見出し画像

駐輪場のソファ

いつものようにエレベーターに乗ろうとして、ふと来た道を振り返った。
絵が飾られているのとは反対側の壁にA4の紙が1枚貼られている。

駐輪場に放置されているソファですが、お心当たりの方はゴミシールを購入して捨てるようお願い致します。

翌日の夕方、ごみ出しのために1階に降りた時もその注意書きは貼られたままだった。
ごみ捨て場のすぐ近くの駐輪場には、貼り紙の通りにソファが置いてあった。
明るめの茶色、暗めのクリーム色とも言えるシンプルな二人掛けソファが、苦しそうな姿勢で壁にもたれて立っている。
住人の誰かが出したのだろうか。ごみ捨てを終えて部屋に帰っても、少しくたびれたそのソファが気になっていた。

☆☆☆

「ここにソファ欲しくない?」
定位置になりつつある部屋の一角を指しながら、彼が唐突に言った。
前から思ってたんだよね、と指差した先の壁に背中を預けて座る。
大学卒業と同時に住み始めてもう2年、少し狭いけど駅から近くて日当たりの良いこの部屋が気に入っている。
彼に倣って隣に腰を下ろすと、慣れ親しんだはずの部屋がいつもと違って見えた。
「うん、いいかも。買っちゃおうか。」
誰にでも優しくて時々頼りないけど、一緒にいるととても落ち着く。そんな彼となら、見たことない景色や一人では気付かなかった楽しい事が見つかる気がした。それに、彼と選んだ物が増えることが嬉しかった。
それから二人で何件かのインテリアショップを巡り、部屋に置いたらどんな雰囲気になるか、二人で座った時の心地良い距離感はどれくらいか、一つずつ想像しながらぴったりのソファを探した。
そして、シンプルな部屋に馴染むように、落ち着いた色の高さの無いソファを選んだ。
一緒にテレビを見たり、ご飯を食べたり。
休日はスマホゲームに夢中な彼の隣で雑誌を読みながら、時々子供みたいに必死になっている横顔を盗み見たりした。
喧嘩をした時は一人で、仲直りしたらまた二人で。
ソファを置く前よりも彼との距離が近づいた気がした。

それから1年が過ぎた頃、彼の転勤が決まった。
彼が大阪本社への異動を希望していることは知っていた。だけど、いざ決まってみると心の準備なんて出来ていなくて、嬉しそうに仕事の話をする彼がとても遠く感じた。距離が離れてしまうことよりも、私の存在が彼の選択に少しも影響も与えなかったことが悲しかった。
ちょっとくらい寂しそうな顔してよ、とこぼれそうな本音を空気と一緒に飲み込んで、「よかったね、おめでとう」と精一杯の笑顔で返した。
近くに感じた二人の距離が蜃気楼のように、ゆらゆらと揺れて歪んだ気がした。

彼が大阪に行ってしまう日まであと少し。
それなのに私たちはいつものようにソファでお互い好きなことをしていた。
スマホの画面ばかり見つめる彼と、構ってほしいのに素直じゃない私。
このまま彼を見送ったら、すれ違った気持ちがそのまま違う方向へ進んで、見えなくなってしまうんじゃないかと思った。
「私たちどうなっちゃうのかな。」言わないでおこうと決めていた不安が、口をついて出た。
いつでも会えるよ、なんて簡単に言わないで。
何も変わらないよ、なんて嘘だよ。
一緒に選んだソファから同じ景色を見ていたいだけなのに、それだけなのにどうしてこんなに難しいんだろう。
何も言わない彼に苛立ってソファから立ち上がったのと同時に彼が言った。
「3年…は、長すぎるよね」
何のことか分からず思わず振り返る。
「ほんとは今すぐ一緒に行こうって言いたいんだけど…きっと仕事ばっかりになっちゃって、悲しい思いさせると思うから。だから向こうでちゃんと結果残して、自信持って言いたくて…。」
ゲームに夢中だと思っていた彼のスマホには何も表示されていない。
ずっと何て言おうか考えていたのだろうか。
「3年も待ってて欲しいなんて言う勇気無くて…。でも1年や2年で結果残すって言い切る自信もまだ無くて…。不安にさせてごめん。」
言葉を探すように話す彼が、本社への栄転や周囲からの期待に不安になったりしながら、一生懸命これからのことを考えてくれたんだと気付いた。
正直、そこは無理でも1年で活躍してみせる!とか言って欲しいけど、ありふれた言葉で守れない約束をしないように、たくさん悩んでくれたことが嬉しかった。
「3年も待たなきゃいけないの?」なんて、全然可愛くないなと自分でも思う。
けど、「やっぱり長いよね…俺もそんなに耐えられるか分からない。」と苦笑いしながら、でも頑張るよって言った彼がいつもよりちょっとだけ男らしく見えた。

新しい部屋は、駅から近くて日当たりが良い。それと、ちょっとだけ広い。
彼が大阪に行ってから2年と10カ月。約束よりも少しだけ早く、彼は私を迎えに来てくれた。そういうところも彼らしい。
一緒に選んだソファは置いていくことにした。
新しい部屋と、今の私たちにぴったりのソファを探そう。
そしたらまた、彼の横顔を見ながら、時々一人で、また二人で、くっついたり離れたりしながら過ごすだろう。
だけど、きっともう不安にはならない。

☆☆☆

新しいソファに買い替えただけかもしれないし、要らなくなって捨てただけかもしれない。もはやマンションの住人が出したのかすら分からないが、持ち主にこんな物語があったらいいなと思った。
貼り紙に気づいてから1か月くらい経っただろうか。
今日もソファは放置されたままだ。
できれば早めにシールを貼って回収の連絡をして頂きたい。

#エッセイ #日記 #日常 #妄想短編小説 #恋愛 #れもんさわあ

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートを糧にもっともっと頑張ります!!