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GA194『大天使ミカエル』補遺より-第六講の結びの言葉(1919年11月30日)

 親愛なる皆さん、この点(どんな小さな衝動でも真剣かつ大きく受け止めること)において、私たちは日常の出来事をも例示しなければなりません。日常の出来事を例示することなしには、何事につけても徹底することができません。日常の出来事に光を当てないと、物事を軽く捉えてしまうでしょう。過去数週間のうちに、次のように言われた覚書がどれほどの頻度で現われたかを、一度でも考えてみてください。「人智学的指向の新しい世界観にあるものを真剣に理解したい人に必要なのは、日常生活の中でも真実の表現に真剣に取り組むことである」と。誰でも好きなだけ沈黙していたり、自分の胸の内にとどめておいたりすることができます。しかし、その人が自分で何かをいう時、彼は自分の言葉の中にあることが実際に起きていることに合致しているように努めなければなりません。私が申し上げたいのは、私自身の言葉がまだ耳に残っているということです。というのも、この外的にであっても真実への努力が重要であることを強調してから、まだ2週間も経っていないからです。そして、この2週間弱の間、いったいどれほど多くのこの種のことが、またもや私たち自身の運動の内部で私の前に現れたことでしょうか。あまりにもグロテスクなので、一つだけ例示します。

 先週の木曜日のことです。急な告知で、私はバーゼルで教職関係者向けに講演をしなければなりませんでした。「シュタイナー氏はバーゼルの教職関係者向けに講演をしなければならなかった」と人々が話していたなら、それは完全に合致している事実でした。[ところが]同じくここにいる別の人は、その木曜日に、「シュタイナー氏は次の土曜日——つまり昨日の土曜日——に、バーゼルでその講演をもう一度する」という噂があるのを聞いたなどというのです。私が同じ講演をもう一度する、などということになっていたのです。これは私の知る所となりましたが、そのような告知の根拠となるものは全くなく、何の痕跡もありませんでした。その日には教会会議がありましたし、十分な出席者が見込めませんでしたから、それはやめたほうがよいという結論を出していたのです。明らかに誰もそのようなことを手配するつもりはありませんでしたから、そのような噂が立つ原因など全くなかったのです。このようなことをお話しするのは、個々の事例を挙げるためではありません。そうではなく、私たちのサークル内でも連日あちこちで言われていること、つまり、全く何もないところで何かが起きているということの一例を示すためです。その噂を調べてみれば、大概そこには何もない、全く何もないのに、そのような噂が播かれているのです。人々がそのような噂を播くからには、それにかかずらわざるをえません。そうです、親愛なる皆さん、「真実を完全に真剣に受け止めてください」と私が申し上げているのは、単にこんにちの生命なき空気のためだけではありません。こんにち、誰もが人智学的努力に相応しい魂の在りようを得るためには、外的な物事でも、特に日常生活の最も外的な物事に関しても、自分の語ることがそれに合致するよう努力することで絶対的な正確さを保つことが、是非とも必要なのだ、という事実が実際にあります。だからこそ私は「真実を完全に真剣に受け止めてください」と皆さんに申し上げているのです。それらの外的な物事は、たとえ本当に小さな物事のように見えたとしても、非常に真剣に受け止められてしかるべき物事なのです。

【参考原典】
GA194:Die Sendung Michaels. Die Offenbarung der eigentlichen Geheimnisse des Menschenwesens p.240-241


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