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生きよう

11月に書いた日記をやっぱりまた公開する。理由は何となくだ。深いことを言いたいし書きたいが、そもそも人間も人生も浅くてペラペラだと思う。誰もが主人公じゃないし、壮大じゃないことをまず自覚することで、楽になることもあるのではないだろうか。

生きることはドラマじゃない。ぬるくないし、理不尽だし、救いはない。真面目さは自分の首を締めるだけだ。突き詰めたら自殺しかなくなると思う。ぼくは40才間近になり、ダメな奴なりに色々気付いたりしているので、運が良いんじゃないかとも思う。

実はアルバイトをし始めた。仕事は夜の8時過ぎに終わる。巨大なターミナル駅のホームから電車に乗り込む。コロナが落ち着いた?からか、関係なくなのか人がとても多い。ここから田舎のぼくの住まいへ向かう。やはり人が多いのは苦手だ。最近、人が多い場所も人と話すのも、より苦手になった。挙動不審さが増したかもしれない。ぼくの心は閉じてしまった。毎度、誤解されるし舐められるからだ。

こんばんは。電車内で暇なので日々を記す。そろそろ年末年始の気配もしていて、一年は早いなとしみじみ思う。もうクリスマスケーキやおせち料理のことを考えなくてはならない。それと今月はぼくの誕生日まで控えている。

そういえば、ハロウィンでかつ選挙の日に、京王線の調布付近の電車内で、人を刺して放火する事件が起きた。刺された人は亡くなってはいないけれど重体ではあるようだ。逃げ惑う人をスマホで撮った映像を見たが、恐ろしいなと思った。以前、京王線の沿線に住んでいてよく知っている景色だというのが、怖さを際立たせた。犯人には怒りを感じる。

ぼくは昨年、いろいろあり、心を病んでしまってからは性善説は信じなくなった。根っこから良い奴はいないだろう。性悪説しかないだろう。今回のような弱い人が被害に遭う事件のニュースなどを見ると強く思う。人を傷つける理由には興味はあるが、そんなことは許されない。

「実は良い人」なんていない。良い人の部分を隠すなよ。それではただの悪い人ではないか。「実は良い人」を評価するのはもうやめよう。そんな奴こそ無視して叩いてやろう。ちなみに、外面だけ良い「実は悪い人」もやっかいだし距離を置こう。そんなことを考えてたら、周りが全員悪人に見えてくるし、自分自身もクソな奴だとも思えてくる。どんどん一人になっていく。人間が怖くなっていく。

そんなぼくのように、国全体が人間が、心も生活もどんどん貧乏になって、不満も溜まっていっている気がする。これじゃどんどん胸糞悪い事件も起こるだろう。社会が弱いものを蔑ろにしているから、犯罪というのはただただその鏡なのだろう。どうしたらいいのだろう。ぼくたちは無力じゃないか。選挙に行くだけで何か変わるのだろうか。若者の投票率が低いのは、知識がないもあるかもしれないが、もっと深い絶望があるのかなと思う。

ぼくには帰る場所があるし、待っている家族もいる。心は不安だらけだけども、孤独ではないよ。それだけが光である。あまり何も考えずに、転がる石ころのように人生を送っていきたい。ダメダメで不器用でも、やれることをやるだけだ。必死でやってうまくいかなければまた考えたらいいだけだ。たいがい、どっちでもいいことだし、他人は自分のことを特に思ってもない。

死なないでいよう。殺さないでいよう。夢なんか持たなくて良いし、何者かにもならなくていいと思う。ヒーロー気取りに騙されるな。とりあえずかっこ悪くても生きよう。あたたかい風呂に入って美味しいもの食べよう。誰が読んでるのか知らないけれど、元気でいよう。

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