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あなたにはありがとうの花束を、わたしにはごめんねのハグを


ひとつのおわり

一度はどんな姿で花開くのか、こころに想い描いていた花の蕾が、そのまましおれかけようとしている。

ひとつの物語が、ひとつの幕を下ろそうとしている。

ただただ、そのひとのやさしさを感じ、
ああ、わたしは、なんというやさしさばかりに囲まれていたんだろうと知る。


泥のなかで咲く蓮


"泥のなかに咲く"蓮に、憧れていた。

強くて、健気で、美しい。

そんな凛としたひとでありたいと願った。

蓮は泥のなかで花を咲かせるけれど、あえて泥を選んだわけではない。

きっと、蓮にとっては泥が最適だったのだ。

あえて苦境を耐えて、とっくに限界だと感じているところにいつづけるのは、もうやめる。

泥のなかで咲いてこそ蓮だという、修行思想から抜け出て、わたしの花を咲かせられる"泥"を見つけに行こう。

彼には彼の生きる世界があり、そのなかでせいいっぱいにわたしを想ってくれていた。

わたしは、わたしの花を咲かせることだけに、エネルギーを向けてきた。

そしてわたしは、彼のいる世界で、花を咲かせようとした。

けれど、そこはわたしにとって最適な"泥"ではなかったみたいだ。

ただ、それだけなんだ。

でも、あなたがわたしという芽が眠る土に、ひたすらあたたかいお水と光を注いでくれていたこと、土のぬくもりに触れて思う。


ありがとうの花束を、あなたに



わたしがあなたに言えるのも、言いたいのも、ただ"ありがとう"。

彼に、"ごめんね"はカケラもない。

彼は、わたしが受けとれないようなものは、なにひとつ差し出さなかった。

彼の行動のひとつひとつに宿る愛を、そのときのわたしは気づかずとも、少しずつ見つけていった。

それは、今こうして、わたしのこころをあたため、芽が出るための養分をくれたのだと思う。

彼だけではなく、今、わたしのまわりにあるものすべてのやさしさに、わたしは包まれている。

わたしは彼に、両手いっぱいのありがとうの花束を送る。


ごめんねのハグを、わたしに



わたしが「ごめんね」を言いたいほんとうの相手は、わたしだった。

ずっと許せていないのは、じぶんのことだった。

"ここじゃない"って、素直に感じていたことを、聞かないふりをした。

恩に報いるふりをして、恩にしがみついて、受けとった愛を重く重くして、じぶんの足かせにしていた。

わたしの、こころからの望みを生きることが、わたしを愛するだれもの願いなのに、わたしは彼らを言い訳にした。
じぶんの人生を生きられないことの。
わたしが幸せでないことの。

ほんとうはじぶんに本音を聞くこころの準備ができていなかっただけなのに。
じぶんの弱さに目をつむり、逃げた。
勇気と覚悟と実行力がなかった。
彼らを信じず、じぶんを信じなかった。
彼らを裏切り、じぶんを裏切った。

わたしは、じぶんで、じぶんの花を咲かせる泥を、見つけ、育てていかなくてはいけなかった。

コツコツとじぶんの花を咲かせることだけに集中していたじぶんのことを、わかっていなかった。

だから中途半端にひとと付き合うしかなかった。

それよりもわたしが今、必要としているものがある。

じぶんの"不足"しているところしか見なかった。
じぶんは"欠けている"としか見なかった。

からだへの想いやりもなく、からだからのサインに耳を傾けなかった。

何度だってごめんねを言いたいのは、ほんとうはわたしだったんだ。

ほかのだれでもない。

「ごめんね」を言ったら、わたしは前を向いて、じぶんの人生を生きなくてはいけなくなる。

だから、大切なひとたちを言い訳にして、同じことを繰り返し、"このまま"でいることを選びつづけた。

わたしがわたしを、まっすぐに、曇りなく愛するようになるとき、わたしはひとのことも、じぶんと同じように愛するようになる。

そして、ひとからも、そんなふうに愛されていたことに気づく。

そうしたらもう、わたしは、じぶんやひとを大切にしない生き方へ後戻りはできなくなる。



あなたへの
ありがとうの花束を胸に抱き、

そしてわたしには、
ごめんねのハグを何度だってしてあげて

わたしは前へ、
新しい世界へ。

わたしがわたしを
まっすぐ曇りなく愛するように、
ひとを愛します。
ひとからもそんなふうに愛されます。
わたしたちの愛は、
つながり、広がり、
大きく育ってゆきます。

泥のなかでこそ、蓮は花を咲かせられる

そんな世界を見に行きたい。

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