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【小説】幽霊探しのそのさきは 中

幽霊を探そうと、彼女の方から提案してきたものの、計画は立てていなかったようで、僕たちは当てもなくぶらぶらと町を歩くことになった。
けれど、行き当たりばったりの幽霊探しなど、暗闇の中で一匹の蟻を見つけるようなものだった。
だからか、予想はしていたが、予想通りに幽霊は見つからなかった。昼間という明かりに満ちた時間帯であったために、元気に労働する蟻たちは見かけた。蟻は暑さを物ともとていなかったが、僕は物ともした。結局、僕のなけなしの体力が、底をつきかけるくらいに消耗しただけだった。
だが何の成果もなく、彼女が満足するはずもなかった。
それからというものの、幽霊探しの日々が始まってしまった。
僕はただ、彼女が満足するまで付き合う他なかった。

幽霊探しには、これといった決まりはなく、探す時間も場所もばらばらだった。
彼女の気の向くままに行なわれた。
時には、初めて幽霊探しをした日のように昼から始まったり。時には、朝からだったり。時には、夜だったりもした。
朝の時など、僕がまだ起きたばかりで朝食もまだだというのに、突然押しかけ引っ張りだされるということもあった。

「今日も幽霊を探しにいくよ」

七時少し過ぎという時間にも拘わらず、彼女は完璧なコンディションで揚々と言ってきた。
だから僕は慌てて着替え、母親が握ってくれたおにぎりを一つだけ掴み、未完成という形で外に出ることになった。
外は朝とはいえ心地良いとは到底言えず、日本特有の湿度のあるじっとりとした暑さが僕にまとわりつく。
まだ光の殺人鬼たちはなりを潜めているようだが、数時間もすれば一斉に飛び出してきそうな、危なげな気配が漂っていた。
僕は既に暑さに白旗を上げつつも、梅おかかが入ったおにぎりをもそもそと食べ、今日は北側に行ってみようという彼女の話を聞きながら歩く。

「何だかあっちの辺りに、強力な幽霊がいる気がするんだよね」

彼女は木々の方を指差し、自信満々に宣言する。彼女は毎度そう言っていた。だが、彼女の予感が当たったためしは、今のところ一度もない。だから今日もそうなるだろうなと僕は内心で思っていた。
そしていつも、僕の予想の方が当たる。結局その日も、幽霊を見つけることは出来なかった。

その日は、川の辺りを探してみたが、時には、森の中を探してみたり。時には、町の中をただ歩いて探してみたり。時には、学校や図書館、映画館やショッピングモールなどの建物の中も探してみたりもした。だが結局、幽霊を見つけることは出来なかった。
映画館やショッピングモールなどは、見つけるどころか映画や本屋を見るなど、純粋に楽しむだけで、ほとんど捜索は行わずに終わる始末で、見つからないのも当然だった。
もしかしたら、彼女は真剣に探すつもりはないのかもしれない。
今も、公園にある隙間という隙間を捜索している。流石の幽霊も、もう少し広々したところに腰を落ち着けたいのではないかと僕は思うのだが、彼女の考えは違うらしい。幽霊とて入り込めないだろう隙間を重点的に探し、今は石の下を覗き込んでいる。

「虫でも探してるの?」
「違うよ。幽霊だよ」

あまりにも隙間ばかりを探すものだから、いつの間にか幽霊探しから虫探しに変更していたのかと思ったが、やはり彼女のお目当ては幽霊らしい。

「幽霊はそんな隙間にはいないんじゃないの?」
「でも幽霊なら、どんな隙間でも入れると思うんだよね」
「そうなの?」
「さぁ、知らない」

彼女があまりにも自信満々に言うものだから、初めて知る幽霊の真実を期待したが、違うようだ。
彼女は石から早々に興味をなくすと、日陰になって多少は心地の良いベンチの上で休んでいた僕の隣に座る。
やはりあまり、真剣ではないのかもしれない。

「廃墟とかさ、人が寄り付かない神社とかがあれば良いのにね」

足を浮かせて、ぷらぷらと揺らしながら言う。彼女が挙げたのは、どれも幽霊がいそうな定番の場所だ。けれど、この町には生憎とそういう場所は存在していない。
使われていない建物も神社も勿論あるが、さして古さを感じるものはなく、未だに生きているような、幽霊が落ち着きそうな陰鬱さを醸し出すものはなかった。
それでも、彼女に落ち込んだ様子はなく、事実を述べているだけに見える。

「そうだね」

だから僕は、敢えて遠くに赴いて廃墟や寂れた神社に行こうかと提案することなく、同意だけで留める。
左を見ると、彼女は空を見上げていた。青々と輝く空。長い黒髪が、風でゆらゆらと揺れる。セーラー服から覗く白い肌は、光を受け入れるように輝いていて、相変わらず綺麗だなと僕は思う。
少し離れたところでは、多くの子どもたちが駆け回り、常にざわめきで満ちている。近くでも蝉が全身全霊で叫び合い、耳の中を常に震わしてくる。けれど彼女の周りだけが、時間が止まったように静寂に満ちていた。ただ空を見る目だけが、歓喜の熱を持ち、輝いている。
熱に焦がれるように見ていると、不意に彼女が僕の方を見た。

「いないね。今日も、見つからなかったね」

幽霊探しに決まりはない。場所も時間もばらばらで、けれど唯一決まっていることがあった。
彼女がこの言葉を言えば、それはその日の捜索はもう終わりということだ。
熱を持った瞳を浴び、微笑む彼女に頷きを返して、僕は立ち上がった。


幽霊探しを始めてから、既に十日が経っていた。未だに手がかりも、幽霊の影も形も見つけられてはいない。

「幽霊ちゃん、幽霊くん、幽霊さーん、いませんかー」

それでも彼女に諦めなる様子はない。
今日も猛烈な光が僕を刺し、体力をじわじわ奪っていく。
前を歩く彼女の背中を見つめながら、僕はふと思う。
もしかして、彼女は僕を殺そうとしているのではないだろうか。
僕を、幽霊にと目論んでいるのではないだろうか。
彼女が、完全犯罪を実行しようとしている、と。

「こんなところで、何やってんの」

ミステリー小説の読みすぎと、あらゆる生命を狂わすような暑さで頭をやられ、しょうもないことを考えていると、不意に話しかけられ肩が跳ねる。後ろめたい気持ちで後ろを向くと、そこには男が立っていた。
異様に黒い男だった。夏を満喫していますと、うるさいほど主張した男が、どうやら僕に声をかけたようだ。
最初、親しげに声をかけてきたが、誰だったろうかと戸惑いを覚えた。こんな夏男ような人物が、僕の知り合いにいただろうかと、必死に記憶を探る。けれど、僕より頭一つ分高い顔に視線を向ければ、薄い色をした瞳と目が合い、彼が友人であることに気づく。

「誰かと思った。随分様変わりしたね」
「まあな」

正直に言えば、彼はシニカルに笑った。
僕が知る彼は、白い肌に目にかかるくらいの髪型をしていた。だが目の前の彼は、肌は長時間光に挑んだ勇者のように黒く、変わらない金色の髪は坊主に近いくらい短く切られている。
夏休みももう後半になってきたが、一ヶ月余りでここまで様変わりするものかと、寧ろ関心してしまうほどの変貌を遂げていた。

「で、何してんの?」
「えぇと……散歩」

咄嗟に嘘をつく。
幽霊探しだよ。と正直に言って、こいつは何を言っているんだと思われたくないからではない。彼はきっと、そんなことは思わない。寧ろ彼なら、嬉々として参加を申し込んでくるだろう。だからこそ、僕は嘘をつく。

「ふーん、こんな暑いのに、よくやんな」

案の定、彼は興味を失ったようだった。目を細め、期待が外れたように肩を落とす。

「そっちこそ、何してたの?」
「ランニング」
「……」

僕は数秒前の彼の発言を疑った。よく言えたものだ。

「もしかして、夏休み中ずっとランニングしているの?」
「いや、今日はランニングだけど、昨日はテニスでその前は水泳で、その前はクリケットしてた。毎日変えてやってんだよ」
「そうなんだ……」

聞けば聞くほど、何故僕にあんなことを言ったのか疑問でならない。よくやるなを倍にして返却したいくらいだ。
そういえば彼は、極度の飽き性な上に、何かをしていないと落ち着かない人物だった。常に動いていないと生きてはいけないかのようで、いつも体の何処かを動かしていた。きっと彼の前世は、マグロだったのかもしれない。マグロでなくとも、何かしらの魚だったに違いない。と、僕は密かに思っている。一度として、僕は彼が動かずに大人しくしていたところを見たことがない。一日中教室にいたところも、授業を聞き続けていられたところも見たことがない。気づけば彼の姿はなく、気づけば何処かに消えていた。そのくらい、彼は落ち着きがない。
まるで、生き急いでいるように。

「じゃ、俺はまだ走るから、あんま自殺じみたことすんなよ」
「あぁ、うん」

そっちもね。と返そうか迷った。けれど結局やめる。僕が忠告したとて、彼が止まることはないだろう。寧ろ彼にとっては、止まることの方が自殺行為になるのかもしれない。
だから飲み込んで、立ち去る彼をただ見送る。

「誰?」

次第に小さくなる彼の背中を見ていると、いつの間にか近くに来ていたのか、彼女が僕に話しかけてきた。
不思議そうに僕を見てくる。その時、そういえば彼女は彼に会ったことがなかったか、ということに気づく。
僕には友人が少なく、彼は僕の数少ない友人の一人だった。だからこそ、彼女は既に彼に会っているものだと思っていた。けれどどうやら思い違いだったようだ。きっと彼が落ち着きのない性格なために、会える機会が極端に少なく、見事に機会を逃していたというのが理由だろうが。

「クラスメイトで、僕の友人だよ」
「ふーん」

彼女は素っ気ない返事に反して、大分小さくなった彼の背中を熱心に見ていた。彼女が誰かに興味を持つのは珍しく、僕は少し首を捻る。

「どうしたの」
「ううん、別に」

それでも、彼女の視線はそのままだった。僕も彼の背中を見る。彼女が興味を引かれそうなものはなく、僕とは違う芸術的なほど綺麗に引き締まった背中があるだけだった。
僕はもう一度、彼女を見る。

「浮気?」

軽く言うと、彼女はようやく僕に顔を向けた。目を見開いて、驚きの顔を浮かべる。

「はは、違うよ」

そして、破顔した。
今度は、僕が驚く番だった。彼女は妙に嬉しそうで、あまりにも嬉しそうに笑うものだから、冗談で言ったというのに、途端に恥ずかしくなる。言わなければ良かったと後悔する。無理とは分かっていても、言葉を取り戻したくなる。文字であれば、『削除』ボタンを三つ押して、消してしまいたい。
けれど、一度外に出してしまったものは取り戻すことはおろか、消すことなど決して叶わない。言葉は消えることなく、彼女の耳の中に残る。
だからせめて、少し赤くなった顔を隠すように下を向けば、彼女は容赦なく覗き込んできた。
なんて彼女は無慈悲なんだろうか。
顔が赤いよと指摘してくれれば、これは暑さのせいだと言い訳が出来るのに、彼女はそれすらもさせてくれない。
彼女はやはり、無慈悲だ。

「今日もいなかったね」

嬉しさを保ったまま、彼女は終わりを告げた。




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