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ここちよいカーテンを引けるようになった


部屋にカーテンを引いた。

それまで重いブラインドはあったけれど、まったく光を遮ってしまうので、なんとなく窮屈で好きじゃなかった。

MUJIのオーガニックコットンのレースカーテンを買ってみたら、窓にピッタリで、朝からずっとカーテンを引いたままにしている。

向こうの街明かりも透けて見える。

レースのカーテンに、ふんわりと安心感ごとつつまれているようで、じぶんの部屋が“お城”に変わったような神聖さをまとっている感じがする。

わたしは、いつでもどこでもじぶんを見せたいわけじゃなかったし、ちゃんと見てほしいところはわけたかったんだなと思った。

ちゃんと守られたいときに守られることの安心感を、味わわせてもらった。

カーテンを引くことは、バウンダリーを引くことだと思った。

じぶんにとって心地のよいバウンダリーというものは、ちゃんとあることを教えてもらった。

だから、人生においてもじぶんの心地よいバウンダリーを見つけていきたいと思った。


それと同じくちょうど今、SNSとのつきあい方を見直している。

具体的には、LINE、Gmail、Instagram、note、メルカリをホーム画面から消している(すぐに開けないようにしている)。

基本的に平日はNo SNStimeだ。

開くときはDMを確認するためなど意図を持っている。

あらかじめ連絡先をひとつにまとめて、SNSを使ってメッセージのやりとりをしているひとに伝えておくといいらしい。

先週からスクリーンタイムが36%減って、一日平均2時間になった。

その時間も、ただ流れるように時間を消費するのではなく、意図をもって活動したり創作したりする時間になった。

普段からSNSとじぶんとの“距離感”を知っていると、それが動いたときにじぶんのこころの状態に氣づきやすくなる。

それはときに元氣がほしかったり、また近づきすぎたときにはまたじぶんの“ここちよい距離”に戻ることもできる。


きのうは、母の日だった。

わたしは、母と春の大茶会にでかけて、わたしが好きなフク屋さんに母も連れて行って、入りたくていつも入れなかったカフェに行って、MUJIで買い物をした。

でもわたしが母にごちそうしたわけでも、なにか贈りものをしたわけでもなく、ただいつも通りにすごした日だった。

“お金”ができたら、やってあげたいことはいっぱいある。

でも今はとりあえずいいか。

“お金”や“もの”で、安易にじぶんの想いの大きさを表現しようとする、できると思っているわたしがいる。

それは、わたしが育った環境から来ているのかもしれない。

わたしが子どものころに受けとる“愛”の大きさは、“かけたお金”や“すること”で表現されることが多かった。

たとえ“幸せ”とは感じていなかろうが、“愛されている”という実感がなかろうが、“してもらったこと”のほうに重きが置かれ、それを“愛”ではないと拒絶する権利などわたしにはなかった。

それが“愛”なのだから、と大人から一方的に押し付けられたものを、受けとるしかなかった。

どんなにわたしが、そんなものは望んでいなくても。

でもほんとうは、“なにをするか”より、“どうあるか”のほうだよな、大事なのはと思った母の日。

もちろん、もうちょっとお金にゆとりがあったら、お母さんにこんなことしてあげたいなって思うことに、わたし自神ときめいてもいるし、ちゃんと実現させたいとも思う。

でも、“母の日”に、ちゃんと“らしいこと”ができなかったじぶんに罪悪感や劣等感みたいなものを感じもした。

ま、でも“being”でいったら、母の日や誕生日になると、“特別な日症候群”かのように、いつも謎に緊張して力んでしまって果てはケンカなんかしちゃってた今までのあり方からしたら、だいぶ成長したんじゃないかと思う。

今年の母の日は、これはこれでよかったんだと思う。


先週、パン班をひとりで任された日があって、わたしは朝から決められているスケジュールを追うのに必死になってしまって、「焦らないで~」とみんなに笑われた。

じぶんが辛いときって、じぶんのなかで聞こえてくる声にじぶんが殺されそうになっているなって思った。

“オレのときはもっとできた”とか“正職なのにこんなこともできないの”とか、そんなふうに思われてるんじゃないかっていう、恐れの声がどんどん膨らんだ。

任された仕事に押し潰されそうになりながら、初めてこの仕事が嫌いって思って泣いた。

じぶんでもこんなに泣くと思わなかったほど、泣けて驚いた。

でも、じぶんのもつ、世界を見る目が窮屈すぎて泣けてくるのだと、こころのなかでは冷静にわかっているわたしもいた。

もうそんなふうにじぶんのことを見たくない。

こんなわたしとは、生きていけないよ。

泣きじゃくりながら、魂がそう叫んでいた。


次の日の朝まで、ため息を引きずっていた。

でも、“ため息って、溜まっていた息を流すため”なんだと思った。

今まで溜めてしまって、滞っていたものを、流して、ふたたびもとの流れに戻すために。

わたしのなかから湧いてくる不安の声が聞こえても、“So, what?(だからなんなの?)”と“だいじょうぶ”を代わりにかけてあげた。

“Self love way is only but not lonely.(セルフラブへの道のりは、じぶんだけのものだけれど、決してひとりではない)”とも思った。

そうしたら、力むことなく自然と霧が晴れていた。

この見晴らしのいいポイントに一氣に立てたのは、アガスティアの葉に書いてあったじぶんの注意点がまんま起きていると氣づけたことも大きいと感じる。


園生たちの励ましもあった。

あるひとは朝「れいさん、今日ひとりだけどがんばってね」と声をかけてくれ、いつもは早く帰るのにわたしに「今日はだいじょうぶだった?」と言うために待っていてくれた。

あるひとはわたしが焼いた茶色くなってしまったメロンパンのことを、まわりのひとに「あんまり言わないであげて」と言ってくれた。

そしてその茶色メロンパンが売れたときは「おめでとう」と拍手をしてくれた。

いつもはしない洗い方をじぶんから率先してやってくれるひともいた。

だからわたしは、ひとりで居残りして泣きながら「がんばるね」って、呟いた。

今日も、便失禁をしてしまった生活班の園生のことを、だれもコソコソ話したり、ジロジロ見たりすることなく、みんななにごともなかったかのように受けとめていた。

魂の深さというか、視点の高さというか、こころの広さを思う。

どれだけの想いを経験してきたら、ひとにこんなに寛容になれるのだろう、ひとをこういうふうに受容できるのだろう。

それぞれ、置かれている環境は違えど、お互いが越えてきたものに想いを馳せられるから、その越えてきたものへの無言の敬意というものが、彼らをここまで深く広いこころにしているのだろう。

そして、自然に共感し寄り添うことができるのだろう。

わたしは心底、彼らが好きだ。




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