見出し画像

【小説】幽霊探しのそのさきは 上

「ねぇ、幽霊を探しに行こうよ」

目の前に座る彼女が、身を乗り出して言ってきた。また始まったと僕は思った。彼女は時々、こういう突拍子もないことを言い出す。
僕は何も返さずに、ちらりと視線を向けただけで、直ぐに視線を本に戻す。引き剥がされてしまった物語の世界に、再び潜る。場面は丁度、主人公がパーティーに着るドレスに浮かれているところだった。

「ねぇ、聞いてる?幽霊、探しに行こうよ」

それでも諦めの悪い彼女は、僕の顔を覗き込むようにして繰り返す。その視線は暑い熱を孕んでいて、好奇心を隠せないでいる。輝く瞳は、僕を突き刺すようで、決して逃すまいと言っているようだった。

「ねぇ、幽霊」

まるで僕が幽霊であるかのように、彼女は言う。けれど僕は幽霊ではない。だから返事をしない。
それでも視線は、僕を突き刺し続けている。ちくちくと針で刺して、小さな穴を無数に開けようとする。それでも僕は気にならないふりをする。
ちくちく、ちくちく。でも彼女もあきらめが悪い。次第に空いた穴が広がって、無視出来なくなってくる。

「ゆ、う、れ、い」

こうなってしまうと、彼女は決して言葉を引っ込めようとしないことは分かっていた。
僕が折れるしか、この熱から逃げる方法はないことも。

「何で幽霊?」

だから僕は、名残惜しくもマンダレーに別れを告げて、本を閉じて彼女と向き合う。

「だって、夏だよ?夏と言えば幽霊でしょ?」

ようやく向き合ってもらえたことが嬉しいのか、彼女は体勢を戻してにっこりと笑うと、得意げに言った。
僕はその言葉に、内心で首を傾げる。そうだろうか。確かに肝試しなど、夏のイベントごとではあるが、幽霊は夏でなくともいる。年中無休でそこら辺をさ迷っているのではないだろうか。春でも秋でも冬でも、季節など関係なしにそこら辺に蔓延っているだろう。
かく言う僕も、幽霊と出会ったのは夏も大分過ぎた、もう直ぐ凍てつく冬が訪れるだろう少し前、秋だった。


あれは確か僕が八歳の頃だった。辺りは若さを失い、老いた葉がはらはらと散っている中、幽霊は突然僕の前に現れた。

最初、僕はそれが幽霊だとは気づかなかった。それくらい幽霊らしくはなかった。地面にしっかりと足をつけ、体は透けてもなく、皮膚の下にはみゃくみゃくと血が流れているような、体温を持った人のように見えた。
水色の半袖と灰色のズボンを履いたその幽霊は、如何にも人らしく、そして僕と同じくらいの年頃に見えた。
その子どもの幽霊は、睨むように空を見上げていた。
広々とした公園の中央で、周りにいる人など気にせずに、ひたすらに空を見ていた。その姿は、僕の目を引くには充分な異様さだった。
睨まれた空も、いつもと変わりなく、ただただ青く、厚くも薄くもない雲が幾つかふよふよと浮いているくらいだった。その雲も、何かの形がある訳でもなく、僕には綿飴を綿棒で薄く伸ばしただけの塊に思えた。
鳥も虫も機械も何も飛んではおらず、不審な点も不快な点もない。
僕にはいつもと変わらない、何の変哲もない空に見えた。

「何を見てるの?」

別に、見て見ぬふりをして、その場を立ち去っても良かった。けれど空を睨む強烈な目が妙に気になって、普段は自分から人に近寄ることなどしないのに、気づいた時には声をかけていた。
幽霊は悪事を見つかった子供のように、びくりと肩を跳ねさせると、弾かれるように僕を見た。驚いたように僕を見る。
幽霊である自分が、誰かに見られるという感覚が消えているのだから、当然といえば当然の反応なのだろう。ただ僕はこの時、幽霊だとは知らかなったから、ただただ邪魔をしてしまったことを申し訳なく思った。

「空を見てた」

けれど幽霊は、自分が僕に見えていることを受け止め受け入れてしまうのが早かった。僕が申し訳なくて、自分の発言をなかったことにして、立ち去るよりも早かった。

「空が、青過ぎてむかつくから」

幽霊はまた空を睨む。そこで初めて、その熱が忌々しい感情からのものだと理解する。
幽霊と同じように、僕も空を見上げてみた。けれどやはりそこにはただ青いだけの空が広がっていて、そこから何かの感情を生み出すことは出来なかった。何処までも果てしなく広がっている、今は青いだけの空。それ以上でもそれ以下でもない。僕は残念ながら、幽霊と同じものを共有することは出来なかった。
それでも、僕は幽霊に興味を覚えた。
誰かに対して、初めてもっと知りたいと思った。そして相手もそう思ったのか、僕たちは流れるように仲良くなった。
今では、空の話題からどうやって仲が発展したのか、詳しいことは覚えていない。けれど気づいた時には隣に座ってたわいのない会話を交わし、空から逃げるように二人で駆け回っていた。

そして気づけば、幽霊が忌々しがった空は青を失いオレンジ色に変わり、黒色へと変化していた。

「もう帰らなきゃ」

色を失った空を見て、僕は言った。本当はオレンジ色になった頃に帰らなくてはいけなかったのだが、気づくのが遅く、帰る時間はとっくに過ぎていた。でも僕は、その事実を知られたくなくて、悟られないようにする。
家に帰ったらきっと怒られるだろうなと思ったけれど、えもいえない高揚感から、それはどうでもいい事項に思えた。

「そっか」

僕の言葉に、幽霊の方が残念そうに声を落とした。僕は今にも消えてしまいそうなその声に、何故か申し訳なさを覚えた。僕だけが帰って怒られることに、不思議と罪悪感を抱いた。
だから謝罪と励しを込めて、また遊ぼうと約束を交わそうとした。何故そうしようと思ったのか、今では不思議だが、幽霊の白い手を取ろうとした。
でも、出来なかった。
僕の手は見事はほどするりとすり抜け、白い手を掴むことはなく、なんの感覚もないまま下に落ちきってしまった。
その時、僕は始めて幽霊が幽霊であるとに気がついた。
そういえば、足元に黒い影が存在していなかったことを思い出す。だから発見した時、余計に異様さを感じたのだとも。

「人じゃないの?」

何故気づかなかったのだろう。僕は驚いて聞いた。幽霊も驚いていた。

「今更?」

そう言って、けらけらと笑った。
その笑顔もやはり幽霊らしくなく、生き生きと弾けるようだった。


この時の出来事を、ふとした時に三歳上の姉に話したことがある。あれは家で『ゴーストバスターズ』を観ていた時だった。
母親が作ってくれた特製のポップコーンは、序盤で既になくなり、口を持て余していた。飲み物を飲もうにも既にお腹が悲鳴を上げる寸前で、もう液体は入らない。
安直にも、ゴーストから幽霊の感情が溢れていた顔が浮かび、コマーシャルの合間の暇つぶしとして、気まぐれに話してみることにした。

「僕、幽霊を見たことがあるんだよね」
「へー、そうなんだ」
「話したり、遊んだりしたんだ」
「ふーん」
「でも、あんまり幽霊らしくなかった」
「……」
「まるで、生きてるみたいだった」

素早く流れる画面を見つめたまま、興味がなさそうに聞いていた姉は、不意に隣の僕を見た。もう直ぐ、長かったコマーシャルも終わるだろうという頃合だった。

「それ、夢だったんじゃないの?」

姉はやたら確信めいた声で断言した。
もしかしたら、面倒くさかったのかもしれない。今も昔も、姉はそういうところがある。厄介事を極端に嫌う。

「夢、か……」
「そう。夢」

それでも、投げやりな中に揺らぎない絶対的なものがあり、その押し付けるような言葉に、僕は思わず頷いていた。
姉はよろしいというように頷き返すと、また画面に視線を向けた。すると丁度、白い物体が飛び出してきたところだった。
僕も姉と同じように画面を眺める。でももう内容は頭に入ってこなかった。何か打ち砕かれたような気がした。
でも僕は知っている。あれが夢ではないことを。


高校二年生の今、僕は幽霊との出会いを思い出しながら、外を眺めていた。
図書館の大きな窓から見える外は、幽霊が忌々しく睨んでいた時よりも青さを増し、外に出る者すべて抹殺してやろうと目論む殺人鬼よろしく、光と熱が地面を刺していた。
その中で、彼女は幽霊を探そうと言う。
正直、外に出たくはなかった。
誰もがこの文明の利器から生み出された快適さを、易々と手放したくはないだろう。好奇心旺盛で活動家、僕との行動を異様に好む彼女以外は。
僕は快適さを好み、好奇心とは距離を慎ましく置き、彼女と居られれば充分なので、手放したくはない。その上、入った時は温いと思った室内は、数時間も滞在すれば体に馴染み出し、ようやく心地よいと思える温度になってきたという時だった。

「ほら、早く行こう」

それでも、彼女は無慈悲にも外へと誘おうとする。僕はまだやるとは言っていないのに、彼女の中では二人で幽霊探しをすることは最早決定事項らしく、急かしてくる。外の暑い光よりも熱く、見つめてくる。

「……分かったよ。でもこれ返してくるから、ちょっと待ってて」

覚悟を決めるしかなかった。彼女がこうなってしまえば、僕には従う他選択肢はない。仕方なしに立ち上がり、本を元の位置に戻す。
涼しさも然ることながら、同じ夏休み中の子どもたちが数分前に一斉に立ち去り、ようやく静かになった頃だった。尚のこと後髪を引かれながら、僕は彼女と共に殺人鬼が蔓延る外に出る。
外に出た瞬間、大きな熱の塊が僕を襲う。自己主張をする蝉の強烈な爆音が耳に響く。故意ではないとはいえ、それらの熱は、僕の体力を半分削ぎ落とす。早くも外に出てしまったことを後悔し始めていた。けれどももう引き返すことは出来ない。
一歩踏み出す。そして僕は、殺人鬼たちに易々と刺された。
光と熱が僕の体を貫通し、低くなっていた温度を一気に上げていく。

「さぁ、まずは何処から探しに行こうか?」

僕が散々刺されている中、彼女だけは平気そうに笑っていた。嬉しそうに、好奇心を含んだ瞳を輝かせた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?