火葬
母の火葬が決まった。
東京の東の果て、一度も降りたことのない駅を降りて、火葬場へと向かった。
このときはじめて、母の死亡診断書を手渡された。
祭場の人の案内で棺の前へと行き、焼香をする。そういえば、焼香の作法など、頭に入れていなかった。抹香を摘まみ、目の高さぐらいに上げてから香炉へと落とす。これでいいのだろうか?
後ろの通路へと移動し、最後のお別れをする。病院の安置室で見たときより、少し皮膚が黒ずんでいるように感じた。やはり、何も感じない。
棺が運ばれていく。通路の奥。天井の高い、白い壁の右側に、20基並ぶ火葬炉の扉。一瞬、その光景にギョッとした。死に対する厳粛な礼の心を、係の人たちも持って対応してくれてはいるが、この「並ぶ炉」を見たとき思ったことは『処理場』という単語だった。
それもそうだ。この人口過密都市で、日々、どれだけの人間が死んでいるのか。たくさんの炉をフル回転させなくては追いつかないのだろう。親族にとって一大事であり、弔うべき故人であるのと同時に、死体とは物体であり、処理すべき対象なのだというのを、その光景から理解する。
焼くのには1時間ほどかかるという。ロビーに戻り、兄と会話しながら、私はあることを考えていた。
私は魂というものの存在を信じていない。
生きていた人がある日突然動かなくなり、単なる物体となってしまう現実を、人は受け入れがたいのだと思う。だから「生命活動」や「精神」や「人格」に『魂』という概念上の存在を与えて、肉体から『魂』が抜けたのだ、『魂』は永続している、と考えるようになったのだろう――と私は解釈はしている。
生きて残される側の者が、理解不能な「死」を解釈し、一旦の答えを得るための概念に過ぎないと思っている。だから、魂はないし、幽霊もいないし、死後の世界もない。
オカルト的な物語を散々書いてきて、今後も書き続ける私がこんなことを言うのは、どうかとも思うが、もし間違っているなら、死後、地獄で責め苦を受けていいので、反論は求めない。今の私はそう思っているというだけの話だ。
ただし――。
母はもう生きていないが、その痕跡は情報として残されている。その情報の総体を「母」と見なすことはできると思っている。
こんな風に考えるのも、私が物書きだからだろうか? 「母だった物体」より、今は新しく更新されることはない「母の生きた痕跡」の方に興味があった。そちらこそ、私にとっては「母」そのものだ。
物理的身体を失った母の情報は、この世界から物凄い勢いで消えていっているはずだ。そして、36年の断絶は血縁者であっても、その情報を知ることを拒むはず。私は「母」を知ることができるのだろうか?
母は骨となり、壺に納められた。
骨壺の箱を兄の車まで運び、ここで別れることにする。結局、父方の実家の墓に納骨することになったらしい。
兄からはひとつ、お願い事をされた。
母が亡くなった場所、死亡診断書が書いた病院で、可能な限り母のことを聞いてきて欲しいという話だった。兄は都内住みではないので、頻繁には上京できない。「わかった」と言って、諸々の情報の伝達を受けた。
帰りの電車に揺られながら、友人の作家、海猫沢めろん氏の書いた新刊『キッズファイヤー・ドットコム』を読む。そこには生まれたばかりの命と、それにまつわる人々の物語が書かれていた。
この世に生きる誰もが「母の子」なのである。
そのことを、目の当たりにした母の死体より、物語によって自覚させられる。
生老病死、魂と肉体、概念と物体、虚と実、すべてが頭の中でない交ぜになり、答えが出ないまま、私は家路についた。
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