嘔吐、下痢、脱力、低緊張、頭痛、発疹、発熱、異常発汗、倦怠感、低血糖、奇声、物忘れ、動悸息切れ、不眠、情緒不安定、けいれん、昏睡、呼吸困難、呼吸停止、チアノーゼ

まあまあレベルの高い苦しみ方をしますが病院にいってもブドウ糖の点滴を打ってくれる程度で何も解決しません。「てんかんがあるのかも」と疑われ検査をするのですが「治療の必要はない」と言われます。原因不明の体調不良が食事をとるたびに起きるのです。

食べ物を食べるたびに苦しむので子供は母乳しか飲まなくなりました。授乳量が増えるたびに私の体力を奪うので私は必至で食べ物を食べるしかありませんでした。私の体重は増え太っているのに憔悴しきっていました。産前とはまるで別人のような姿になり、心身ともに消耗しました。母乳しか飲んでいない子供は頭ばかりが大きく手足はやせ細っていました。おなかはポコンと出ていてまるで栄養失調のアフリカの子供のような姿でした。

「このままではいけない。離乳させなければ私が死ぬし子供も育たない」と覚悟を決め、食べられる食品を探し始めました。もしも早い段階で離乳してしまっていたら、栄養を取る手段がなくて私の子供はこの頃に死んでしまっていたと思います。「2歳まで生きられない」と医師が最初に言っていた意味をはじめて理解しました。


食べられる食材が少ない理由は、離乳食で食べさせようとしていた食品の多くに「糖鎖」を含んでいるからだと気が付いたのはそれからしばらくしてからのことでした。

ある漢方薬局を訪れたときに気になることを言われたのです。

「私の孫は発達障害だし、アトピーがひどいのよね。特に4枚の花弁の植物がダメなの。うちもよくアレルギーのお子さんを連れてこられる患者さんがいるんだけど、そういう人も皆花弁4枚の植物がダメな人がいてね。興味深いことだと思うわ。あなたのお子さんもそうじゃないの?」

この時私はこの言葉を不思議な気持ちで聞いていました。なぜなら私の姑は「離乳食は花びら5枚の赤い木の実から始めるといいわよ」と言っていたんです。

あれ?4枚?5枚??あれ?あれれれれ?

家に帰ってから調べてみると、私の子供が食べられない植物は花びらが4枚でも5枚でもなく、根元がくっついている合弁花でした。全部ではないですが双子葉合弁花類が多かったのです。そこで「双子葉合弁花類に共通して含まれる成分が何か知りたい」と思いましたが、当時は日本語で検索してもインターネット上にはめぼしい情報はありませんでした。生物学の専門家にメールをして質問してみたのですが返事は誰からもありませんでした。

そこで関連するキーワードを英語に翻訳して検索すると「Lectin」という単語にヒットしました。それから私は「糖鎖」を理解するために独学で勉強を始め、それがいわゆる「生化学」というものだと知りました。海外の論文のサイトは無料で見放題だったのでそこで関連するキーワードを見つけるたびにどんどん読み進めました。「レクチン」には種類があり、とてつもなく複雑怪奇に見えましたが、わからない部分はわからないままとにかく情報を頭の中に詰め込みました。だんだんと全体像が見え始めたころ、子供と同じ遺伝子を持つ自分の体を実験台にして「食べられるかどうか」を確認しながら子供が食べられる食品を探しました。

ただ単にレクチンを除去すればよいというわけではなく、体の中の酵素やホルモンに影響があるのでそれらに関連した食材も一緒に除去しなければならないということや、調理方法や組み合わせによっては食べられないと思っていた食材が食べられるようになるということも発見しました。


脳性麻痺の子供に特定のレクチンを除去した食事を与えると障害が改善してすくすくと育ち始めるということを身をもって体験したことは、私にとって過酷で耐え難い苦しみの日々でしたがやりがいのある戦いでもありました。

この食事療法は私が脳性麻痺の子供のために開発したものですが、脳性麻痺に限ったことではなく、実際は「糖鎖にかかわるほかの病気の人」にも使える食事療法のはずです。

糖鎖はゴルジ体で生産されています。癌、認知症、それ以外にも難病といわれるような病気はゴルジ体病の一種です。「治せないと思っていた病気」は意外にも食べられない食品があっただけでそれを食べなければ発症しなかったかもしれないのかもしれないし、すでに発症した病気も薬の治療だけでは治らず、食べ物の選び方次第では薬以上の効果が出るということもあるのかもしれないです。

実際にこの食事療法を癌患者さんたちに説明をすると「長年迷ってきたことに決着がついた!」「スッキリした!腑に落ちた!」と多くの方に言われます。「健康に良い」と言われて食べていたものが人によっては体質に合わず悪いものもあります。病気になって食べ方を変えたことのある人はこれを身をもって体験しているので自分にとって必要な食べ物が何かわからず迷っている人には一つの助けになるのではないでしょうか。


私はあくまでも医者ではなくただのお母さんです。私がどれほど考えて考えて考え抜いた末に見つけた真理であってもこれは医療ではなく民間療法といわれてしまうようなものです。いつか科学が追い付いて、何もかもが解明されたとき「脳性麻痺の子供を研究していたら世の中のほとんどの大変な病気を全部一気に治す方法が見つかったのに人類は遠回りしてきたなぁ」と思ってもらえるようなものなのではないかと考えています。

今私が見つけたことがその一部分だけだったとしても、何かの形として残したいと思いこれを書き始めました。子供を助けたい一心で取り組んできたことでしたが、それが何かの形で巡り巡ってほかの人の助けになるなら幸いです。


ゴルジ体病を克服するための食事療法。

それは母親にしかできない治療です。
生化学と糖鎖の魅惑の世界を、キッチンから。


それをこれからお見せします。





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